宍粟の地名(由来)の「地名の由来「日見谷・谷・小野」」
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地名の由来「日見谷・谷・小野」
【閲覧数】3,378 【マップカテゴリ】波賀町
2010年02月17日 13:10
今回は、「日見谷・谷・小野」(波賀町西谷地区)をとりあげます。

■日見谷(ひみたに)
揖保川の支流引原下流域。地名は、山林に囲まれた渓谷の当地からの平地も広がり、視野も広がるので日を見る地とされたことによる。

【近世】日見谷村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、慶長18年(1613)備前岡山藩領、元和元年(1615年)宍粟藩領、延宝7年(1679年)幕府領、延享元年(1744)大坂城代堀田正亮領、同年上野館林藩領、宝暦2年(1752)大坂城代松平輝高領、同13年(1763)幕府領、明和6年(1769)尼崎藩領、文政11年(1828)幕府領となり幕末に至る。
神社は、火魂(ほむすび)神社。(地元では「かこん」ともよぶ)境内に県指定天然記念物の※大ムクノキがある。明治20年谷村・小野村と当村を通学区域として研精小学校開校。明治22年西谷村の大字となる。

【近代】日見谷 明治22年~現在の大字。はじめ西谷村、昭和31年からは波賀町の大字。昭和59年圃場整備完了。

■谷(たに)
揖保川の支流引原川下流域。山々に囲まれた渓谷で古くから播磨街道の要所にあたり、豊富な谷川の水を利用して耕地が広がり、早くから人々が集落を営んでいた。地名は、山間の水流近くで地形のくぼんだ所からと考えられる。

【近世】谷村 江戸期から明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、慶長18年(1613)備前岡山藩領、元和元年(1615年)宍粟藩領、延宝7年(1679年)幕府領、文政6年(1823)上野館林藩領、天保元年(1830)幕府領となり幕末に至る。当村から下小野村が分村。なお、下小野村の分村は寛文(1661~73)前後と考えられる。明治7年に小野村と合併。
神社は、三嶺(みつみね)神社。同社は安政6年常陸国鹿島郡より、当時の庄屋与三兵衛が村内の安寧(あんねい)を祈るために勧請したという。

【近代】谷 明治22年~現在の大字。はじめ西谷村、昭和31年からは波賀町の大字。

■小野(おの)
揖保川の支流引原川下流域。地名は、山と山に囲まれた渓谷の中にわずかな(ちいさな)平地(ひろがり)があることによる。引原川沿いに※柳の大樹がある。

【中世】小野村 鎌倉期~室町期にみえる村名。播磨国宍粟郡三方西のうち。正応3年(1290)
8月2日の関東下知状(中村甚太郎家文書)によると「播磨国小野村」の在家一宇は中村氏馬充光時の遺領で、その後家光阿が分割相続し、同日に鎌倉幕府の安堵を受けている。在家一宇には光国名の田七段20歩と御園(みその)とよぶ田三段が付属しており、三方西小野村の地頭職を示している。御園は引原川左岸の現波賀町谷の集落溝野(みぞの)と推定される。

【近世】小野村 江戸期から明治22年の村名。宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、慶長18年(1613)備前岡山藩領、元和元年(1615年)宍粟藩領、延宝7年(1679年)幕府領、延享元年(1744)大坂城代堀田正亮領、同年上野館林藩領、宝暦2年(1752)大坂城代松平輝高領、同13年(1763)幕府領、明和6年(1769)尼崎藩領、文政11年(1828)幕府領となり幕末に至る。

 神社は、諏訪神社。同社は中世には武蔵丹党に出身をもつ中村氏の氏神として祀られたと考えられる。引原川支流の小野川上流に県指定天然記念物の※大トチノキがある。明治7年下小野村を合併。明治22年西谷村の大字となる。

【近代】小野 明治22年~現在の大字。はじめ西谷村、昭和31年からは波賀町の大字。

◇今回の発見:火魂神社、最初はどう呼んでいいのかわからなかった。地元ではかこんと呼ぶが、本来は「ほむずび」だという。そのほうがしっくりはするが・・・。

※今日のげん木1本「波賀 日見谷の大ムクノキ」をご覧ください。
http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=5957&…;bbs_id=94
※今日のげん木1本「波賀 小野の大トチノキ」をご覧ください。
http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=6858&…;bbs_id=94
※今日のげん木1本「波賀 小野のメグスリノキ」を具ラン下さい。
http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=6979&…;bbs_id=94
※今日のげん木1本「波賀 小野のアカメヤナギ」をご覧ください。
http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=6219&…;bbs_id=94
※今日のげん木1本「波賀 諏訪神社の大スギ」をご覧ください。
http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=6693&…;bbs_id=94

「E-宍粟」支援隊“そーたん’s” 

書き込み数は14件です。
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ]
Re[2]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
【返信元】 Re: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
2010年04月27日 12:15
>アイテツさん

 埼玉県の歴史情報ありがとうございます。中村氏・大河原氏が武蔵野国秩父から遠路はるばる宍粟の山地、三方西の地頭としてやってきたのは鉄資源の幕府管理というねらいがあったのでしょう。
 アイテツさんの言われる刀の製造の年代や動機をさぐることが日本刀のふる里の解明の糸口になるようにも思います。

 この刀の製造後、10年経たない1333年に約150年続いた鎌倉幕府が足利尊氏に滅ぼされ、室町幕府の世になる。地頭の首はすべて挿げ替えがあったのでしょう。
 
Re: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
【返信元】 地名の由来「日見谷・谷・小野」
2010年04月26日 14:14
タケネットさん。
「埼玉県の歴史」に次ぎの叙述がありました。
「大河原郷(埼玉県東秩父)を本貫地とする大河原氏は、時期は不詳であるが、本宗家である丹党の中村氏にしたがって播磨国三方西に移住していた。そして、この大河原氏が備前長船(岡山県長船町)の名工左兵衛尉景光につくらせた三振りの短刀や太刀が現存しており・・・」
 とあります刀工は長船ですが、鉄は地元なのではないでしょうか。短刀が一三二三年、太刀が一三二五年、一三二九年の太刀もあり、作られた年代が興味深いです。なぜ刀を作るのか、という動機が年表と比較すると浮かびあがってくるようです。
Re[8]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
【返信元】 Re[7]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
2010年04月20日 00:07
やすこさん、
旧家なんですね。それも鎌倉時代に遡るのですね。諏訪神社は武家館によくまつられます。狩人も信仰しますが、社となるとやはり武家館です。
庶民の墓は、元禄時代から出現しますので、彦六さんは相当な方だったのでしょうね。

(里見氏の那波家を難波と変換ミスしました。老眼なので失礼をお詫びいたします)
Re[7]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
【返信元】 Re[6]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
2010年04月17日 18:20
お調べ下さってありがとうございます。
 難波?(灘波?)彦六という人が、諏訪さんのご分霊を背負って関東からやってきた(小野に諏訪神社があります)、その負い蔓が家に残っていたが昭和のはじめ(?)に家が火事になって焼けた。火事になって灘波は嫌なので北に川があるから北川に変えたそうな、と母に聞きました。

 彦六さんの墓は、元は家の近くにありましたが、20年くらい前に共同墓地の入り口に移しています。その経緯はよく知りません。
 
 その後(室町ごろ?)灘波氏は岡山県の東部へ移った、神崎町(兵庫県神崎郡)へも移った、と近くの歴史好きなおじさんに聞いたことがあります。
Re[6]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
【返信元】 Re[5]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
2010年04月17日 02:09
やすこさん
有難うございます。
御先祖の難波氏ですが、鎌倉・室町の人名事典では、京都のお公家さんで、鎌倉幕府執権・北条時頼の蹴鞠の師匠がおります。那波氏なら間違いなく関東の人です。鎌倉幕府引付衆です。幕府崩壊で、縁のあるそちらえとも考えられますが・・・

戦国時代ですと安房(房総半島)の里見氏の家臣団に難波治郎左衛門がおります。加増を受けたので「侍分限帳」に記載されております。里見氏は、徳川家康の金山奉行の大久保長安と姻戚関係にありますので、鉱山や製鉄に関係する地に長安配下で御当地に赴任していたかも知れません。なお、剣術の小野派一刀流の開祖は一説に戦国末期・江戸初期に安房に生まれた、といわれます。
こちらの方が刀剣と小野・難波の全てが重なりますね。

もう少し調べてみます。
それにしても、この関東との交流は、御当地がいかに重要な地だったかを物語っているように思います。楽しいですね。
Re[5]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
【返信元】 Re[4]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
2010年04月12日 10:48
八幡大菩薩願主武蔵国秩父郡大河原入道沙弥蔵蓮同左衛門尉丹治朝臣時基 備前国長船左兵衛尉景光進士三郎景政播磨国宍粟郡三方西造之 と刻んであり、武蔵国秩父八幡宮に奉納したのは鎌倉末期正中2年(1325)、姫路広峰神社のは嘉歴2年(1327)と書いてあります。『幻の千種鋼ー和鉄史の一断面』山上勝一郎著 昭和57・1・10 姫路市 中央出版社(0792・24・3135)。この他に、20年くらい前にNHKの”播磨史を歩く”とか言う番組が小野であり、参加したとき、宮内庁にも一振りあると聞いたと思うのですがその時の小パンフが見当たりません。
 私の本籍地が小野で、関東から来た灘波という人の末裔との話を母などから聞いた事があり興味はあるのですが、アイテツさんへのお答えが出来るかどうか?です。
Re: 日本刀のふるさと・小野
【返信元】 日本刀のふるさと・小野
2010年04月11日 00:55
タケネットさん。
お陰さまで終わりました。

間違いなく江戸時代にも千草鉄で刀が作られております。三方が幕領であったのは、そのためです。
刀剣関係の近世の史料を当ると地名が出てきそうです。大坂代官の史料などに登場するかもしれません。
Re[4]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
【返信元】 Re[3]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
2010年04月11日 00:46
やすこさん、突然で失礼いたします。アイテツと申します。
「長船景光・景政に宍粟郡三方西で造らせた」のは、いつ頃(何時代)のお話でしょうか。非常に興味深いので、失礼をも顧みずお尋ねしてしまいました。
Re[3]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
【返信元】 Re[2]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
2010年04月11日 00:37
タケネットさん、お世話になってます。
単純な本にでてました。山川出版の県史シリーズ「兵庫県の歴史」に、宍粟郡は近世でも「名刀を作るのに欠かせない千草鉄の産地」とあり、山崎から積み出した、とありました。
幕領が置かれたのは、山林資源もさることながら、名刀に欠かせない千草鉄の管理もあったのではないでしょうか。
幕領は基本的に幕府の兵站部門です。「いざ」という場合のために鉄の産地を見はってた可能性があります。大坂代官の管轄地域として正式に記録されてました。
日本刀のふるさと・小野
【返信元】 地名の由来「日見谷・谷・小野」
2010年03月11日 15:15
「日本刀のふるさと・小野」という看板が諏訪神社の近くに立てられていいましたので、紹介します。

 この地波賀(三方西)に備前長舟の刀匠を何度も招いたとあり、小野は中村氏・大河原氏と呼ばれた丹治氏の一族の本拠であり、ここで刀が鍛えられた可能性が大きいということと、また、段林遺跡からたたらの炉が見つかっており、小野で採れた鉄で作られたかも知れないということ。

「ここは日本刀のゆかりの歴史とロマンの里なのです」と結んであった。



「E-宍粟」支援隊“そーたん’s” 
Re[5]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
【返信元】 Re[4]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
2010年03月03日 12:17
 でも、これは定説になっているようで、小野集落の南の入り口に"名刀のふるさと"の表示板が波賀教育委員会(だったと思う)の名で立てられています。おついでの時見ておいてくださいね。
Re[4]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
【返信元】 Re[3]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
2010年03月02日 14:32
見つけました。大河原氏について次のようなことが波賀町誌に書かれていました。簡単にまとめると

大河原氏の本領は安賀。千草城の包里氏を討って文明17年(1485)より、城主となる。

備前長船住の刀匠に太刀を造らせ、次の神社に奉納している。

1、生国(武蔵野国秩父郡)の秩父神社
2、波賀町上之方八幡宮(波賀八幡神社)
3、播磨国広峰神社

秩父神社の太刀の銘には
「願主武蔵野国秩父郡大河原入道沙弥蔵蓮・同左衛門尉丹治朝臣時基於播磨国完粟郡三方西造之 作者備前長船左衛門景光・進士三郎景政 正中2年7月」とある。

波賀八幡神社の太刀の銘には
「備州国住長船次郎左衛門尉勝光作 波賀上之方八幡宮為御剱末代天文9年吉日 丹治大河原備中守之清奉籠之也」とある。

秩父神社の太刀の銘の「於播磨国完(宍)粟郡三方西造之」の解釈ですが、刀匠の職人は備前長船で、小野又は三方西内まで来て鍛えたとは思えないのですが・・・?。


Re[3]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
【返信元】 Re[2]: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
2010年02月24日 12:02
国立博物館と宮内庁にある刀の銘に、武蔵国大河原氏が長船景光・景政に宍粟郡三方西で造らせたとあり、小野が大河原氏の所領だったので小野で打ったとみてよい。という話ですが、私は前にNHKの兵庫史を歩くの時、講師の先生から聞きました。その時の資料が今見当たらないのでさがします。
Re: 地名の由来「日見谷・谷・小野」
【返信元】 地名の由来「日見谷・谷・小野」
2010年02月19日 14:03
小野といえば、名刀のふるさと。ぜひ書き込んでくださいね。