宍粟の地名(由来)の「地名の由来「有賀・上野・皆木」」
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地名の由来「有賀・上野・皆木」
【閲覧数】2,336 【マップカテゴリ】波賀町
2010年02月19日 12:00
今回は、「有賀・上野・皆木」(波賀町西谷地区)をとりあげます。

■有賀(ありが)
揖保川の支流引原川下流域に位置する。地名の由来は、一説に「新処」アラカのなまりで、中心地の「有ケ野」を新たに開墾してできた土地からと考えられる。

【近世】有賀村 江戸期の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、慶長18年(1613)備前岡山藩領、元和元年(1615年)宍粟藩領、慶安2年(1649)一部が幕府領となり、同領は西有賀村、宍粟藩領は東有賀村と称された。延宝7年(1679年)両村が幕府領となる。その後、西有賀村は延享3年(1746)上野館林藩領、宝暦2年(1752)幕府領、明和6年(1769)尼崎藩領、文政11年(1828)幕府領となり幕末に至る。
 元文2年(1737)の砂鉄流し見積もり改書(平瀬家文書)によると、「有ケ野」の真砂一升に鉄砂1匁八分が含まれているが、これは当村をさすのであろうか。当村は天保年間(1830~44)以前に東有賀村・西有賀村が分かれたと伝えられるが、時期不詳。
神社は安賀の八幡神社

【近代】有賀村 明治22年西谷村の大字となる。宍粟郡のうち。東有賀村と西有賀村が合併して成立。なお合併年代不詳。明治22年西谷村の大字となる。

【近代】有賀 明治初年~現在の大字名。はじめ西谷村、昭和31年からは波賀町の大字。昭和53年鉱山の鉱毒による田畑の汚染を改善するため、国・県の費用で圃場整備が実施された。

■上野(うえの)
揖保川の支流引原川の左岸、同川に合流する水谷川の流域に広がる。地名は町の上(北方)に位置する平地の集落であることにちなむ。波賀城址がある。

【近世】上野村 江戸期から明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。慶長国絵図には「上ノ村」とみえる。
神社は、波賀城主芳賀七郎光節が祀ったといわれる宝殿神社・明神社。なお、当村民は安賀村八幡神社の氏子でもある。幕末に伊藤徳兵衛が当村内に寺子屋を開いた。明治6年皆木村・飯見村と当村を通学区域とする簡易小学校開校。明治22年西谷村の大字となる。

【近代】上野 明治22年西谷村の大字となる。はじめ西谷村、昭和31年からは波賀町の大字。

■皆木(みなぎ)
引原川支流皆木川流域。地名の由来は、平地を残した大部分は森林に一面おおわれていることによる。

【近世】皆木村 江戸期から明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。慶長国絵図にみえる「見無村」は当村であろうか。はじめ姫路藩領、慶長18年(1613)備前岡山藩領、元和元年(1615年)宍粟藩領、延宝7年(1679年)幕府領、延享元年(1744)大坂城代堀田正亮領、同年上野館林藩領、宝暦2年(1752)大坂城代松平輝高領、同13年(1763)幕府領、明和6年(1769)尼崎藩領、文政11年(1828)幕府領となり幕末に至る。
元文2年(1737)の鉄砂流し見積り改書(平瀬家文書)に流田山では真砂一升のうちに鉄砂二匁2分が含まれていたとある。宝暦6年(1756)の鳩屋孫右衛門鉄山請負につき一札(皆木区有文書)によると、同5年から同8年まで山崎城下の千草屋源右衛門が「皆木村之内有ケ原鉄山」などを請負うことになっていたが、借銀高となったため請負が困難となっている。

 神社は、邇志神社。「延喜式」神名帳にみえる宍粟郡七座のうちの「迩志(にしの)神社」に比定される。同社は安産祈願に霊験あらたかといわれ、参詣する人々も多い。古くは神田・苅田などがあり祭儀も盛大に行われていたという。
なお、明治22年に当村など九カ村が合併して成立した西谷村は、この神社の名前を採ったといわれている。慶蔵(けいぞう)院跡がある。同寺開祖の南木慶蔵順広は赤松氏の家臣で、慶長年間(1596~1615)に没したという(波賀町誌)。明治22年西谷村の大字となる。西谷村の大字となる。

【近代】皆木 明治22年~現在の大字。はじめ西谷村、昭和31年からは波賀町の大字。

◇今回の発見
・波賀町の地名には、「が」及び「か」と発音する地名には、祝福の意「賀」の字を当てたものが幾つかある。例えば、波賀・安賀・有賀。
・慶長国絵図にのみ記述されていて、当時の古文書とちがった字形・呼び名の地名がかなり見受けられる。今回は皆木が「見無村」(推定)とある。当て字なのか、皆木と付けられるまで使われていたのか。少ない資料の中で、地名の変遷を知ることの難しさを感じる。

※しそうの逸話「波賀城の名馬」をご覧下さい。
http://shiso-sns.jp/blog/blog.php?key=7061
※今日のげん木1本「波賀 宝殿神社の社叢」をご覧下さい。
http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=6569&…;bbs_id=94

「E-宍粟」支援隊“そーたん’s”

▼波賀西谷地区 ▼水谷 明神社の獅子舞

 

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上野波賀城蹟
【返信元】 地名の由来「有賀・上野・皆木」
2010年03月02日 10:09
上野波賀城蹟(うえのはがじょうせき) (波賀町上野2-51)

 13世紀中頃、地頭として埼玉県秩父郡からこの地に移って来た中村氏や大河原氏が城主となり、ここを拠点にして赤松氏などの支配下で勢力を維持したものと思われ、戦国時代末期にさらに拡張・整備し、羽柴秀吉が播磨を制圧した時に、北の守りの拠点となった可能性も考えられる。この城は山陽道と日本海側を結ぶ因幡道や、それと千種を結ぶ街道、三方に通じる街道を眼下にする戦略的な位置にある。ほとんど独立した山に築かれたため麓から本丸までの距離が短いので途中に多くの「郭(くるわ)」を作って縦深をとっている。また、西側に小山(古城)を築き、一帯となって敵軍を防ぐ工夫もしている。現在「波賀城史蹟公園」として整備されている。

(文:しそうの文化財、写真:宍粟の文化財、宍粟のあゆみ)