宍粟の地名(由来)の「「蛇岩と簗場」揖保川にまつわる話」
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「蛇岩と簗場」揖保川にまつわる話
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2010年04月22日 10:53
第7話

蛇岩と簗場(じゃいわとやなば)  

 山崎町三津(みつづ)から、川の東、神谷(こうだに)へ、新しい大きな橋が架かっています。三津と神谷をつなぐ橋ですので、三神(さんしん)橋といいます。この三神橋の下の川原を蛇岩といいます。一続きの長い岩が、橋の上流から下流にかけて、川の中を200mばかりも続いているのです。

 洪水の日、橋の上に立って見ると、この岩の背が、荒波の上に出たり隠れたりして流れの中に連なっています。その様子は、丁度大蛇が川を上っているように、うねうねと伸びているので蛇岩というのです。

 ここへは大きな鯉や鮎がたくさん集まってきます。ここの鮎は揖保川筋では二番目に大きいので、蛇岩の次郎とあだ名をしています。では一番大きな太郎はといいますと、ここから更に四里(十六キロ)ばかり上流の嵯峨山(さがやま)の岩場の鮎で、嵯峨山太郎というのです。

 岩の川下で岩場の尽きるあたりを梁場といいます。昭和二十年代の終わり頃までここに梁をしかけていたのです。昔は夏至を中といい、中になると梁塞(やなせ)きが始まります。川を斜めに木枠を入れ石を積んで柵をし、その上に山柴を立てて水を濾し、魚が抜けないように囲い、その川下を細く絞って、そこに梁をしかけるのです。

 八月も終わりになると、鮎や鰻(うなぎ)が下りかけます。はげしく雨が激しく降って川の水が濁ってくると待っていたようなにいっせいに川を下って来ます。梁番の人は二人以上、梁小屋で松明をつけて見張りをしています。日の暮れ時になると、待っていた鮎の一群が、ドドッと飛び込んできます。

 「来たっ。」と若い衆は箕(み)を持って走り回り、鮎を箕にかき込み、撥ねる鮎を大きなやな籠(かご)(人が入っても動きまわれるような)にほうり込むのです。鰻は棒のように突っ込んで来ます。火の番の年寄りが「竹を踏め・踏め」と怒鳴ります。若い者は竹を踏みます。そうして、箕にかきこんで鰻龍(やなぎかご)にほうり込むのです。

 なぜ竹を踏むかというと、棒のように突っ込んできた鰻はしっぽを竹の間に突っ込んで突っ立つのです。すると竹の聞からするりと抜けて落ちてしまいます。だから、立てないように竹を踏んで、鰻を浮かしてすくい取るのです。

 このような梁が、山崎町では上流から、清野・田井・岸田・神谷・高所と五ケ所ありました。大水の日、三神橋に立って、大蛇のように川を上る蛇岩の背を見ると、若い日の梁場の有様が昨日の事のように浮かんでくるのです。

※簗(やな):竹等で簀(す)を作り、水に乗って下ってきた魚を濾(こ)し獲るしかけ。
※簀(す):笹竹・葦または割竹であらく編んだむしろ。
※箕(み):穀類をあおってごみなどを分け除く農具


(文責 山崎町 森本一二)


※梁漁(やなりょう)の解説と写真の紹介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81%E6%BC%81


「E-宍粟」支援隊そーたんs

▼簗場の挿絵

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Re[2]: 「蛇岩と簗場] 揖保川にまつわる話
【返信元】 Re: 「蛇岩と簗場] 揖保川にまつわる話
2010年04月23日 10:53
 >しんちゃんさんへ

 確かに、伝統の簗場の復元ができれば、観光の目玉にもなるかと思います。揖保川にたくさんの鮎が育ち、この漁法が観光に生かされることを願います。
Re[2]: 「蛇岩と簗場] 揖保川にまつわる話
【返信元】 Re: 「蛇岩と簗場] 揖保川にまつわる話
2010年04月23日 10:37
 > 風化さんへ
 ご提案ありがとうございます。今発信中の揖保川にかかわる話は全部で12話あり、その中で、宍粟の逸話としていい話がいくつかありますので、逸話の動画作成として内部で検討中です。
Re: 「蛇岩と簗場] 揖保川にまつわる話
【返信元】 「蛇岩と簗場」揖保川にまつわる話
2010年04月22日 22:24
いま、兵庫県では簗漁は禁止です。

揖保川の伝統漁法の一つ簗や、跳ね川なども観光目的で復元できたらと思います。