宍粟の地名(由来)の「地名の由来「福野・河原田」」
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地名の由来「福野・河原田」
【閲覧数】2,996 【マップカテゴリ】一宮町
2010年02月09日 15:34
今回は、「福野・河原田」(一宮町三方地区)をとりあげます。

■福野(ふくの)
 揖保川の上流に位置し、村域は右岸を主として左岸にもまたがる。山地・台地・河岸段丘・平地など複雑な地形を呈している。地名は、原野を開発して得た土地を祝福する意味をこめて名付けられた。

【近世】福野村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。「正保郷帳」では、福里村として見え、「元禄郷帳」では「古くは「福里村」と肩書されている。はじめ姫路藩領、慶長18年(1613)備前岡山藩領、元和元年(1615年)宍粟藩領、延宝7年(1679年)幕府領となり幕末に至る。
 当村に居住していた大庄屋田路七兵衛は、天明の飢饉を救済した功により、寛政4年(1792)幕府から苗字の使用を許されている(田路家文書)。文政8年(1825)の三方騒動では当村からも参加者があり、当村の七兵衛宅・七太夫宅も一気に襲われた。捕縛者一人を出し、村へ過料銭も科せられている(一宮町史)。
 俳句が盛んで、文化年間(1804~18)の三方谷を中心とした句集「諸方抜句集」(土居家文書)に当村の俳人21人の名が岸田村の11人などとともにみえる。産土神は三王神社。
 
【近代】明治22年~現在の大字名。はじめ三方村、昭和31年からは一宮町の大字。

※福野の三王神社
http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=86

■河原田(かわはらだ)
 揖保川支流の高野(たかの)川流域および阿舎利(あじゃり)川の流域にまたがる。地名は、高野川と阿舎利川が合流するあたりの河原に開発耕田されたことによる。当村の南部から西部にかけて高野峠から波賀に至る街道があり、開通は中世にさかのぼるという。

【近世】河原田村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。元和元年(1615年)宍粟藩領、延宝7年(1679年)幕府領。北西端の阿舎利山には現在鉄山関連の遺跡が残る。
延宝7年(1679年)までは村役人うち年寄は三人であったが、同年幕府領となってからは一人となっている。文政8年(1825)の三方騒動では当村からも参加者があり、捕縛者は二人で、当村の山本神職は一揆を説得した一人であった(一宮町史)。
 伝統行事として現在も続く川スソ祭がある。旧暦六月晦日(現在は7月30日)高野川と阿舎利川の合流点の岸辺に祭場を建て、はだしで参拝し足を洗って帰る。
産土神は、八幡神社。境内に県指定有形民俗文化財の河原田農村芝居堂があり、本殿に対向して建てられている。明治34年頃に建てられた当時は入母屋造の茅葺であったが、現在は銅板葺で、床下に奈落があり、楽屋にあてられている。上手に太夫座、下手に高座があり、花道は左右両側に設けられて、回り舞台・二十上段引分け・上段押出し・反し壁などの舞台装置を有する。秋祭りや川スソ祭で獅子舞や歌舞伎が上演されたが。昭和30年代に入ってから歌舞伎はみられなくなった。宍粟郡一帯に数多く存在した農村歌舞伎舞台のうち、保存状態のよい代表的遺構である。
 寺院は、真言宗大日山正福寺、同寺の本尊木造大日如来座像は藤原風の様式を伝えるものといわれ、県指定文化財。明治22年三方村の大字になる

【近代】河原田 明治22年神戸村の大字名になる。はじめ三方村、昭和31年からは一宮町の大字。明治36年に完工した河原田八幡神社の河原田農村芝居堂は、昭和44年軒有形民族文化財に指定された。

◇今回の発見
・天明の飢饉に救済の功で幕府から功を受けた福野の大庄屋田路家がその33年後三方騒動では逆に一揆の標的にされている。農村は厳しい状況に追い込まれていることがわかる。
・そのような中でも、人々は農村歌舞伎や芝居を楽しみ、文化年間は、福野村を中心に俳句が盛んになりさらに和歌なども詠まれ、地方の文芸文化が生まれている。

※河原田の八幡神社
http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=5085&…;bbs_id=86


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▼三方村地図  ▼正福寺大日如来座像(河原田)

書き込み数は4件です。
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ]
福野小字配置図
【返信元】 地名の由来「福野・河原田」
2011年10月25日 09:54
福野(ふくの)の小字配置図をUPします。「一宮町小字図地名集」より

●縄文・古墳~中世
竪穴住居や中世の遺構が確認されています。
●江戸時代
田135石余り、畑76石余り。(正保郷帳)
寛文~延宝年間(1661~81)の田6町3反余り、畑8町5反余り、家数17、人数106.
●明治時代
明治14年(1881)の戸数45、人口222。


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河原田小字配置図
【返信元】 地名の由来「福野・河原田」
2011年10月24日 10:32
河原田(かわはらだ)の小字図をUPします。「一宮町小字図地名集」より

●江戸時代
山間部で砂鉄を原料とするたたら製鉄が行われています。
田206石余り、畑75石余り。(正保郷帳)
寛文~延宝年間(1661~81)の田10町9反余り、家数41、人数234。
●明治時代
明治14年(1881)の戸数127・人口578.

「E-宍粟」支援隊そーたんs
河原田の農村芝居堂
【返信元】 地名の由来「福野・河原田」
2010年05月10日 11:20
河原田の農村芝居堂  (兵庫県指定有形文化財)

 町域では江戸時代の終わりごろから昭和の初めにかけて村芝居が盛んに演じられ、かつては多くの農村舞台(芝居堂)が建てられていました。河原田八幡神社の芝居堂は、明治36年(1903)に建てられたもので、舞台右手に太夫座(三味線などをひく人が座る場所)、左手に高座(唄や語りをする人が座る場所)を設け、皿回し式の舞台や天井のからくりなど、すぐれた装置をそなえています。 (「しそうの文化財」より)
Re: 地名の由来「福野・河原田」
【返信元】 地名の由来「福野・河原田」
2010年02月15日 22:17
河原田(かわはらだ)
といえば、河原田不動滝があるところですね。
のどかで良い所・・・
いろんな歴史があるのですね、勉強になります。