宍粟の地名(由来)の「地名の由来「千種川 その1 赤穂に注ぐ川」」
「地名の由来「千種川 その1 赤穂に注ぐ川」」の書込一覧です。
新着返信
返信がありません
QRコード
地名の由来「千種川 その1 赤穂に注ぐ川」
【閲覧数】1,217
2010年04月02日 13:16
千種川 その1 

 千種川の千種の由来は、国争いをした神に対して草を敷いて神の座とした、敷草(シキクサ)を「シクサ」と縮め、さらに「チクサ」と訛ったといわれている。

 千種川は、宍粟郡千種町の三室山(1358m)南面を源とし。67.6Kmをほぼ南に向かって蛇行して赤穂市南端で播磨灘に注ぐ。2級河川。流域面積752平方キロ、市内の流域19km、河口幅300m。佐用郡南光町で志文川、同郡上月町で佐用川、赤穂郡上郡町で鞍居川、市域に入って矢野川などが合流する。大治5年(1130)の東大寺文書には、赤穂川、江戸時代には、千種川のほか、大川、熊見川などともよばれた。

 水源の千種は古くから千種砂鉄の山地で、大量の土砂が千種川に流出した。弘治3年(1557)から昭和51年(1976)までの(420年)間大小110回、3.8年に1回の水害(災害の記録)があり、流出土砂は沿岸流域ならびに河口に農地・町村・塩浜の土台をつくった。農業面では有年(うね)村から木津村までの間に8井堰がつくられ、全市内の灌漑用水として現在も利用されている。

 元和2年(1616)日本三大水道の一つ赤穂上水道が築造された。赤穂城下の上流約7kmの通称根木の切山に52間の隧道を切り開き、千種川の水を導入し城と城下町の各戸へ給水した。取水地点は2回変更したが、昭和48年に近代水道が完成するまで利用された。

 また近世中期から明治中頃までは上月村以南の村々からの米・薪炭などの積下げ、赤穂の塩・魚などの積み上げとして高瀬船が上下した。流域平野が狭いため、近世には美作や佐用郡の荷物を久崎村から積下ろすのが主であった。久崎村から加里屋までの船賃は一石につき三升。


「E-宍粟」支援隊そーたんs

▼千種川とその支流

返信書き込みはありません。