宍粟の地名(由来)の「地名の由来「神戸・染河内」(一宮)」
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地名の由来「神戸・染河内」(一宮)
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2009年12月01日 14:06
今回は、宍粟市一宮町の神戸(かんべ)村、染河内(そめごうち)村の地名由来を取り上げます。

■神戸(かんべ)村:揖保川上流域。地名は、この地に鎮座する伊和神社に給された※神戸(かんべ)に由来する(※新抄格勅符抄)

※神戸:神社に属して、租・庸・調や雑役を神社に納めた民戸
※新抄格勅符抄(しんしょうきゃくちょくふしょう):平安時代に書かれた法制書

【中世】神戸 鎌倉期から見える地名。播磨国宍粟郡のうち。神戸郷、神戸荘ともいう。
【近世】神戸村:江戸期の村名。宍粟郡のうち。はじめ、豊臣氏蔵入地。慶長5年(1600年)姫路藩領、元和元年(1615年)からは宍粟藩領。なお、寛永19年(1642年)宍粟藩主松平康映のとき須行名村を分村したと伝えられ、さらに当村は寛文9年(1669年)伊和村・安黒村に分かれたと言う。(伊和神社文書)

【近代】神戸村 明治22年~昭和31年の宍粟郡の自治体名。嶋田(しまだ)、安黒(あぐろ)、伊和(いわ)、須行名(すぎょうめ)、東市場(ひがしいちば)、西安積(にしあずみ)、安積(あずみ)、閏賀(うるか)、杉田(すぎた)の9か村が合併して成立。旧村名を継承した9大字を編成。


■染河内:染河内川の流域に位置する。

【中世】染河内荘 鎌倉期~南北朝期に見える荘園名。播磨国宍粟郡のうち。宝永5年(1708年)の播州宍粟郡誌に「野田村・能倉村・東河内村、此三カ村染河内谷と云う」とある。
【近代】染河内村 明治22年~昭和31年の宍粟郡の自治体名。上野田(かみのだ)、下野田(しものだ)、能倉(よくら)、東河内(ひがしごうち)の4か村が合併して成立。旧村名を継承した4大字を編成。

◇考察:染河内(そめごうち)の地名の由来は、不明です。
河内は、山中の川が作り出した小さな平野で、そこにできた集落に○○河内(こうち、かわち)と呼ぶことがありますが、染がついた理由はわかりません。染物や染料に関する地名がないか染河内地区の4つの村の小字(こあざ)を調べてみました。結果は、上野田に漆面(うるしめん)、能倉に黒ノ元(くろのもと)という小字を見つけましたが、さて関連は?

◇発見:これから、珍しくて味のある地名がたくさん出てきますが、今回の地名もそうです。、神戸と書いて、かんべと呼ぶことに、神戸(市)との比較で、読みの面白さと不思議さをもった地名です。ことはついでに神戸市の地名由来を調べると、神戸市も歴史は古く、古代は神戸郷といい平安期からの地名が見られる。地名は、神戸市が生田神社に祖・庸・調を納めた封戸・神戸に由来するという。一宮町神戸(かんべ)と同じ説明になっていた。
 今で言う氏子の呼び名である「神戸(かんべ)」が、神戸市で読みが変化したのだろう。

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▼明治の郡町村 ▼地区の位置 ▼一宮町全図

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染河内地区の大字配置図
【返信元】 地名の由来「神戸・染河内」(一宮)
2011年09月29日 13:39
染河内地区の大字配置図をUPします。「一宮町小字図地名集」より

染河内(そめごうち)地区のこと

●奈良時代・平安時代
奈良時代の播磨国風土記には、「石造里(いしづくりのさと)」に、平安時代の和名抄には「伊和郷(いわごう)」に属していたと記されています。
●中世
染河内庄が置かれ、能倉の明泉山城跡があります。
●江戸時代
三日月藩(下野田)と安志藩(上野田・能倉・東河内)の製作とみられます。
●明治時代
明治22年(1897)の町村制施行により、染河内谷の名をとって染河内村となりました。

※山田を中心に地区東部には良好な棚田景観が残され、近年は別荘地としての土地利用が図られています。

「E-宍粟」支援隊そーたんs

▼配置図      ▼村の変遷
神戸地区の大字配置図
【返信元】 地名の由来「神戸・染河内」(一宮)
2011年09月12日 15:07
神戸地区大字配置図をUPします。「一宮町小字図地名集」より

■神戸(かんべ)地区のこと

●遺跡
縄文時代に中安積遺跡・伊和遺跡・西安積遺跡
弥生時代の伊和遺跡・閏賀遺跡などがあります
●古墳
伊和中山古墳群、一つ山古墳・安黒御山古墳群等があります。
●奈良時代
神戸地区は、播磨国風土記の宍禾郡(しさわのこおり)の7つの里の石作里・雲箇里(南部)に位置しています。
●平安時代
和名抄では神戸地区は伊和郷に属したものと考えられています。伊和神社は「延喜式」に記名され、平安時代以降、播磨国一宮として多くの崇敬を集めてきました。
●江戸時代
三日月藩(嶋田・西安積・閏賀)、安志藩(市場のち東市場・須行名・杉田・構・東安積の一部)、尼ケ崎藩(伊和の一部・安黒)の私領と、天領(東安積・伊和の一部)に分割統治されていました。(下表参照)
●明治
明治22年(1989)町村制により神戸村となりました。

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▼大字配置図 ▼村の変遷