肥下(ひか)の戦い|史実の詳細とキングダムの違いを徹底解説!

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キングダムは、中国の歴史をもとに描かれている大人気漫画ですね!

連載の方は肥下(ひか)の戦いの真っ最中で、毎話目が離せない展開です。

[chat face=”hiyoko-touroku-300×300-1.png” name=”ぴよ吉” align=”left” border=”yellow” bg=”none”]今回の章で、確実に桓騎のファンが増えていると思うよ!かっこいいもん[/chat]

さて、キングダムはここまで多少の違いはありつつも、基本的に史実に基づいてストーリーが展開されていました。

だとすれば今回の肥下(ひか)の戦いはどんな戦いなのか、詳細が気になりますね!

また、史実との違いについてを、すでに描かれている範囲で調べてみました。

今回は、肥下(ひか)の戦いの史実の詳細とキングダムとの違いを徹底解説していきます!

 

肥下(ひか)の戦いと史実の詳細を調査!

そもそも、肥下(ひか)の戦いとはどんな戦いなのでしょう?

キングダムは読んでいるけど、中国史は苦手という方も多いかもしれませんね。

[chat face=”mezukare-hiyoko-300×254-1.png” name=”ぴよ吉” align=”left” border=”yellow” bg=”none”]キングダムも混乱するときあるよ…[/chat]

しかし今回の肥下(ひか)の戦いは史実でも有名な戦いだといわれてます。

キングダムでも詳細に描かれることが予想されますので、予習として知っておくと面白いと思いますよ♪

 

秦国が初めて敗退した戦争が肥下(ひか)の戦いである!

結論から言うと、肥下(ひか)の戦いは秦国が初めて敗退した戦争です。

まずは肥下の戦いの経過をさかのぼって見てみましょう。

肥下の前年に、桓騎は平陽で趙軍に勝利。将である扈輒を討ち取り、10万の兵を斬首しました。

翌年に趙の首都邯鄲(かんたん)の北に位置する赤麗と宜安を占領します。

邯鄲の南側は秦の支配地域だったため、宜安を取り趙を南北に分断することも目的だったようですね。

桓騎は趙の首都の北方に陣を敷き邯鄲を狙います。

[chat face=”Halloween-25-300×300-1.png” name=”ぴよ吉” align=”left” border=”yellow” bg=”none”]ここで首都が陥落してたらまた歴史が変わっていたのかな…。[/chat]

この段階になって、趙王は北部の国境を防衛していた李牧を大将軍に任じ南下させました。

そして趙国の全軍を投入し、秦軍を攻撃するよう命じたのです。

この趙国全軍VS桓騎軍の戦いが、肥下の戦いと呼ばれました。

 

肥下(ひか)の戦いの詳細は桓騎と李牧が直接対決する!

肥下の戦いでは、初めて桓騎と李牧が直接対決します。

[chat face=”amagappapiyo-350×350-1-300×300-1.png” name=”ぴよ吉” align=”left” border=”yellow” bg=”none”]キングダムでも人気の2人だけど、直接対決って初めてなんだね。[/chat]

史実に戦いの詳細は書かれていませんが、大変激しい戦いだったようです。

立て続いた勝利で勢いづいていた桓騎軍、趙国の全軍を投入した李牧軍でどの程度の勢力差があったのかも不明。

ですが結果として、桓騎の秦軍は大敗しました。

秦軍の少数は、包囲から抜け秦国に退却しましたが、将軍の桓騎がどうなったのかは資料により違うようです。

説としては「①李牧に討たれた」「②燕に逃亡」の2つがあるようですが、実際のところはわかりません。

キングダムではこの結末をどう描かれるのか楽しみですね!

 

肥下(ひか)の戦いのキングダムとの違いを徹底解説!

前半では、史実の肥下(ひか)の戦いについてを見てきました。

現在キングダムで描かれている部分は、史実に沿って進んでいるようですね。

しかし、キングダムはこれまでもオリジナルの要素を含んで描かれている作品ですので、細かい部分で史実と違いはあるかもしれません。

[chat face=”achii-350×350-1-300×300-1.png” name=”ぴよ吉” align=”left” border=”yellow” bg=”none”]史実も詳しいことは書かれてないから想像になってくるよね。[/chat]

現時点で見えている違いはどんなものでしょうか?

次は、史実との違いについて、個人的な意見も含めて解説していきます!

 

李信の従軍は史実と違いキングダムのみの設定かもしれない!

まずは、キングダムの主人公である李信の従軍について。

これを指すと、キングダムの根底をくつがえす話になってしまいますが、史実でこの戦いに李信が参加した記録はありません

そもそも李信が史実で現れたのは紀元前229年からで、それ以前の紀元前233年に起きた戦争の記録に残っていなくても仕方ないことなのですが…。

もちろん、記録に残っていないということはまだ将軍などの目立った活躍がなかっただけでとも捉えることができます。

つまり、史実に載る4~5年前であれば、李信が一軍人として参加していた可能性は高いです。

[chat face=”R0022423-350×350-1-300×300-1.png” name=”ぴよ吉” align=”left” border=”yellow” bg=”none”]偉くなるまでの下積み期間ということなら十分あり得るね![/chat]

キングダムはこのような史実の不明瞭な部分を、上手く補って描かれていますね!

 

史実とキングダムで李牧の参戦時期に違いがある!

キングダムでは、李牧は首都邯鄲周辺での攻防戦の時点でリーダーとして趙軍を率いています。

しかし、史実では赤麗・宜安が占領された段階で初めて、将軍として参戦していました。

李牧の参戦時期が史実とは異なっています

キングダムでは宜安の占領についても、李牧が桓騎を追い詰めるために誘導したような描かれ方もしており、史実と印象がだいぶ変わりました。

[chat face=”goukyu-350×350-1-300×300-1.png” name=”ぴよ吉” align=”left” border=”yellow” bg=”none”]確かに、キングダムの李牧は頭が切れすぎて怖いなって印象があった![/chat]

史実通りの急な参戦での逆転劇もなかなか見ごたえはありそうですが、より李牧の有能さを印象付けるためのストーリー展開なのでしょう。

先ほどの桓騎の最後についても、キングダムではどう描かれるのかが本当に楽しみですね。

桓騎もオリジナル要素の強いキャラクターだけに、史実とは少し違う退場の仕方をするんじゃないかなと期待してしまいます。

逃亡するのではなく、どこかに影を潜めて後々信たちが危機に陥った時に再登場とかもあり得るかもしれません。

とにかく、キングダムは史実通りに退場することが多いので、ザ・漫画のような王道のその望みは薄いかもしれませんが実際はどうなるのかは、現時点では不明です。

このように、史実を知ったうえで改めてキングダムを読み返してみると、違いやオリジナル部分が見えて面白いですね♪

 

まとめ

肥下(ひか)の戦いについて、史実の詳細とキングダムとの違いを見てきました。

史実は秦国が初めて敗退した戦争で、ここで初めて桓騎と李牧が直接対決した戦いです。

詳細についてはあまり詳しく書かれていませんでした。

[chat face=”images.png” name=”ぴよ吉” align=”left” border=”yellow” bg=”none”]古い文献だし、詳細に描けないくらい激しい戦争だったのかも。[/chat]

キングダムとの違いは、李牧の参戦時期が一番違うといえるでしょう。

李信の参戦記録がないなど、史実にあまり詳細に描かれていないぶん、キングダムではオリジナル要素で補われて人物がより印象的に映ります。

肥下の戦いの最後は、史実では桓騎は李牧に討たれる、もしくは逃亡ですが、キングダムでどんな描かれ方をするのか楽しみになってきました!

今後もキングダムから目が離せませんね♪

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