宍粟の地名(由来)の「地名の由来「段・金谷・比地」(山崎)」
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地名の由来「段・金谷・比地」(山崎)
【閲覧数】4,243 【マップカテゴリ】山崎町
2009年12月25日 14:50
今回は、「段・金谷・比地(上比地・中比地・下比地)」をとり上げます。

■段(だん)

揖保川の支流菅野川の下流域。地名の由来は、古い集落が段丘面に発達していることから一段高いところの村の意であろう。

【近世】段村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。天保11年(1840年)に松井氏が鋳物氏の権利を得、翌年仕事場を開設。安政2年(1855年)大砲を鋳造。山崎藩主本多氏の大庄屋は定員3人で(山崎町史)、当村の松井家も代々その役を勤めており、管轄下の村々は段組と呼ばれた。山崎郭内南西部の鶴木門から続く馬場があったといわれ、現在犬の馬場の小字名が残る。龍野、網干への道として鶴木門から当村の犬の馬場、金屋村・中比地村・下比地村経て揖保郡へ通じる道があった。(山崎町史)葦原神社と観音堂がある。その境内には、山崎の俳人青蓮寺(しょうれんじ)の僧四睡庵素錬が松尾芭蕉の百回忌を記念して寛政5年(1793年)に山崎城下に建立した芭蕉の句碑が、現在は観音堂に残る。

【近代】段 明治22年~現在の大字名。はじめ城下村。昭和30年からは山崎町の大字。

■金谷(かなや)

古くは金屋とも書いた。揖保川支流菅野川の下流域。国見山山頂付近には早瀬帯刀の居城と伝える、中世末期の柏原城跡があり、南西部の山中には中世の長谷山遊鶴寺跡がある。

【近世】金屋村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。当村には山崎陣屋の西方から南隣の揖保郡へ通じる道(西道)が段丘下方を通っていた。
中世から、長谷川氏姓を名乗る鋳物氏が営業しており、17世紀頃以降の年記銘をもつ近郷寺社の鐘銘などが現存し、その活動が伺われる。(山崎町史)。旧高旧領取調帳に金屋村、明治19年「地方行政区画便覧」に金谷村と見えることから、この間に村名の改称があったとみられる。県指定史跡の金谷山部古墳(かなややまべこふん)は揖保川右岸の比治条里遺構を見下ろす丘陵に位置する。20×14m、高さ1.5mの楕円形の墳丘をもつ独立墳で、古墳時代中期の築造と推定される。

【近代】金谷 明治22年~現在の大字名。はじめ城下村、昭和30年からは山崎町の大字。昭和54年高野山北室院竜峰寺が新築移転。兼業農家が大部分を占める。近年小規模な宅地開発が行われている。

■比地(上比地・中比地・下比地)

揖保川中流右岸に位置する。
【古代】比地郷 奈良期~平安期にみえる郷名。「和名抄」播磨国宍粟郡八郷の1つ。「風土記」に宍禾郡七里の1つとして「比治里」と見え、比治の地名は高徳天皇の時代(7世紀中頃)に揖保郡から分けて宍禾郡を作った時、山部比治という里長がいたため、その名をとって比治里と名付けたという。現在の山崎町上比地・中比地・下比地・川戸・宇原・平見・金谷を含む地域に比定される。揖保川が大きく蛇行して堆積平野をつくっている地で、耕作に適した土地であり、一部に湿地も含んでいたため、ヒジ=泥の名がうまれたのであろう。

【中世】比地郷 室町期に見える郷名。宍粟郡のうち。享徳3年(1454年)10月の一宮御領神官・社僧等拘持田畠注文案(伊和神社文書)に「比地郷」がみえる。

【近世】比地村 江戸期の村名。宍粟郡のうち。当村は郷帳類では一村として書き上げられているが、延宝7年(1679年)の郷村相渡し状では上・中・下の3か村として見え、庄屋・年寄なども3か村それぞれに置かれている。(郷中古事録・村々庄屋年寄人数)


上比地

【近世】上比地村 比地村から分村。分村時期は不詳。神社は、岩田神社。同社は比地郷全体の産土神であったが、慶長年間(1596~1615年)以前に川戸・宇原各村の村民が分祀して、村ごとに神社を勧請したという。当村には、滝不動尊があり、和洲長谷の観音はここから出たと伝える(播磨艦)古くは修験道の修行場であった。明治22年城下村の大字となる。
【近代】上比地 明治22年城下村の大字となる

中比地

【近世】中比地村 比地村から分村。分村時期は不詳。当村の低平地は揖保川の氾濫による被害の記録が多い。神社は、鹿島神社。
【近代】中比地 明治22年城下村の大字となる。


下比地

【近世】下比地村 比地村から分村。分村時期は不詳。神社は、荒神社(建速神社)。寺院は浄土真宗本願寺派法光寺、同寺は永禄8年(1565年)道場として建立されたという。
【近代】下比地 明治22年城下村の大字となる。

◇今回の発見:金谷は中世では金屋村といい、鋳造の職人がいたところから地名ができたのだろう。城下地区内には金谷の梵鐘製造のほか、段の大砲や船元の錨など、近くで生産される良質の千種鋼・宍粟鉄を利用した技術集団がいたことになる。

「E-宍粟」支援隊“そーたん’s” 

書き込み数は4件です。
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金谷山部古墳のこと
【返信元】 地名の由来「段・金谷・比地」(山崎)
2010年05月17日 11:40
金谷山部古墳(かなややまべこふん)の紹介

 広々とした田園風景の広がる城下平野の南西部金谷集落の山すそ、そそり立った石垣の上の高台にこの古墳があります。この場所から、城下平野一帯が一望できます。この古墳に登ると、ここから一山越えた東部にあたる安富町の塩野の六角古墳が思い浮かべられ、両者とも同じ見晴らしのよい東向きの高台にあり、古墳時代の相当の力をもった豪族の墓と思われます。
 古墳の上り口には案内板が設置されており、階段を登ると、地域住民の共同墓地になっています。その上にこんもりと土盛されているのが金谷山部古墳です。古墳の内部については、わかりませんが、古墳時代の重要な遺跡だと思われます。

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県指定史跡 金谷山部古墳

 この古墳は昭和51年12月共同墓地造成工事中に発見され地元の協力と関係者の努力によって保存されたものである。

 5世紀中頃の円墳で現状では長径20m、短径14mの南北に長い楕円形を示し高さ約1.5mである。古墳の構造は明らかでないが山崎盆地を一望する位置に築かれていることや単独で存在することなど宍粟の古墳時代を考える上に重要な遺跡である。

 「播磨国風土記」宍粟郡の条に孝徳天皇時代揖保郡を分けて宍粟郡とするとき山部比治は里長となり里の名を「比治里」と名付けたとある。

 この古墳のある金谷地区は比地の里の中心地と推定されているため金谷山部古墳と名付けられるに至った。

 昭和55年11月  山崎町教育委員会


※地名の由来「段・金谷・比地」を参照ください。
http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=7166&…bbs_id=102
※塩野 六角古墳について
http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=8165&…bbs_id=102



「E-宍粟」支援隊そーたんs

▼古墳の上り口 ▼古墳の全景と説明版  ▼古墳上部
Re[2]: 地名の由来「段・金谷・比地」(山崎)
【返信元】 Re: 地名の由来「段・金谷・比地」(山崎)
2010年01月26日 13:05
コーゾーさんに言われて気がついたのですが、
大砲(大筒)を作った時期のことです。大砲ができたのが、幕末の1855年。この時期に山崎藩がなぜ大砲を発注したのか興味があります。それとどんな大筒だったのでしょうね。さらにどこでどのように使われたのか。

大砲製造については、鋳物師松井氏に発注して、出来上がったのが黒舟来航の2年後になります。幕府の指示によるとすれば、外国への備えなのか、倒幕への備えだったのか?地域の歴史と国の大きな動き(幕末のうねり)が連動していることがわかれば、日本史が身近に感じますが・・

北魚町については、もれていましたので、追加します。北魚町の地名の由来(既出)には職業町の記述があります。
Re: 地名の由来「段・金谷・比地」(山崎)
【返信元】 地名の由来「段・金谷・比地」(山崎)
2010年01月26日 09:42
>タケネットさん、

段で大砲とはすごいですね。たぶん、「おおづつ」と読むのでしょうね。
どこかで遺跡、遺物や骨董品が出れば面白いですね。

それから、山崎にも北魚町がありました。これなども「魚町」のひとつと思いますが、どうですか。
Re: 地名の由来「段・金谷・比地」(山崎)
【返信元】 地名の由来「段・金谷・比地」(山崎)
2010年01月25日 16:28
金屋(かなや)という地名を兵庫県内で調べて見ると7ヶ所ありました。(町・市名は平成合併前)

〇上月町の金屋村 地名は古代の砂鉄製鉄にちなむと推定される。たたら跡3箇所、山麓に鉱滓が2、3ヶ所発見される。
〇温泉町の金屋  鋳物の居住地であったことによる。作業場後には多くの鉱滓が出土する。
〇洲本市の金屋  地名の由来は、当地に名鋳工がいたことによるといわれる。
〇山南町の金屋  地名の由来は、「古之金山ある故・・」と記録があるが、鉱山のあとは見つかっていない。
〇明石市の金屋村 地名の由来は鋳物師にちなんで、この名を称されるようになったとみられる。
〇姫路市の金屋町 地名由来は、鋳物氏集団が居住しそれに縁する名による
〇三木市の金屋村(金谷村) 地名由来の記入なし。

県内には、古代からたたらを使って、良質の鉄を生み出し、それを活かす鋳物師や鍛冶師の集団がいたことがこれらの現存の地名が表している。

その他の職人が住み着いた町から名のついた思われる地名をあげてみます。


〇鍛治屋(かじや)町・村 姫路市・上郡町・出石町・加西市・新宮町・高砂市・中町・神戸灘区・神戸兵庫区・南淡町・伊丹市・洲本市

〇紺屋町(こんやまち)  山崎町・洲本市・姫路市
〇紺屋町(こんやちょう) 伊丹市・赤穂市

〇大工(だいく)町・村  姫路市・加西市・高砂市・洲本市

〇魚町(うおまち)    姫路市・洲本市・高砂市
〇魚屋(うおや)     出石町・伊丹市
〇魚屋町(うおやちょう) 伊丹市
〇魚屋町(うおやまち)  篠山町
〇東魚町(ヒガシウオマチ)明石市(本町に改称、「魚の棚」地域)
〇北魚町(キタウオマチ) 山崎町

〇塩屋(しおや)村・町  赤穂市・洲本市・南淡町・神戸兵庫区

〇呉服町(ごふくまち)  姫路市・篠山町
〇釜屋(かまや)     今田町(鋳物)、三津町(塩釜)
〇鋳物師(いもじ)・町  伊丹市・出石町・姫路市