宍粟の地名(由来)の「地名の由来「山崎・城下・戸原」(山崎)」
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地名の由来「山崎・城下・戸原」(山崎)
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2009年11月26日 12:11
今回から、明治22年当時の1町18村の町・村の由来とその歴史を挙げます。

■ 山崎町について

【中世】山崎 鎌倉末期の元弘年間(1331~34)土豪の釜内氏が篠の丸山頂に篠の丸城を築き、同城は天正8年(1580)羽柴秀吉の軍によって陥落するまで存続した。また天文年間(1532~55)に一時この地を占領した尼子氏は、段丘面南部の鹿沢に新しく砦を築いた。天正年間(1573~92)宍粟郡を領有していた竜野城主の木下勝俊は山崎に新町を申し付ける下知状を出して村を発展させた。(山崎八幡神社文書)

【近世】山崎町 江戸期山崎藩の城下町名。宝永5年(1708)「播州宍粟郡誌」に「是は一郡の都会なり郡府と言うなるべし」と見える。元和元年(1615)からは、山崎藩領。慶長年間(1596~1615)に東の山田村と西の山崎村が一続きとなり、新町を形成した。(播州宍粟郡誌)
このころから、町場は大きく発展し、姫路城主池田輝政の4男池田輝澄が3万8千石を与えられ山崎藩主となると、城作りに着手する。城は、未完成のまま陣屋となったが、町の基本的な形態は変わらなかった。
 これ以降、町の発展とともに新しい町(今の自治会の原型)が成立していった。

■ 城下(じょうした)村(現在は城下地区名で残る)の地名由来

城下村:明治22年から昭和30年の宍粟郡の自治体名。中井、鶴木、段、春安、下広瀬、船元、野、千本屋、御名、金谷、上比地、中比地、下比地の13か村が合併して成立。地名は江戸期に北隣の山崎地区の南端に領主の居城(陣屋)が置かれ、当地がその城の下にあたることによる。

■ 戸原(とはら)村(現在は戸原地区名で残る)の地名由来

戸原村:明治22年から昭和30年の宍粟郡の自治体名。川戸、宇原、下宇原の3か村が合併して成立。旧村名を継承した3大字を編成。揖保川中流左岸。村名は旧村名の合成による。(川戸の戸と宇原の原をあわせた地名)。近世以来高瀬舟による揖保川船運の村として知られた。



参考資料「日本地名大辞典」より


「E-宍粟」支援隊“そーたん’s” 

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