宍粟の地名(由来)の「地名の由来「与位・清野」」
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地名の由来「与位・清野」
【閲覧数】1,289 【マップカテゴリ】山崎町
2010年01月12日 11:44
今回は、「与位・清野」(山崎町神野地区)を取り上げます。

■与位(よい)
揖保川の中流右岸に位置し、集落を揖保川支流の頃谷(ころだに)川と高尾川が流れる。式内社の※与位神社がある。

【近世】与位村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)山崎藩領、延宝7年(1679年)幕府領、元禄10年(1697年)からは三日月藩領。永禄-享徳(1429~55)頃のものとみられる年月日不詳の神戸(かんべ)本所・半済(はんせ)各々注文(伊和神社文書)に、本所として、「ころたに」と「与位」がみえる。

特産物は茶・楮(こうぞ)・紙・薬草。地内高尾山では木材の伐採やたたら製鉄が行われた(播州宍粟郡誌)。天保7年(1836年)当村と田井・清野・岸田・矢原各村との間に入会山論争が起こった(山崎町史)。

寺院は、天正元年(1573年)開基と伝える真言宗遍照山大勝寺、慶長10年(1605年)頃令法院白住大徳開基と伝える法華宗本因山善性寺。善性寺は長水山城主宇野氏の摩下小林三河守重清一族の墓所。墓石に天正8年(1580年)5月9日銘のあるものが8基あり、長水山城が秀吉の手によって落城した前日にあたる。明治22年~現在の大字名。明治6年大勝寺に与清学校開校、のち田井学校と合併し廃校(山崎町史)。明治22年神野村の大字になる。

【近代】与位
明治22年~現在の大字名。はじめ神野村、昭和30年からは山崎町の大字。日清戦争後、田井との境の岩壁にトンネル(俗称与位の洞門)が設けられ、のち数度の拡幅工事により自動車の通行が可能となった。戦後、集落南部の山すそに大陸引揚者の開拓地が形成され、昭和31年南山自治会となる。昭和36年神野診療所開設。昭和37年簡易水道敷設。

※与位神社 http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=4748&bbs_id=86

■清野(せいの)
揖保川中流右岸に位置する。

【中世】勢野 鎌倉期から見える地名。播磨国宍粟郡のうち。勢伊野・勢位野とも書く。元亨2年(1322年)11月6日の安保末真譲状によれば、四男又四郎に譲渡された神戸荘重弘名内の田畠山林に「一、畠壱段 在所〈勢野イサコフチ南ノ下テ〉」「一、栗林一反 在所〈勢野イサコフチハタ〉」と見える。次いで、貞和4年8月28日の朝真譲状によれば、安芸房に譲渡した他に「栗林壱所〈重弘名内勢野〉」が含まれている。永禄・享徳(1429~55年)頃の神戸本所半済各々注文に「一、瀬伊野」と見え、当地は伊和神社領であったが、伊和神社と地頭方とで半済が行われていた。また「〈瀬位野〉百文 栗林代 太郎大夫」とも見え、太郎大夫は畑に栗を栽培し、小物成として100文を納めた(伊和神社文書)。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)山崎藩領、延宝7年(1679年)幕府領、京都所司代・姫路藩預り地・大坂城代堀田氏領を経て、明和6年(1769年)から摂津国尼崎藩領。

特産物に大豆。神社は、日向大明神。同社は宇野日向守祐久(光)を祀る。明治22年神野村の大字となる。

【近代】清野 明治22年~現在の大字名。はじめ神野村、昭和30年からは山崎町の大字。大正12年揖保川の水を誘導して落差式発電所を設置。昭和39年清姫橋架設。昭和58年ほ場整備実施。

◇今回の発見:与位・清野とも地名の由来は、はっきりしないが、江戸期に与位の北隣村の清野は瀬位野、南村の田井は田位と「位」の字が使われたことがある。地名になんらか尊称や重みをつけたものか。

一枚の写真「与位の洞門の歴史」を、ご覧ください。
http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=6520&bbs_id=99

「E-宍粟」支援隊“そーたん’s”

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