宍粟の地名(由来)の「地名の由来「御名・千本屋」(山崎)」
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地名の由来「御名・千本屋」(山崎)
【閲覧数】2,665 【マップカテゴリ】山崎町
2009年12月21日 15:16
今回は、城下地区(13自治会)に入り、「御名・千本屋」をとり上げます。

■御名(ごみょう)

古くは、五明とも書いた。揖保川と支流菅野川の合流点付近。
【中世】五ミやう 戦国期に見える地名。播磨国宍粟郡のうち。天正8年(1560年)頃と推定される正月28日の丹波守澄忠書状に見える地名。(願寿寺文書)

【近世】御名村 江戸期~明治22年の村名。宍粟郡のうち。
寺院は、浄土真宗本願寺派摂州山西光寺。同寺の第5世住持了海は門徒を率いて石山合戦に参加、元亀元年に戦死したという。(西光寺順譜)。当村は揖保川の氾濫による被害も多く、文化元年(1804年)には救済のため23軒に夫食を支給した記録(覚書)がある。揖保川に沿って山崎の町場東端から南隣の揖保郡に通ずる道があり、揖保川舟運とともに南北交通の中心であった。明治初年に当村の西部を南北に走る道(新道路、現主要県道山崎新宮線)が建設され、主要交通路となった。
【近代】御名 明治22年~現時の大字名。明治23年上比地にあった知新小学校を地内に移し、城下小学校とする。

地名の由来は、仏教用語の五明を語源とするものか。また年未詳4月18日の顕秀書状(九条家文書)に「田原庄之内、御名方事」、正和2年(1313年)10月5日の伏見上皇院宣(二尊院文書)に「播磨国平野庄御名方内田園事」などとあることから、権内勢家の名田を御名と尊称したものが地名として定着した可能性もある。(日本歴史地名大系)


■千本屋(せんぼんや)

揖保川に支流菅野川が合流する地点付近。水田には、条里制の遺構が見られる。地内北東部には、奈良期の創建と考えられる千本屋廃寺があり、発掘調査が行われた。

【近世】千本屋村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。慶応3年(1867年)の壱人請五人組帳では5人組制のうえに一人請が行われていたことがわかる。この制度は百姓一人に対して一人の請負人を立てるもので年貢の確保をはかるための山崎藩独自のものである。神社は、式内社貴船(貴布禰)神社。同社は別名雨乞い神社ともいい、雨乞いをすれば霊験あらたかという。

【近代】千本屋 明治22年~現在の大学名。

地名の由来は、京都には千本通りがあり、死者を供養する卒塔婆の塔を作っていた土地とされる。南の新宮町にも千本の地名があり、千本の宿として知られた作州街道の宿場町である。一説に千本の松があったともいわれている。山崎の千本屋は、京都の説で、何かを作っていたのではないかと思われる。「日本地名辞典」、「ひょうごの地名」
 また、この地に千本(ちもと)という姓が多い。

ことば
条里制:古代から中世後期にかけて行われた土地区画(管理)制度


※「日本歴史地名大系」(平凡社1999年発行)を借り受けでき、従来の日本地名大辞典(角川書店1988発行)とあわせて地名発信元のツールが増えた。感謝!


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書き込み数は3件です。
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ]
千本屋廃寺 ~ 宍粟市で唯一の古代寺院 ~
【返信元】 地名の由来「御名・千本屋」(山崎)
2010年09月13日 14:23
千本屋廃寺 ~ 宍粟市で唯一の古代寺院 ~

山崎盆地の中央部に位置し、標高87m前後の沖積地に立地する。奈良―平安時代の寺院跡。昭和51年(1976)から昭和53年に発掘が行われた。遺構の遺存状況はよくないが、築地に囲まれた区域内に三基の基壇跡が残っている。塔は東、金堂が西に並びその軸線の北側が講堂と想定され、発起寺式の伽藍配置が考えられる。出土遺物は少なく、円筒形土製品・小型瓦・鴟尾(しび)・軒瓦がある。軒瓦は三群に大別され、素縁複弁8葉式軒丸瓦・素縁単弁11葉式丸瓦が主要瓦である。
 これらは河原寺式の系統に属し、旧揖保郡内龍野市小神(おがみ)廃寺・中井廃寺のものにつながり、そして新宮町の越部(こしべ)遺跡、佐用町の長尾廃寺、さらには吉備地方の諸寺などと関連をもつと考えられている。宍粟郡内(現宍粟市)では唯一の古代寺院である。(兵庫県の地名辞典より)


史蹟 千本屋廃寺跡

「幻の千本屋廃寺」跡として、ごく一部の古老の間に伝承されていたが、昭和52年度から54年度まで3次に亘り発掘された結果薬師堂附近にその存在が確認された。   

出土品は 鴟尾や古瓦・弥生土器・円筒の塔瓦、特に直径六糎(cm)小型軒丸瓦は珍しくこの廃寺を特徴づけている。こうしたことから奈良時代から平安時代に存在したと考えられる。当時この地は因幡、美作への交通の要地でもあり文化の中心であったことも理解される。(薬師堂前の説明文)

※図の□の囲いが金堂とされ、手前が塔、北側(写真右)が講堂とされる。
伽藍配置が不審な点がある。中央の金堂を挟むの南北の建物の軸線が違う。

▼発掘地域と遺跡 ▼現在の薬師堂周辺 ▼郷土研究会の説明文
Re[2]: 地名の由来「御名・千本屋」(山崎)
【返信元】 Re: 地名の由来「御名・千本屋」(山崎)
2009年12月22日 16:43
今日UPした野・船元・下広瀬も洪水に悩まされたようです。昔の条里制の後が流されていることからも確認できます。
確かに地図で菅野川が流れ込むあたりが特に怖そうですね。


Re: 地名の由来「御名・千本屋」(山崎)
【返信元】 地名の由来「御名・千本屋」(山崎)
2009年12月21日 21:56
地図を見るとよく洪水に襲われたところの感じがしますね。