宍粟の地名(由来)の「地名の由来「福原町・富士野町・出水町」(山崎)」
「地名の由来「福原町・富士野町・出水町」(山崎)」の書込一覧です。
新着返信
返信がありません
QRコード
地名の由来「福原町・富士野町・出水町」(山崎)
【閲覧数】1,524 【マップカテゴリ】山崎町
2009年12月09日 17:41
今回は、「福原町・富士野町・出水町」をとり上げます。

■福原町(ふくはらまち)

【近世】江戸期~明治4年頃の町名。「ふくわらまち」とも呼ぶ。はじめ高野町(こうのちょう)と称したが、のち山崎藩士福原小左衛門が屋敷を構え福原町と称した。(播州宍粟郡誌)城下町の東部中央に東西に続く町並みで、東端は青蓮寺の寺域である。はじめ武士の屋敷が置かれていたが、その後武家屋敷は減少して町場となった。

■富土野町(ふどのまち)

【近世】江戸期~明治4年頃の町名。城下町の北東部に位置する。寛永年間(1624~1644年)郡北の富士野銀山(現宍粟市一宮町)が繁栄し、当町から庄能村・三津村・五十波村・田井村を経て銀山に通ずる奥筋の道が新設され、町の名が起こったと思われる。
 地名の由来は、富土野町という町名が新しくできたのは鉱山の繁栄によって町屋ができたので、名づけられたという(山崎町史)。

 当町の北側は文化年間頃は歩行足軽・長柄組の屋敷、そのさらに北は竹薮であった。奥筋への道が富士野町から庄能村へ出る所に木戸があり、番所が置かれていた。

寺は、真宗大谷派隋陽寺。泉竜寺は、はじめ福原町、貞享年間(1684~88)には出水町にあったという。泉竜寺ははじめ寺町にあった。両寺とも町場の北を固めるという軍事的な意味ももった。幕末は山崎を冠称。明治4年山崎町の一部となる。

■出水町(でみずまち)

【近世】江戸期~明治4年頃の町名。城下町の北東部に位置する。当町は宝永元年(1704年)の大火ののちに成立したと思われる。宝永5年(1708年)の「播州宍粟郡誌」には当町の名は見当たらない。
 大火直後の命名で、防火的意味からの町名であろう。(山崎町史)

今回の発見

・福原町が高野町であったのが、福原という山崎藩士が屋敷を建て住んだことによるという。西町が佐用町と呼ばれたことがあったのも同じような理由だった。
・富土野町が富士野銀山へ続く道として新設されたことからというのは、歴史を感じる。
・火事とけんかは江戸の花」と言われた火事の多かった江戸だが、山崎にも山崎藩時代の1679年から1861年の間(182年間)に22件の火事が記録され、中でも100軒以上も焼失した大火事がその内3回あったという。(本多藩時代の山崎)

※しそうの地名の由来一覧
http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=102


「E-宍粟」支援隊“そーたん’s” 

返信書き込みはありません。