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地名の由来「三谷・中」
【閲覧数】1,182 【マップカテゴリ】山崎町
2010年01月04日 10:55
タケネット
今回は、「三谷・中」(山崎河東地区)を取り上げます。
■三谷(みたに)
揖保川支流三谷川の上流域。地名は、三谷川がさらに3つの支流(谷)に分かれていることに由来する。
【近世】三谷村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)宍粟藩領、延宝7年(1679年)からは幕府領。村内の志ゆうせん川原で川砂鉄を採取し、揖保川対岸の三津村で蹈鞴(たたら)製鉄を行った。(山崎町史)。神社は岡神社・中山神社(牛頭天王社)中山神社は当村・神谷・中・高所4か村の氏神。随身門・獅子舞台がある。明治22年河東村の大字となる。良米、大豆、栗及び薬草の産地であった。(宍粟郡誌)
【近代】三谷 明治22年~現在の大字名。はじめ河東村、昭和30年からは山崎町の大字。昭和36年簡易水道完成。同47年中山西麓に町営・県営の住宅団地が造成され、同55年河東幼稚園が神谷から同団地内に移転。
■中(なか)
揖保川の支流三谷川の下流域。地名の由来は、かつて河東と呼称された地域の中央にあたることによる。集落の北部には条里制遺構があったが、圃場整備により消滅。
【近世】中村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。当村の特産物に良質の木綿・竹がある(郷中古事録)。寺院は、真言宗梅正寺(現廃寺)・臨済宗桂林庵。幕末には寺子屋が開かれ、衣笠平左衛門が指導。明治5年桂林小学校開校。明治22年河東村の大字となる。
【近代】中 明治22年~現在の大字名。はじめ河東村、昭和30年からは山崎町の大字。明治22年河東村役場が、明治19年に新設された村道(のちに郡道、県道に昇格)に西面して設置されたが、昭和30年中公民館となり、さらに近年洋風に再建された。明治28年頃旧山崎藩士永瀬保冶が当地に来在し、家塾を開いて村内の子弟教育にあたった。また地内には駐在所なども置かれて地域の中心となっていたため道沿いに民家や日用品雑貨・食料品などの小売店、電機関係の下請け工場などが立ち並んだ。昭和45年以来の宅地ブームで県道田井中広瀬線沿いに住宅地が建設された。昭和58年、圃場整備完了。
「E-宍粟」支援隊“そーたん’s”
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