書き込み数は3件です。 | ◀▶ |
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ] |
千本屋廃寺 ~ 宍粟市で唯一の古代寺院 ~
【返信元】 地名の由来「御名・千本屋」(山崎)
2010年09月13日 14:23
|
千本屋廃寺 ~ 宍粟市で唯一の古代寺院 ~
山崎盆地の中央部に位置し、標高87m前後の沖積地に立地する。奈良―平安時代の寺院跡。昭和51年(1976)から昭和53年に発掘が行われた。遺構の遺存状況はよくないが、築地に囲まれた区域内に三基の基壇跡が残っている。塔は東、金堂が西に並びその軸線の北側が講堂と想定され、発起寺式の伽藍配置が考えられる。出土遺物は少なく、円筒形土製品・小型瓦・鴟尾(しび)・軒瓦がある。軒瓦は三群に大別され、素縁複弁8葉式軒丸瓦・素縁単弁11葉式丸瓦が主要瓦である。 これらは河原寺式の系統に属し、旧揖保郡内龍野市小神(おがみ)廃寺・中井廃寺のものにつながり、そして新宮町の越部(こしべ)遺跡、佐用町の長尾廃寺、さらには吉備地方の諸寺などと関連をもつと考えられている。宍粟郡内(現宍粟市)では唯一の古代寺院である。(兵庫県の地名辞典より) 史蹟 千本屋廃寺跡 「幻の千本屋廃寺」跡として、ごく一部の古老の間に伝承されていたが、昭和52年度から54年度まで3次に亘り発掘された結果薬師堂附近にその存在が確認された。 出土品は 鴟尾や古瓦・弥生土器・円筒の塔瓦、特に直径六糎(cm)小型軒丸瓦は珍しくこの廃寺を特徴づけている。こうしたことから奈良時代から平安時代に存在したと考えられる。当時この地は因幡、美作への交通の要地でもあり文化の中心であったことも理解される。(薬師堂前の説明文) ※図の□の囲いが金堂とされ、手前が塔、北側(写真右)が講堂とされる。 伽藍配置が不審な点がある。中央の金堂を挟むの南北の建物の軸線が違う。 ▼発掘地域と遺跡 ▼現在の薬師堂周辺 ▼郷土研究会の説明文 |
Re[2]: 地名の由来「御名・千本屋」(山崎)
【返信元】 Re: 地名の由来「御名・千本屋」(山崎)
2009年12月22日 16:43
|
今日UPした野・船元・下広瀬も洪水に悩まされたようです。昔の条里制の後が流されていることからも確認できます。
確かに地図で菅野川が流れ込むあたりが特に怖そうですね。 |
Re: 地名の由来「御名・千本屋」(山崎)
【返信元】 地名の由来「御名・千本屋」(山崎)
2009年12月21日 21:56
|
地図を見るとよく洪水に襲われたところの感じがしますね。
|
◀▶ |