宍粟の地名(由来)の「地名の由来「富栖・安師(安志)」(安富)」
「地名の由来「富栖・安師(安志)」(安富)」の書込一覧です。
地名の由来「富栖・安師(安志)」(安富)
【閲覧数】4,724
2009年11月27日 13:12
「富栖(とみす)」「安師(あなし)」

この安富町にはこんな逸話があります。

伊和大神(イワノオオカミ)があるところで、「いいすか(食事)」をした。ゆえにそこを須加といったが、のちに名を改めて安師(あなし)とした。そして、その土地のアナシヒメノカミに求婚した。だが、ヒメは固く断った。伊和大神は怒り、石で川の源を塞いだ。だから安志川(林田川)の特に鹿ケ壷の少し下流は水が少ない。伊和大神の妻となったコノハナサクヤヒメノミコトはその姿が美麗(うるわし)かった。だから、ヒメのいたその土地を雲箇(うるか)と言う。現在の一宮町閏賀(うるか)とされる。


■富栖(とみす)村
【近代】明治22年から昭和31年の宍粟郡の自治体名。栃原(とちはら)、皆河(みなご)、末広(すえひろ)の3か村が合併して成立。旧村名を継承した3大字を編成。地名は、合併各村の頭の音をとった。(栃原のと、皆河のみ、末広のすの合成地名。)

■安師(あなし)

 安師の原義には諸説あるも、北西風をいうアナシに語源を求めるのが最も妥当で、冬期西方の鞍部安志峠から激しくふり下ろす北西風に由来すると解される。「風土記」安師里の地名起源説話に出る安師(比売)神は風神であり、アナシが転訛してアンジになった。

【古代】安志郷 奈良期~平安期に見える郷名。「和名抄」播磨国宍禾郡八郷の一つ。「風土記」には宍禾郡七里の一つとして「安師里(あなしのさと)」と見える。現在の安富町域から山崎町須賀沢周辺にあたり、林田川上流域および一部揖保川流域を占める。「風土記」によればもと酒加(須加)里といったが、のちに山部三馬が里長に任ぜられたので山守里と改名したという。平城京跡出土木簡に「(表)播磨国宍禾郡山守里」「(裏)山部加之ツ支」と記すものがあるので、改名は史実と見られる。
※写真参照

【中世】安志荘 平安末期~戦国期に見える荘園名

【近世】安志村 江戸期~明治22年の村名。安知、安志町ともいう。
【近代】安師村 明治22年~昭和31年の宍粟郡の自治体名名坂以下9か村が合併して成立。

この二つの村が、昭和31年合併し、安志の安と富栖の富を合成して安富町が生まれた。

※富栖鉱山の歴史について

富栖鉱山は、大正の頃から金・銀・銅等の鉱石を採掘してきた。大正中頃は、兵庫県宍粟郡北部一帯の村々は鉱山開発ラッシュでにぎわいました。太平洋戦争直前に鉱山は最盛期を迎え、鉱山住宅が120戸も立ち並び、通勤者も多数あり、売店もあって盛況であったといいます。
 宍粟郡内最大の金鉱山で、太平洋戦争中には相当多額の生産料があったと「宍粟1952」宍粟地方事務所編は記録している。富栖鉱山は戦後一時休止状態となったが、1851年には出鉱数量約400トンにまで増加し、1976年頃は、年産鉱量1200トン(金量25kg)に達した。しかし、これをピークにだんだん採算が合わなくなり閉山しました。

◇今回の発見
○富栖の地名が以外にも、3村の頭文字の合成だったということ
○富栖鉱山は近くでも知らなかった。


「E-宍粟」支援隊“そーたん’s” 


▼明治22年の宍粟郡町村 ▼富栖村・安志村  ▼木簡

書き込み数は7件です。
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ]
Re: アナシヒメノカミを祭った神社の紹介
【返信元】 アナシヒメノカミを祭った神社の紹介
2009年12月25日 18:55
>タケネットさん、

あの安師の東にあるこんもりした杜がこうゆう素性であったのですね。
それを知ってなんか安心しました。いつも、どういういわれがあるのだろうと
思っていましたが。

丁度今読んでいる PHP文庫の歴代天皇辞典には第十三代成務天皇のところで、
-----------------------------------------------------------------------------------------------
成務5年諸国に令して、国造(地方官)や県主(皇室直轄地の長)を設けたと
伝えられている。また、山河を境にして国県を分け、縦横の道に従い邑里を
定めた。これによって、人民は安んじて住むようになり、天下は平穏だった
という。------ 地方行政機構の整備に力を注いだと思われる。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
という一文があるので、このようにして成務天皇は安師においてさえも、
政治や神社を整備して、邑々を落ち着かせていったのでしょうね。
アナシヒメノカミを祭った神社の紹介
【返信元】 地名の由来「富栖・安師(安志)」(安富)
2009年12月23日 09:10
安志姫神社の由来

「安志姫神社は安師の里(後の安志郷安志荘)と呼ばれた安富町域の土産神安師比売の神を祭神とし、祭神は遠く人天皇十三代成務天皇の御宇甲申年昭和61年より遡り1850年の昔、当初に勧請し祭祀されたと伝えられ、関を除く12村を氏子とする古い社である。播磨国風土記には伊和の大神が安師比売の神に求婚したが拒絶され、怒った大神が川上を石でせきとめて三方の里の方へ流したので水の少ない川になった。この川は、神の名を採って安師川といいこれまで山守の里といったのを川の名によって安師の里と改名したと述べている。
古くは播磨国の主要な24社の中に数えられ播州国総社に合祀され室町時代初期の峰相記にも見える。慶長検地の記録によると、安志賀茂神社、名坂八幡神社とともにそれぞれ畠2○が免祖地に認められ江戸時代の記録ではこの3社が安志谷氏神王社とされている。播磨鏡によると祭礼は旧暦10月26日であった。関を除く12ヶ村が年番で行い、馬駆けの神事によって馬駆け祭といい近年まで続いていた。祭礼に國永・進藤両家の出席を要するのは、両家には特に祭神安師姫と親しかった伝承があることからみて、変形した当屋制のなごりとみるべきであろう。また祭礼に欠かせない神饌餅粟飯(もっそう)は神官自ら作り神事参列者に三個ずつ共応するのに両家が1個であるのは、本来は両家が当屋として当主が自ら作り祭礼を司ったことを示し、近世の初め神官職の出現によって祭礼がゆだねられ当屋の制が変形したことを示している。」
Re: 地名の由来「富栖・安志」(安富)
【返信元】 地名の由来「富栖・安師(安志)」(安富)
2009年12月17日 01:41
タケネットさん、「須賀里」に驚きました。三浦半島にも古い地名で、「すがり谷(や)」もしくは「すがる谷」があります。この謎は解けません。

昭和13年に政府が日本中の鉱山を調べ上げた記録があります。するとほとんど全国に分布してました。黄金の国だったのですね。
Re[4]: 地名の由来「富栖・安志」
【返信元】 Re[3]: 地名の由来「富栖・安志」
2009年12月02日 22:54
コーゾーさん

最新情報があればとは思いますが、風花さんの情報で探索した人があり状況はよくわかりました。ただ、所有者はわかりませんが、ここから採れる水が、富栖金山水とか富栖鉱山水の名で販売されてますね。
 それから、今日アップした一宮繁盛にも鉱山があったことがわかりました。これも今は閉鎖されているようですが・・・。
Re[3]: 地名の由来「富栖・安志」
【返信元】 Re[2]: 地名の由来「富栖・安志」
2009年12月02日 15:21
タケネットさん、
富栖鉱山に今度もぐってみましょうか?
今の所有者ご存じですか?
Re[2]: 地名の由来「富栖・安志」
【返信元】 Re: 地名の由来「富栖・安志」
2009年12月01日 12:56
コーゾーさん、千葉の磯部鉱物資料館の富栖金鉱石の写真ありがとうございます。富栖鉱山が身近なものとして感じられました。
 富栖鉱山へは、車で20分ほどの所なのに、まして1976年まで操業していたと言うのに知らなかった。生野銀山、島根石見銀山などは、行ったことがありますが、近くに金鉱があったとは。
 歴史を尋ねるといろんな発見があり、とても楽しいです。今後も情報提供をよろしくお願いします。
Re: 地名の由来「富栖・安志」
【返信元】 地名の由来「富栖・安師(安志)」(安富)
2009年12月01日 11:06
タケネットさん、
富栖・安志の地名の由来や資料ありがとうございました。
奈良・平安期には既にあった由緒ある地名であるとのこと、
ご先祖様が安師からでているので興味深くよみました。
ありがとうございました。

それから、もう一件、この9月に千葉県九十九里に近い
茂原市にある「磯部鉱物資料館」に行ってきました。
http://www.godoshigen.co.jp/museum/index.html

ここには驚くことに700近い日本の金銀鉱山の鉱石を
収集していました。
そして、もっとびっくりしたことに、聞いたこと無かった
「富栖鉱山」の金鉱石が展示されていました。
ここでまさか誰も知らない「富栖」に会えるとは。
嬉しかったですね。

写真を添付しましたが、拡大しますとラベルに富栖鉱山と
あります。

ありがとうございました。