宍粟の地名(由来)の「地名の由来「上ノ・小茅野」」
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地名の由来「上ノ・小茅野」
【閲覧数】1,473 【マップカテゴリ】山崎町
2010年01月20日 12:03
今回は、「上ノ・小茅野」(山崎町蔦沢地区)をとりあげます。

■上ノ村(かみのむら)

揖保川の支流伊沢川の上流域。伊沢川の中流以北の地域を都多谷と呼ぶが、中世の都多村でもあって、地形上からも一地域を形成している。地名はこの地域の最北部を占めることによる。

【近世】上ノ村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。江戸期は都多上ノ村・上野村とも書いた。慶長播磨国絵図(天理図書館蔵)では「阿波田村」とも見え、当村の別称とも思われる。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)からは山崎藩領、延宝7年(1679年)幕府領(姫路藩預り地、京都代官所支配、三日月藩預り地、大坂谷町・生野各代官所各支配)、明和6年(1769)摂津国尼崎藩領、のち再び幕府領(大坂谷町、生野、再び大坂谷町支配)。

当村の村役人は庄屋2人・年寄4人で上ノ上・上ノ下に分けて置かれた。地内の野々角山・岩神に鉄山があり、たたら製鉄を行った。当村内には鉄砲44挺があり、すべて狩猟用。また野々角山には木地師が居住し、椀・盆・杓子(しゃくし)などを作っていた。

神社は、岩神神社・須賀神社・熊野神社。岩神神社は高さ1丈余の巨石を神体とし、同岩より上の地域は古くから木を伐採しなかったので大木が多く、慶長年間(1596~1615)姫路城天守閣真柱に使用したという(播州宍粟郡誌)。また、山門入口の杉は双幹樹で夫婦杉ともいい、目通り8m・樹高45m余、樹齢400年という。

【近代】上ノ 明治22年~現在の村名。はじめ蔦沢村、昭和30年からは山崎町の大字。明治32年諸入費割当て、共有山林売払代金賦課法、共有山の栗・椴などの製材制限、賭博禁止などの事項を定めた村内決定書を作成。昭和10年村内規定と上ノ上財産区区制を制定。同23年野々隅(野々角)に開拓団入植。同52年アマゴ養殖場完成。同59年岩上~岩野辺線改修を実施。

■小茅野(こがいの)

「こがやの」とも称した。千種川の支流志文(しぶみ)川の上流域。東は上ノ村。慶長国絵図に「小苅野」がみえ、当村をさすと思われる。

【近世】小茅野村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)からは山崎藩領、延宝7年(1679年)幕府領(京都代官所支配、姫路藩・三日月藩預り地、大坂・生野・倉敷各代官所支配)、天保年間上野国館林藩領、のち再び幕府領。元禄6年(1693)の宍粟郡村々反別郡玉帳(田路家文書)には獣威用の鉄砲13挺を所持していたとあり、山崎町でも最奥部にあたることから「道法、当村より出石川船場迄四里四町」と記される。

神社は位尾神社。同社境内の梵鐘は寛政9年(1797)金屋村長谷川孫兵衛・藤原吉則の手によるとの銘がある。当村にたたら製鉄所が残り、播磨地誌略全では「小茅野ニ鉄山アリ」と記し附図にも載せている。明治22年蔦沢村の大字になる。

【近代】小茅野 明治22年~現在の大字名。はじめ蔦沢村、昭和30年からは山崎町の大字。昭和42年小茅野道路の修理および拡幅が完成。昭和52年から児童は千種町の千種東小学校・千種中学校へ通学するようになった。近年素麺工場設置。平成4年山崎アウトドアランドオープン

◇今回の発見:上ノ・小茅野とも、たたら製鉄の跡が残る。上ノ下の野々角には木地師が居住していたこと。山崎町城下地区の金屋村(現金谷)の長谷川氏鋳造による梵鐘が地域の寺社に現存していることがわかった。


※上ノ上 しそうの逸話「岩上神社」をご覧ください。
http://shiso-sns.jp/blog/blog.php?key=7059

※小茅野の伝説 しそうの逸話「紅葉橋」動画版をご覧ください。
http://shiso-sns.jp/blog/blog.php?key=8662


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