宍粟の地名(由来)の「「平家残党と揖保川」揖保川にまつわる話」
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「平家残党と揖保川」揖保川にまつわる話
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2010年04月19日 10:02
第5話

平家残党と揖保川 
  
 文治元年(1185)、平家は※壇の浦で滅亡しましたが、一族一門のうち、漁船などに助けられ、四方に逃げ散った者もかなりあったようです。

 これらの残党のうち、室津に着いた一団は網干の浦から揖保川を高瀬舟で上り、出石の船着場に上陸し、ここから山陰山陽の山岳道の要衝、神戸村須行名(すぎょうめ)を経て但馬入りをしたのではないかと思われます。

 養父郡西谷村の横行(よこゆき)という集落は、身を隠すには絶好の山間で、いまでも 「平家城」という名が残っていますし、村の住人に藤原、安達という姓が多いそうです。

 約八百年前の昔に揖保川は、平家一門の悲劇の一端をかいまみた、ということがいえます。

※壇ノ浦:現在の山口県下関市で行われた源平合戦最後の戦場

 (ひめじ・明治のかたリベ集)


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