宍粟の地名(由来)の「地名の由来「東市場・西安積・安積」」
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地名の由来「東市場・西安積・安積」
【閲覧数】3,547 【マップカテゴリ】一宮町
2010年02月02日 14:50
今回は、「東市場・西安積・安積」(一宮町神戸地区)をとりあげます。

■東市場(ひがしいちば)

揖保川と染河内(そめごうち)川合流点。地名は中世に伊和神社近くの貞安名と呼ぶ名田内に市場が存在したことに由来すると思われる(伊和神社文書)

【近世】市場 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。もと須行名村の一部、寛文2年(1662)同村から分村して成立したと思われる(伊和神社文書)。元和元年(1615年)宍粟藩領、慶安2年(1649)幕府領、享保元年(1716)からは安志藩領。

【近代】東市場村 明治12年~22年の村名。宍粟郡のうち。江戸期の市場村が同郡内に2か村あるために改称して成立。もう一つの市場は山崎町菅野地区にある。

【近代】東市場 明治22年~現在の大字名。はじめ神戸村、昭和31年からは一宮町の大字。


■西安積(にしあづみ)

引原川最下流域に位置する。地名の由来は、下記の安積と同じ。
【近世】西安積村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、慶長18年(1613)備前岡山藩領、元和元年(1615年)宍粟藩領、延宝7年(1679年)幕府領、元禄10年(1697)からは三日月藩領となり幕末を迎える。

 冬の重要な農間余業として炭焼ができる入会山はとくに運上山として指定されたが、当村は源一宮町域でも上位の山持で、「近世千草鉄山資料」も乗取山雑木六万五千本と記される。

 産土神は八幡神社。同社は当村のほかに閏賀・杉田、波賀町日見谷・谷の各村氏神でもある。寺院は、天台宗長陽山普門寺。同寺はこの地域では珍しい天台宗の寺で、檀家も広域にわたっている。免租大神の碑は、享保3年(1718)に三日月藩主に対して年貢減免を直訴して死罪に処せられた訴願同志六人を安置奉斎したものである。明治22年神戸村の大字となる。

【近代】西安積 明治22年~現在の大字名。はじめ神戸村、昭和31年からは一宮町の大字。


■安積(あづみ)

揖保川とその支流引原川の合流点北、花咲山の西麓。地名の由来は、中世において安積保や三方西庄の荘司公文に任ぜられていた武家であり、土豪でもあった安積氏の居館があったことに由来するといわれる(安積文書)。

【中世】安積保 鎌倉期~戦国期に見える保名。播磨国宍粟郡のうち。宝永5年(1708)の「播州宍粟郡誌」に揖保川上流とその支流の引原川の合流点付近の7か村を一括して「俗に安積庄と云う」とあり、現在の一宮町中部に比定される。この地域には、安積・西安積の大字が現存する。元弘3年5月10日、安積守氏が足利高氏 配下に加わった着到状に「播磨国御家人安積保下司公文・三方西安積四郎左衛門入道光阿子息、太郎兵衛尉守氏」とあり(安積文書、一宮町史)鎌倉末期には安積保が成立しており、安積氏が下司公文職にあったことが知られる。
 その後、文和4年2月5日付の安積盛兼宛赤松則祐の恩賞還捕状に「本領播磨国安積保〈下司・公文〉両職とある。はじめ足利氏に属していた安積氏は、赤松氏の播磨国守護職就任後にはこれに従い、代々下司公文職として安積保の支配を強化した。元亨(1321~24)年間には、安積盛氏(守氏)が保内に瑞泉寺山城を築き、天正(1573~1592)年間安積将監の時に廃城となるまで居城したという(赤松家播備作城記)。

天正8年(1580)羽柴秀吉による播磨平定に、安積氏は赤松則房に従って秀吉軍に属した(安積文書・一宮町史)。秀吉軍による長水城(山崎町)陥落後、安積将監は河東(山崎町)の100石を加増された(同前)。長水城の落城後、宍粟郡一円は神子田半左衛門領、同12年には、黒田孝高、同15年には龍野城主木下勝俊の所領となった。その後、杉原伯耆が宍粟郡を領したというが(宍粟郡守令交代記)、時期などは不詳。
 なお、一宮北端の富土野鉱山の銀・銅の採掘・輸送業者が結成していた諸座に対し、運上銀の納入を命じた慶長6年(1601)8月4日付の文書にも、池田輝政とともに彦兵衛(安積盛祐)・又左衛門(安積盛秀)が署名しており、鉱山と山崎・姫路を結ぶ街道の要地の有力者として安積氏が活動を続けていたことが知られる。

【近世】東安積 江戸期~明治12年の村名。当村から構村が分村、分村時期は不詳。はじめ宍粟藩領、延宝7年(1679年)幕府領、享保元年(17169から幕府・安志藩の相給。
神社は、八幡神社。同社は文明年間勧請と伝えられる。寺院は、延宝5年(1677)建立と伝える臨済宗大成庵禅寺。

【近代】安積村 明治12年~22年の村名。宍粟郡のうち。東安積村と構村が合併して成立。明治12年安積警部派出所設立。同22年神戸村の大字となる。

【近代】安積 明治22年~現在の大字名。はじめ神戸村、昭和31年からは一宮町の大字。

◇今回の発見
・東市場の東が付いた理由。安積は中世からの安積氏の居住地であったこと。富土野鉱山の繁栄が山崎への道の整備と山崎城下町に富土野町をつくらしめたといわれる。
・西安積の普門寺に年貢減免の直訴による死罪者の碑がある。


※今日のげん木1本「一宮 安積八幡神社のイチョウ」をご覧ください。
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※しそうの地名由来一覧
http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=102

「E-宍粟」支援隊“そーたん’s”

書き込み数は3件です。
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ]
東市場小字配置図
【返信元】 地名の由来「東市場・西安積・安積」
2011年09月20日 10:38
東市場の小字配置図をUPします。「一宮町小字図地名集」より

東市場(ひがしいちば)

●中世
東方の宮山山頂に岡城(おかじろ)跡が残されている。
●江戸時代
寛文~延宝年間(1661~81)の田26町余り、畑5町3反余り、家数43、人数288、馬12、牛51.
●明治時代
明治14年(1881)の戸数107・人口447。

「E-宍粟」支援隊そーたんs

▼配置図         ▼小字(読み)一覧
西安積小字配置図
【返信元】 地名の由来「東市場・西安積・安積」
2011年09月15日 11:37
西安積の小字配置図をUPします。「一宮町小字図地名集」より

西安積(にしあずみ)

●古代 
縄文時代から弥生時代の土器などの出土が見あります。
●江戸時代
寛文~延宝年間(1661~1681) 田8町6反余り、畑6町2反余り、家数21、人数127、馬8、牛25.
●明治
明治14年(1881)の戸数63、人口372.

「E-宍粟」支援隊そーたんs

▼小字図   ▼小字(読み)一覧
安積小字配置図
【返信元】 地名の由来「東市場・西安積・安積」
2011年09月13日 11:24
安積の小字配置図をUPします。「一宮町小字図地名集」より

■安積(あずみ)
現在の自治会:曲里(まがり)・嵯峨山(さがやま)・中安積(なかあずみ)・三林(みはやし)

●揖保川と引原川の合流地点の北側一帯と揖保川の東岸に平地が広がり山麓にかけて集落が展開しています。
●集落内を国道29号線が通り、安積橋東詰で主要地方道養父山崎線が分岐する交通の要衝です。
●中安積・三林では縄文時代・弥生時代の土器の出土が知られる。安積山遺跡では、平安時代末の大規模な製鉄遺跡が確認されています。
●中世には安積保が置かれ、下司公文職を勤めた安積氏の館跡・安積城が残されています。
●明治14年(1881)の戸数138・人口585。

「E-宍粟」支援隊そーたんs

▼小字図   ▼小字(読み)一覧