宍粟の地名(由来)の「地名の由来「土万、菅野」(山崎)」
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地名の由来「土万、菅野」(山崎)
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2009年12月07日 17:32
今回は、土万(ひじま)村と菅野(すがの)村の地名由来をとり上げます。

■土万:播但中央山地の南西部、千種川の支流志文(しぶみ)川の中・上流域に位置する。

【古代】土万郷 奈良期~平安期に見える郷名。「和名抄」播磨国宍禾郡(しさわのこおり)八郷の1つ。東急本は、「土方」とする。高山寺本の訓は「比知末」。「風土記」宍禾郡七里の1つ柏野里(かしわのさと)のうちに「土間村」が見え、地名は神衣が土(地面)に着いたことによるという。
 ※この説明はわかりづらいが、泥のことをヒジといい、泥の多い地であったとされる。

【中世】土万村 鎌倉期~室町期に見える村名。宍粟郡佐用(さよ)荘のうち。建長2年(1251年)11月日の九条道家惣処分状に「播磨国佐用荘内東庄・西庄・本位田・新位田・豊福村・江河村・赤松村・千草村・土万村」とも見え、道家は、嫡孫忠家に当村などを譲渡している。(九条家文書)

【近世】土万村 江戸期~明治22年の村名。宍粟郡のうち。当村から今出村が分村。はじめ、姫路藩領、元和元年(1615年)から山崎藩領、慶安2年(1649年)幕府領(生野代官所支配)、元禄10年(1697年)からは三日月藩領。河谷での農業と林業を主な手段とする。明治12年今出村を合併。同22年土万村の大字となる。

【近代】土万村 明治22年~昭和30年の宍粟郡の自治体名。葛根(かづらね)、塩山(しおやま)、大沢(おおさわ)・土万の4か村が合併して成立。旧村名を継承した4大字を編成。養蚕が盛ん。木炭産地としても著名で、昭和26年は、郡内生産の約43%を占めている。(県統計書)昭和30年山崎町の一部となり、4大字は同町の大字に継承。

【近代】土万 明治22年~現在大字名。はじめ土万村。昭和30年から山崎町の大字


■菅野:揖保川の支流菅野川の流域に位置する。

【中世】菅野村 室町期に見える村名。播磨国宍粟郡のうち。応永16年(1409年)9月4日の足利義持御教書「丹波国春日部□□□、佐用庄上津方土万郷・菅野村・赤松郷内敷・・・」に菅野村が見える。

【近代】菅野村 明治22年~昭和29年の宍粟郡の自治体名。塩田(しおた)・青木(あおき)・高下(こうげ)・市場(いちば)・木谷(きだに)・奥小屋(おくごや)の6か村が合併して成立。旧村名を継承した6大字を編成。村名は、菅野川によるもので、※菅(すげ)の繁る野原の意であろう。江戸期には、市場・高下・青木・塩田4か村を俗に菅野谷と称していた。(播州宍粟郡誌)林業では、特に良質の木炭製造で知られていた。養蚕業も盛んで昭和4年には、郡内最大の養蚕地帯であった。昭和14年奥小屋が西栗栖村(新宮町)へ編入。昭和29年山崎町の一部となる。5大字は同町の大字に継承。

※菅(すげ):カヤツリグサ科スゲ属の多年草の総称

今回の発見:両村とも風土記の宍禾郡柏野里にあり、林業(木炭)と養蚕業が盛ん。郡内では木炭の土万、養蚕の菅野が屈指。
土万(土間)は、和名抄で宍禾郡の八郡に入り、郷として独立した。

※養蚕の写真があります。一枚の写真「養蚕物語1」をご覧ください。
http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=6946&…1260327726


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Re[2]: 地名の由来「土万、菅野」(山崎)
【返信元】 Re: 地名の由来「土万、菅野」(山崎)
2009年12月10日 15:05
そうですね。土万地区の塩山に、銀山村があって江戸期~昭和初期にかけて、銀と銅が採れたとあります。
 詳しくは、地元の研究家がおられ、文献ものこされています。塩山の掲載までに、調べておきます。
Re: 地名の由来「土万、菅野」(山崎)
【返信元】 地名の由来「土万、菅野」(山崎)
2009年12月10日 14:39
 土万にも銀山跡があります。塩山の西部ですが、字名は「銀山」が残っています。幕府領となったのはこのためか?