宍粟の地名(由来)の「地名の由来「加生・門前」」
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地名の由来「加生・門前」
【閲覧数】2,706 【マップカテゴリ】山崎町
2009年12月18日 15:38
今回は、「門前・加生」をとり上げます。

■門前(もんぜん)

篠の丸山の南麓。揖保川の支流菅野川の流域。地名は、地内東端の山腹に鎮座する八幡神社の門前にあたることによる。八幡神社は大同3年(808年)に奉還と伝えられ天正年間(1573~1592年)には12の社家があったという。(播州宍粟郡誌)。なお、西大王寺・東大王寺の小字名も残っている。古代寺院の存在も想像され、地名もこれに関係するものか。

【近世】門前村
江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。明和年間(年)の郷中古事録や明治4年村々庄屋年寄り数では庄屋・年寄を置く村であるが。山崎村・山田村と一括して扱った記録も多い。郷帳類では江戸期を通じて山崎村の一部として扱われた。2つのため池などの水を用水に利用したが、地形的に水田が困難で畑地の比率が高い。

【近世】門前町(もんぜんちょう)
江戸期~明治4年頃の町名。山崎城下町11町の1つ。当町ははじめ門前村との境界が不明確であったが、寛永17年(1640年)松井松平氏入部の時木戸が設置されて区別されるようになったという。城下町の西端に位置する。神社は、八幡神社。同社は天正8年(1580年)羽柴秀吉の軍が篠の丸城を攻撃した時に焼失したが、のち代々の領主の保護を受け栄えた。天正年間(1573~1592年年)古文書や藩主の寄進物などを多数所蔵する。幕末は山崎を冠称。当町は、明治4年頃山崎町の一部となり、同12年には門前村に編入された。

【近代】門前 明治22年~現在の山崎町の大字名。

■加生(かしょう)

揖保川の支流菅野川の下流域。古代以来柏野里(かしわののさと)・柏野郷と呼ばれていた地に含まれ、加生はその遺称。地名の由来について、「風土記」はこの地に柏が繁っていたからであるとする。柏生う(かしおう)の転訛と思われる。
【近世】加生村
江戸期~明治22年の村名。神社は、須賀神社。当村の山麓を山崎と菅野川上流の村を結ぶ街道が通っていた。明治22年山崎町の大字となる。

【近代】加生
明治22年~現在の山崎町の大字名。

◇今回の発見:風土記の宍禾郡の七里の一つ柏野里は、菅野川下流地域から菅野谷、三河村、千種まで伸びる広い地域をもつ。この加生は柏野里の最南部にあたり、その遺称地であるということ。
※門前の項目を一部修正追加しました。門前村と門前町の区別が、わかりづらいので、判れば追記します。

「E-宍粟」支援隊“そーたん’s” 

          ▼柏野里の下部訂正

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Re[2]: 幻の大王寺はどこに
【返信元】 Re: 幻の大王寺はどこに
2010年09月12日 18:39
川井石材店の北側にありますよ。地図を拡大すればわかります。距離は直線コースで、1.6kmの所です。
建設前は水田だったようです。
Re: 幻の大王寺はどこに
【返信元】 幻の大王寺はどこに
2010年09月12日 10:10
へー面白いですね。まさにロマンですね。でも,上の記述ですこしひっかかるのは、千本屋廃寺の北方1.6キロで天理教教会のところなら、ジヤスコの北で分かりますが、門前の大王寺は北西で3キロぐらいあるのではないですか。門前にも天理教会があったかしら?
現地をみてません。うろ覚えです。
幻の大王寺はどこに
【返信元】 地名の由来「加生・門前」
2010年09月10日 14:46
幻の大王寺はどこに

 門前に大王寺というお寺が実在したのか、実在していたとするならどこなのか、その手がかりを求めて、宍粟市で発見された唯一の古代仏教寺院である千本屋廃寺に行ってみました。場所は宍粟市山崎町千本屋の庄境(しょうざかい)といわれる所にある。今は薬師堂の周辺の田畑の下に眠っている。お堂の前に石碑が郷土研究会によって建てられ、廃寺の簡単な説明が記されている。その南に位置する雨祈(あまごい)神社に立ち寄った後、帰りに、宍粟市図書館(山崎)で「播磨千本屋廃寺跡」(S57.3)の調査書を探し、目をとおしてみると、次のようなことがわかりました。

この千本屋廃寺跡の調査は昭和52年度から54年度にかけて行われた。その調査書の考察のおわりに次のように記されている。

「この寺は8世紀後半のものと推定され、10世紀後半まで瓦葺建物として姿をとどめていたと推定される。その建立者は、宍禾(しさわ)郡の有力者とすべきであろう。(中略)昨今、時折の発掘調査において古代から中世の遺物が採取されている。さきの門前遺跡さらにあらたに中地区発見の古瓦片なども、古代の検出に望みをつなぐものだろう。
門前遺跡は千本屋廃寺跡の北方1.6kmに位置し(中略)昭和43年天理教教会の建設時に軒丸瓦片が採取された。しかし、その際他の瓦片等は注意されていない。いまは一帯が住宅となって調査の手がかりはもとめ難い。この軒丸瓦の存したのが、偶然のものなのか、それとも遺跡地における遺物なのか明らかではない。門前地区の字限図には、このあたりに大王寺、西大王寺、東河内、西河内などの字名がある。」

 これには少々驚いた。門前の地名の由来から発したまぼろしの寺院大王寺の存在が、千本屋廃寺から手がかりを得た。門前で瓦が発見された場所は、字大王寺とは少し離れてはいるが、千本屋廃寺と同種の瓦が門前で発見されたことは、門前には古い寺の存在の可能性が高まります。まさに歴史はロマンです。

(写真:「播磨千本屋廃寺跡」57.3より)

「E-宍粟」支援隊そーたんs

▼千本屋廃寺跡 ▼門前・中で発見された瓦 ▼千本屋廃寺跡の軒瓦
Re[3]: 地名の由来「加生・門前」
【返信元】 Re[2]: 地名の由来「加生・門前」
2010年09月09日 16:26
この小字配置図は、第十六大区一小区 播磨国宍粟郡○○村という記名があり、大区小区制という地方制度を敷いたのは、明治4年と思われます。(この地図は、神戸地方法務局に保管され、土地の区画に関する沿革を記録した貴重な資料とあります。)
Re[2]: 地名の由来「加生・門前」
【返信元】 Re: 地名の由来「加生・門前」
2010年09月09日 13:34
この地図は」いつの頃の地図なのですか
Re: 地名の由来「加生・門前」
【返信元】 地名の由来「加生・門前」
2010年09月07日 17:29
門前の地名由来について 
 
 山崎八幡神社は、元は加生字今宮にあり、応仁元年(1467)に門前字東垣内に移転したと由緒書にあります。

 門前村の字限図をみると、八幡神社が移転した場所は、門前字東垣内とありますが、本殿は小字の東大王寺という地名の場所にあたります。推測ですが大王寺という寺院跡に移転したものと考えられます。

 天然記念物のモッコクは樹齢約700年とあり、移転されたときにはすでに150~200年近く経っている相当の大樹であったものと思われます。であるなら、寺に植えられていた木とも考えられます。

 門前村の地名は、神社の門前あたることによるとも書かれていますが、神社前ならば宮前町になるわけで、大王寺という寺の前にあったと考えるのが自然だと思われます。ただ、大王寺の実態がわからないので今後の研究によります。

「E-宍粟」支援隊そーたんs

▼門前の小字配置図
Re: 地名の由来「加生・門前」
【返信元】 地名の由来「加生・門前」
2009年12月21日 15:30
門前村と門前町があった様子、初めて知りました。
たしかに今の門前は広い・・・。八幡神社とその周辺が門前町なのでしょうか・・・?

それから東大王子(たしか八幡神社の西の谷、通称「ひっこみ山」といってた所だと思います)や西大王子という字名、いまも山林の地名としては生きてますね!(^^)!