宍粟の地名(由来)の「地名の由来「西谷・奥谷」(波賀)」
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地名の由来「西谷・奥谷」(波賀)
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2009年12月03日 15:55
今回は、波賀の二つの村、西谷(にしだに)村と奥谷(おくだに)村の地名由来についてとりあげます。

■西谷村(にしだにむら)

【近代】 明治22年~昭和31年の宍粟郡の自治体名。日見谷(ひみたに)、谷(たに)、小野(おの)、今市(いまいち)、安賀(やすが)、斉木(さいき)、有賀(ありが)、上野(うえの)、皆木(みなき)の9か村が合併して成立。旧村名を継承した9大字を編成。昭和31年波賀町の一部となり、9大字は波賀町の大字に継承。

揖保川支流引原川下流域。地名由来は、鎌倉期以降の荘園に三方西荘があり、三方から見て西にある谷「西の谷」から「西谷」と名付けられたと思われる。また、※「延喜式」神名帳に郡内の式内社が7社あるがその1社が当村の皆木にあって邇志(にし)神社と呼ばれ、その神社名の名をとって西谷村になったものと思われる。

※延喜式:平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)で、三代格式の一つである。延喜式神名帳に記載のある神社を一般に式内社と言って社格の一つとされ、当時朝廷から重要視された神社であることを示している。神名帳は神社の一覧表。


■奥谷村(おくだにむら)

【近代】 明治22年~昭和31年の宍粟郡の自治体名。飯見(いいみ)、野尻(のじり)、原(はら)、引原(ひきはら)、鹿伏(しかぶし)、戸倉(とぐら)、道谷(どうだに)の7か村と音水鉄山が合併して成立。8大字を編成。揖保川支流引原川中・上流域。
飯見、野尻、原有賀(はらありが)、原、日ノ原(ひのはら)、音水、引原、鹿伏、道谷、戸倉の10集落に分かれる。大正6年音水鉄山が音水と改称。昭和17年日の原が起立。昭和31年波賀町の一部になり、9大字は波賀町の大字に継承。地名は南部の西谷村の北方(奥)に位置する渓谷の村であることによる。


◇今回の発見:波賀町皆木の邇志神社、漢字で書くと難しいが、読みはにしじんじゃ、鎌倉期以降「三方西荘」と呼ばれたこの地名と関係あることがわかった。

※この邇志神社は、今日のげん木1本「波賀 邇志神社のカヤ林」を参照ください。
http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=6888&…1259811540

PS 前回の繁盛の地名の由来ですが、わかりました。加筆・修正していますので、もう一度覗いて見てください。
http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=6875&…1259737489

「E-宍粟」支援隊“そーたん’s” 

書き込み数は7件です。
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Re[5]: 地名の由来「西谷・奥谷」(波賀)
【返信元】 Re[4]: 地名の由来「西谷・奥谷」(波賀)
2009年12月14日 17:50
幾つかの本を見る限り、ハカとは地肌の出た荒れた土地。多くは、湿地であったり、崖のような所をいうのが説のようです。おっしゃるとおり、はがれると言う言葉は、古語辞典でも出ているので、語源的には、地層がはがれるということに通ずるのかなと思います。
飯見は難解な地名ですが、忌みではないようです。この地名には2神の逸話が出てきます。日見谷は、字の表すところだと思われます。後日、各々にとり上げます。
Re[4]: 地名の由来「西谷・奥谷」(波賀)
【返信元】 Re[3]: 地名の由来「西谷・奥谷」(波賀)
2009年12月13日 03:15
門外者が恐縮です。
波賀は「ハガれる」のハガと関係ありませんか?
「インミ」は「忌み」で「日見谷」と祭事の行われる場所の地名と関係しませんでしょうか?
東京の「日比谷」の例もありますが、砂鉄流しによる地形を伝承している可能性はいかがでしょうか。
崩壊地名と祭事の地名は、各地で良く残されてます。
Re[3]: 地名の由来「西谷・奥谷」(波賀)
【返信元】 Re[2]: 地名の由来「西谷・奥谷」(波賀)
2009年12月12日 08:52
日見谷出身の友達に岸根進君がいます。
彼は「ひみたに」と言っていました。

話はそれますが、その南に「のったり」という村があり、
そこからクマザサをかき分けて、黒尾山に登りました。
ずいぶん昔の話となりましたが。
Re[3]: 地名の由来「西谷・奥谷」(波賀)
【返信元】 Re[2]: 地名の由来「西谷・奥谷」(波賀)
2009年12月10日 17:27
地名の読みは、難しいですね。
普段聞いている言葉とちがっていたので、気にはなっていた地名の一つです。
日本地名大辞典では、飯見は「いいみ」、日見谷は「ひみたに」となっています。で、「宍粟1952 地方事務所編」では
飯見は「いんみ」日見谷は「ひみたに」となっていました。
戸倉がふつう「とくら」と呼びますが、両方とも「とぐら」になっていたり。
飯見は、私が聴いていたのは、「いんび」でした。
話言葉になると、訛ったり詰まったりして、変化するようですね。見はビと発音していますね。

追記 兵庫県小字名集には 日見谷はひめだにと表記されています。日見谷の地名由来をとり上げるときまでに、読みの変遷も調べてみます。
Re: 地名の由来「西谷・奥谷」(波賀)
【返信元】 地名の由来「西谷・奥谷」(波賀)
2009年12月10日 15:31
 西谷村小野の諏訪神社は一の谷合戦の頃(1184)難波彦六という侍が信州諏訪神社から分霊して小野の産土神としたと言われています。波賀町誌にあるとか。
 小野は名刀のふるさとで、14世紀初頭に作られ、今、国宝と宮内庁御物になっている二振りの太刀には「於播磨国宍粟郡三方西造之」と銘が切ってあり、打ったのは備前長船景光・景政、打たせたのは鎌倉幕府の御家人大河原氏であることも銘に刻まれています。また、別の古文書に大河原氏の所領が宍粟郡三方西小野村にあったと記されているので、小野で製作されたと考えられます。余談ですが、難波彦六は北川の先祖と聞いています。このあたりの鉄が良質であったことはかなり古くから知られていたのですね。

 日見谷は「ひびたに」と読んでいるとおもいます。やっちゃんに聞けばはっきりしますね。
Re[2]: 地名の由来「西谷・奥谷」
【返信元】 Re: 地名の由来「西谷・奥谷」
2009年12月06日 00:03
コーゾーさん

有賀鉱山のサンプル拝見しました。硫黄の成分が多いですね。硫黄の価値は、あったのかな。絶縁のがいしに使われるぐらいで、昔はやっかいなものだったと思いますが。

ネットで調べてみると、宍粟市では、千種町岩野辺荒尾、波賀町有賀、上野、一宮町高野、水谷(秀重)、河原田、倉床 
等々 宍粟市の鉱山では、磁鉄鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱が主に採れていたとあります。今はどこも、廃坑になり、鉱山跡が無残に残るだけ。
 今入手の難しい、レアメタルの鉱床でも見つかればいいのでしょうが。石油もレアメタルも、採れる所が偏っているから、価格の高騰に翻弄されてしまう。なんとかならないのでしょうかね。

 
Re: 地名の由来「西谷・奥谷」
【返信元】 地名の由来「西谷・奥谷」(波賀)
2009年12月05日 15:33
タケネットさん、

読んでいると、有賀村の名前が出てきました。
さきの「富栖・安志」のところで話した磯部鉱物記念館に、
富栖鉱山、生野鉱山、明延鉱山と並んで有賀鉱山の鉱石が
展示されてました。

ラベルには添付のようにまだ宍粟郡波賀町になっています。

この鉱石は黄鉄鉱、Pylite(FeS2)です。 鉄分30%、
硫黄分70% の鉱石ですが、黄色っぽい色をしているので、
一見、金と間違える人もいます。