宍粟の地名(由来)の「地名の由来「七野」」
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地名の由来「七野」
【閲覧数】1,008 【マップカテゴリ】千種町
2010年03月04日 11:26
今回は「七野」(千種町)をとりあげます。

■七野(ひつの) 
千種川の上流域。七野と地内字倉谷との間に鑪(たたら)の跡がある。

【近世】七野村 江戸期から明治22年の村名。七埜村とも記される。慶長国絵図に「しつの村」と見える。播磨国宍粟郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。はじめ姫路藩領、慶長18年(1613)備前岡山藩領、元和元年(1615年)宍粟藩領、慶安2年(1649)幕府領となる。享保6年(1721)幕府領、延享元年(1744)大坂城代堀田正亮(出羽山形藩)領、同3年6月幕府領、同年10月幕府領三日月藩預地、宝暦10年(1760)幕府領、明和元年(1764)幕府領三日月藩領預地、寛政7年(1795)幕府領、文政7年(1824)幕府領上野館林藩預地、天保元年(1830)幕府領となり幕末に至る。
 
 村人は農業のほか、作間稼に商人や鉄山 荷物の駄賃稼、炭焼・木挽などに従事。享保17年(1732)不作による年貢銀納願を訴願するため江戸へ越訴した事件が起きた。文政8年(1825) 作州吉野郡で始まった百姓一揆勢が当地へなだれ込み、当村民もそれと一緒になり山崎町へ迫って本多藩をうろたえさせた事件が、高下村大庄屋庄家「公私用日記」に記されている。

 神社は産霊(うぶすな)神社。寺院には西蓮寺の末寺と伝える無住の大日堂があり、境内には乳イチョウの大木がある。産婦が枝から下がった気根をなでながら願いをかけると乳の出がよくなると伝え、今も毎年1月28日に法会を行っている。

 千種川に架かる七野大橋の袂に地蔵があり、その台石の表の右側に「はし いなば ちず」、左側に「きた いなば わかさ」と刻まれ、左横に享保14年(1729)の年記銘がある。この橋を渡ると国境の志引峠を越えて美作国から因幡国智頭(ちず)宿(鳥取県智頭町)に至り、渡らずに北進すると国境の大通(おおどおり)峠や江浪(えなみ)峠を越えて因幡国若桜宿(鳥取県若桜町)に通じていた。明治22年千種村の大字となる。

【近代】七野 明治22年~現在の大字。はじめ千種村、昭和35年からは千種町の大字。明治26年村農会を創設し、スギ・ヒノキの苗圃を作り土地に適合した優良苗木の育成を進めた。また他の5大字とともに稚蚕共同飼育を目的として組合を創設し、蚕種貯蔵、優良桑樹の導入、成繭共同販売などの成果をあげた。また、蓄牛の飼育に力を入れ優秀な種牛購入による蓄牛の改良を進め、大正11年に家畜養生会を創設し、共済組織を構成した。昭和13年子牛生産頭数番付で千種村が県下第2位になった時、当地の親牛保有頭数39。第2次世界大戦中、鉄滓を広畑製鉄所へ供出。


◇今回の発見
・七野の名の由来は、記されていないが、圃場整備前の七野の棚田の風景写真があり、このなつかしい日本の原風景を見ていると、その名の由来のヒントがありそうだ。


「E-宍粟」支援隊“そーたん’s”

▼千種町地図  ▼七野の棚田

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