宍粟の地名(由来)の「地名の由来「鹿伏・戸倉・道谷」」
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地名の由来「鹿伏・戸倉・道谷」
【閲覧数】1,293 【マップカテゴリ】波賀町
2010年02月24日 13:27
今回は、「鹿伏・戸倉・道谷」(波賀町奥谷地区)をとりあげます。

■鹿伏(しかぶし) 
揖保川の支流引原川上流域。地名はシカが多数生息し、シカの寝床のなっていたことによる。

【近世】鹿伏村 江戸期から明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、慶長18年(1613)備前岡山藩領、元和元年(1615年)宍粟藩領、延宝7年(1679年)幕府領、文政6年(1823)上野館林藩領、天保元年(1830)幕府領となり幕末に至る。神社は、高倉神社。

【近代】鹿伏 明治22年~現在の大字名。はじめ奥谷村、昭和31年からは波賀町の大字。

■戸倉(とぐら)
揖保川の支流引原川上流域。かつて地内の大森神社は氷ノ山に祀られていたが、参拝に不便であるからと、舂米(つくよね)村(現鳥取県若桜町)・出合村(現関宮町)と当地の3か村の氏子は便利な所に移そうと考え、時間を決めて参拝して神体を各村へ持ち帰ることとした。しかし、他村の人たちが早く神体を持ち帰り、戸倉村の住民が参った時には、戸と倉しか残っていなかったので、これを持ち帰り祀ったという。地名もこのことにちなむという。現在行政上は「とくら」という。

【近世】戸倉村 江戸期から明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。江戸期は土倉とも書いた。はじめ姫路藩領、慶長18年(1613)備前岡山藩領、元和元年(1615年)宍粟藩領、延宝7年(1679年)幕府領、文政6年(1823)上野館林藩領、天保元年(1830)幕府領となり幕末に至る。明治22年奥谷村の大字となる。

【近代】戸倉 明治22年~現在の大字名。はじめ奥谷村、昭和31年からは波賀町の大字。

■道谷(どうだに)
引原川の支流道谷川流域。地名は、養父郡に通じる道、公文に通じる道、氷ノ山に通じる道と主要な道路が集まっている谷であることにちなむ。

【近世】道谷村 江戸期から明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、慶長18年(1613)備前岡山藩領、元和元年(1615年)宍粟藩領、延宝7年(1679年)幕府領、文政6年(1823)上野館林藩領、天保元年(1830)幕府領となり幕末に至る。
 神社は、阿於意(あおい)神社。同社はもと当村の南東権現山(藤無山1,139m)に祀っていたが、参詣が困難なため現在地に移転したという。明治22年奥谷村の大字となる。

【近代】道谷 明治22年~現在の大字名。はじめ奥谷村、昭和31年からは波賀町の大字。昭和58年4月道谷小学校で山村留学制度を開始。

◇今回の発見:
・鹿伏の名は、一度聞いたら忘れられない。昔その道を通った山伏もシカの多さに驚いたことだろう。
・道谷の地名に「道」がついたのは、道谷が因幡・三方・養父に通じる地であることによるという。


「E-宍粟」支援隊“そーたん’s” 

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