宍粟の地名(由来)の「地名の由来「片山・下牧谷・上牧谷」」
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地名の由来「片山・下牧谷・上牧谷」
【閲覧数】2,171 【マップカテゴリ】山崎町
2010年01月18日 12:50
今回は、「片山・下牧谷・上牧谷」(山崎町蔦沢地区)をとりあげます。

■片山(かたやま)
揖保川の支流伊沢川の中流左岸に位置する。

【近世】江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。もと下牧谷の一部。下村氏手控帳(下村家文書)に「下牧谷ノ内片山村」とみえ、下牧谷本村の項には「寛文八戊申ヨリ村二ツ成」とあり、寛文8年(1668)下牧谷から片山村が分村したことが記される。寛文8年以降山崎藩領として幕末に至る。当村では紙漉きが行われた家は5軒ほど。神社は、片岡神社。寺院は、日蓮宗法蓮寺。明治22年蔦沢村の大字になる。

【近代】片山 明治22年~現在の大学名。はじめ蔦沢村、昭和30年からは山崎町の大字。

■下牧谷(しもまきだに)
揖保川の支流伊沢川中流右岸に位置する。

【近世】下牧谷村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。下村氏手控帳(下村家文書)に下牧谷本村とみえ寛文8年(1668)当村から片山村が分村したとある。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)からは宍粟藩領。

当村で紙漉きが行われた家8軒。神社は、大倭物代主(おおやまとものしろぬし)神社。同社は伊沢谷の各村をはじめ多くの村々の氏神でもあった。なお、観音堂があり寺領として下々畑1反余を有していた。明治22年蔦沢村の大字となる。

【近代】下牧谷 明治22年~現在の大字名。はじめ蔦沢村、昭和30年からは山崎町の大字。

■上牧谷(かみまきだに)
揖保川の支流伊沢川の中流域に位置する。

【近世】上牧谷村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、慶長18年(1613)備前岡山藩領、元和元年(1615年)宍粟藩領、延宝7年(1679年)幕府領と山崎藩領の相給、元禄10年(1697)三日月藩領と山崎藩領の相給となり、幕末に至る。三日月藩領では嘉永元年(1848)九鬼源助が大庄屋をつとめ、13か村を支配。下村氏手控帳(下村家文書)には上牧谷村の項に大谷村(竹内村)分と本村分が併記され、大谷村が当村から分村したことをうかがわせる。郷中古事録(織金家文書)で見える地名、横野・糸崎は今も小字名として残り、当地の北部と東部に位置している。

神社は、住吉神社。寺院は、天和4年(1684)開基浄土宗有谷山菩提寺があった。明治6年民家を借用し牧谷小学校開校。同12年上牧谷村外10村戸長役場を設置。同22年蔦沢村の大字となる。

【近代】上牧谷 明治22年~現在の大字名。はじめ蔦沢村。昭和30年からは山崎町の大字。蔦沢村役場所在地。昭和3年蔦沢郵便局設置。同9年集配取扱および電信電話取扱業務を開始するが、同58年無集配局となる。

◇発見:片山・上牧谷・下牧谷の地名の由来は、辞書には、記述がない。上牧谷、下牧谷の牧は何を指すのだろうか。片山は下牧谷から分村し、神社は片岡神社。片(かた)という字に共通点があり、伊沢川を隔てた山麓・岡に分かれたことをいうのだろうか。片山には、片牧の苗字が多い。

「E-宍粟」支援隊“そーたん’s” 

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Re[2]: 地名の由来「片山・下牧谷・上牧谷」
【返信元】 Re: 地名の由来「片山・下牧谷・上牧谷」
2010年01月29日 16:16
タケネットさん。
牧は間違いなく牧ですね。地形的に東斜面など日当たりが良くないと馬は蹄が腐ります。播磨の勢力を考えると、近世以前からではないでしょうか。
Re: 地名の由来「片山・下牧谷・上牧谷」
【返信元】 地名の由来「片山・下牧谷・上牧谷」
2010年01月18日 14:29
牧について、後で調べていると、次のようなことがわかった。

○ 牧(まき)は日本古代において、飼育や繁殖のため牛や馬を放牧しておくための区域。『和名抄』では「むまき」と訓読される。
○ 牧(まき)は日本中世に牛や軍馬の飼育や繁殖のため放牧しておくための区域。江戸時代各藩でも領地内に牧が造られ、管理されていた。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア)

とあり、推測であるが、長水城の宇野氏の頃あるいは山崎藩の頃に兵馬の供給として、馬の飼育がなされた地であった可能性はどうか。