宍粟の地名(由来)の「地名の由来「伊和・須行名」」
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地名の由来「伊和・須行名」
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2010年02月01日 16:24
今回は「伊和・須行名」(一宮町神戸地区)をとりあげます。

■伊和(いわ)神戸盆地のほぼ中央部、岡城川下流域に位置し、東方は岡城川の尾根続きの丘陵。

【古代】伊和郷 奈良期~平安期に見える郷名。「和名抄」播磨国宍粟郡八郷の1つ「風土記」に伊和村と見え、石作里の旧名で、本来の名は神酒(みわ)あるいは於和(おわ)村という。石作里は揖保川上流とその左岸に注ぐ染河内川の合流点から南、揖保川とその左岸に注ぐ梯川の合流点付近までを指したから、当時の伊和村の領域もほぼこのあたりと考えられる。「和名抄」には、伊和郷とともに石作郷が見える。伊和郷は、「風土記」に見える石作里の北半とその北隣の雲箇里が合併して成立したと推定される。宝永5年(1708)の播州宍粟郡誌」にある伊和郷にあたり、一宮町伊和が遺称地で、現在の一宮南部の平野部と、揖保川の支流引原川流域の波賀町一帯を含む。「延喜式」神名帳に「伊和坐大名持御魂神社〈名神大〉とあり、染河内川と揖保川の合流点の南方、揖保川左岸の平野部に鎮座する播磨国一宮・伊和神社に比定される。

【中世】岩村 平安末期~室町期に見える村名。宍粟郡のうち。永久3年(1115)2月5日付の伊和神社宛源朝俊寄進状に「真光寺敷地荒野事、合一所、在岩村」とある(伊和神社文書)。
伊和神社の東方に現在も通称岩村があり、岩村はこれを中心にした伊和神社周辺の地域をいうものと考えられるが、明確ではない。なお、「和名抄」に見える伊和郷としており、岩村もそのうちの1村であった。ただし、中世においても稀にはこの地域を伊和郷と呼んだようで、室町期に成立した「峯相記」には、「一宮伊和大明神者、完粟(宍粟)郡伊和郷に坐す」とある(続群28上)

【近世】伊和村 江戸期~明治22年の村名。宍粟郡のうち。もと神戸村の一部。寛永19年(1642)山崎藩主松平康映の時に神戸村は須行名を分村し、さらに寛文9年(1669)神戸村は伊和安黒村に分村したと伝えられる(伊和神社文書)。元和元年(1615)宍粟藩領、延宝7年(1679)幕府領、明和6年(1769)からは幕府・摂津国尼崎藩の相給。
 寺院は、永禄12年(1569)智海僧正開基と伝える真言宗平位山神福寺。明治22年神戸村の大字になる。

【近代】伊和 明治22年神戸村の大字になる。はじめ神戸村、昭和31年からは一宮町の大字。

■須行名(すぎょうめ)

揖保川上流左岸、岡城山西麓。地名は、中世伊和神社付近に発達した名田の呼称に由来するといわれる。

【近世】須行名村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。もと神戸村の一部、寛永19年(1642)山崎藩主松平康映の時に分村して成立したと伝えられ、さらに寛文2年(1662)当村から市場村が分村したという(伊和神社文書)。はじめ宍粟藩領、延宝7年(1679年)幕府領、享保元年(1716)安志藩領。」「元禄郷帳」では「古くは神戸市場村」と肩書きされて見えるが「正保郷帳」の神戸村を指すと思われる。

神社は、播磨地方全域の守護神として信仰されてきた明神大社で播磨一宮伊和神社。なお、隣村伊和村神福寺の管理する名畑観音堂の梵鐘には、新田義貞が伊和神社に寄進した梵鐘が損傷したため江戸期に鋳直したことを刻印した釣鐘がある。明治22年神戸村の大字になる。
※伊和神社 http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=4747&…;bbs_id=86

【近代】須行名 明治22年~現在の大字名。はじめ神戸村、昭和31年からは一宮町の大字。伊和神社では古くから伝わる神社特有の祭儀として、21年目に宮山を奉斎する一つ山祭と61年目に三つ山祭(花咲・白倉・高畑)を奉斎する三つ山祭(甲子祭)が執行される。ちなみに昭和59年(甲子)はあたり年ということで三つ山大祭の行事が10月13日~16日にわたり斎行された。

◇今回の発見:神戸盆地は、揖保川上流の地では大きな盆地で、古代遺跡・古墳が数多く発見されている。風土記の英雄伊和大神の里である。読みの難解な須行名は、名田の呼び名からという。

※今日のげん木1本「一宮 伊和神社の社叢」をご覧ください。
http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=6716&…;bbs_id=94
※しそうの地名由来一覧
http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=102


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           ▼伊和中山古墳群  ▼神戸地区の遺跡分布図

書き込み数は5件です。
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ]
名畑観音堂の梵鐘
【返信元】 地名の由来「伊和・須行名」
2011年11月09日 12:03
名畑観音堂(梵鐘等)写真をUPします。

名畑観音堂の梵鐘(ぼんしょう)は、貞享2年(1685)の鐘銘には、新田義貞の発願で鋳造し、神戸郷伊和大名神に寄進したものとある。

万治3年(1660)損傷して鋳造、寛文6年(1666)に鋳直し、貞享2年(1685)に再鋳したと伝えられる。(一宮町史)

「冶工(やこう) 播州姫路京口之住 小野市兵衛尉藤原家信」による。

※戦時中の金属供出を免れたのは、下帯に天皇家の菊花紋があったためと考えられます。

「E-宍粟」支援隊そーたんs
伊和小字配置図
【返信元】 地名の由来「伊和・須行名」
2011年09月22日 10:01
伊和の小字配置図をUPします。「一宮町小字図地名集」より

伊和(いわ)

●古墳時代
中央部の丘稜上に、全長62mの前方後円墳を含む伊和中山古墳群が築かれています。
●平安時代
東山の山腹で平安時代末頃の瀧ノ内経塚が発見されています。
●江戸時代
近世初期の神戸村の一部で寛永19年(1642)に須行名が分村し、さらに寛文9年(1669)伊和村と安黒村が分かれたと伝えられています。
寛文~延宝年間(1661~81)の田25町2反、畑6町7反余り、家数49、人数285人、馬8、牛34。
●明治時代
明治14年(1881)の戸数81・人口363。

「E-宍粟」支援隊そーたんs

▼小字配置図  ▼小字(読み)一覧
須行名小字配置図
【返信元】 地名の由来「伊和・須行名」
2011年09月21日 10:32
須行名の小字配置図をUPします。「一宮町小字図地名集」より

須行名(すぎょうめ)

●古墳時代
中期に竪穴住居が確認された伊和遺跡、円墳の一つ山古墳(県指定)があります。
●中世~近世初期
中世の神戸庄、近世初期の神戸村の一部で、寛永9年(1642)に須行名が分村したといいます。
●江戸時代
寛文~延宝年間(1661~81)の田23町2反余り、畑9町余り、家数49、人数278、馬4、牛42.
●明治時代
明治14年(1881)の戸数80・人口313.

「E-宍粟」支援隊そーたんs

▼小字配置図  ▼小字(読み)一覧
Re[2]: 地名の由来「伊和・須行名」
【返信元】 Re: 地名の由来「伊和・須行名」
2010年02月03日 18:25
コーゾーさんへ

そんなつながりがあったのですね。記録が残っていれば、先祖の足跡が確かなものになりますね。
安志藩の記録について町史や地元の歴史研究者や古文書に携わった方に話をきく機会があれば、確かな返事ができると思います。
Re: 地名の由来「伊和・須行名」
【返信元】 地名の由来「伊和・須行名」
2010年02月01日 18:24
タケネットさん、
須行名が享保年間に安師藩であったとあります。
実は、じ様からご先祖様が伊和神社の普請をした、と
聞いたことがありました。安師藩で伊和神社の社などの
建築をした、という記録はありませんでしょうか。