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2016年02月29日(月) 

 (2/27)土曜日の神戸新聞に「宍粟市 人口減で非常事態宣言」と題して、人口4万人を割ったことが大きく報道されていましたね。(H28/1月末:39,993人

 このまま推移すると2060年には19,443人になると推計されるとかも・・・。

 山崎町史を紐解いて過去の人口推移を調べてみた。すると、合併前の旧山崎町の明治14年(1881)人口は、19,257人。その前のデータは江戸時代前期だが、不明地区多く合計では比較できないが判っている地区の数字とそれほど大きな差は無い。江戸時代は人口の増減があまりなかったというから、江戸末期・維新の頃には山崎の人口は1万9千人位にはなっていただろう。
すなわち2,060年には宍粟市の人口は江戸時代末期の旧山崎町の人口位になると・・・




 ちなみに山崎町以外の各町の町史を調べてみると、
(一宮町)同じく明治14年(1881)人口:9,964人
(波賀町)大正9年(1920):6,201人(それ以前は不明) 
(千種町)明治17年(1884):(推定)4,700~4,800人
というから、明治14年頃波賀町を5500人とすると、一宮・波賀・千種3町20,164人。
これに山崎町の人口(19,257)を足すと、39,421人

即ち、ほぼ現在の宍粟市の人口となる。今の宍粟市は明治14年当時の人口ということ。


この上に人口の年齢構成を考えると、空恐ろしい・・・。
江戸時代から昭和期までの人口ピラミッドを見ると0才を底辺とした綺麗な三角形だが、



2039年の人口ピラミッドは65才を中心線とする菱形(上下に三角形)
(『ピラミッド』ではなく『ダイヤモンド?』)。



何とも言えませんね~・・・
前期高齢者(65-74)への仲間入りが近いなどと色々考える前に、0才児のつもりでいないといけないのかな???

 


閲覧数417 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2016/02/29 17:49
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