宍粟の地名(由来)の「地名の由来「古代 宍禾郡の7つの里」」
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地名の由来「古代 宍禾郡の7つの里」
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2009年11月18日 15:35
風土記によれば、宍禾郡(しさわのこおり)は孝徳天皇の時、南隣の揖保郡(いいぼのこおり)から分離、独立したという。

宍禾郡が揖保郡から独立したときは、次の7つの里がありました。 

比地里(ひじのさと)
高家里(たかやのさと) (たいえのさと)ともいう。
柏野里(かしわのさと)
安師里(あなしのさと)、
石作里(いしづくりのさと)
雲箇里(うるかのさと)
御方里(みかたのさと)

下図(写真1)

「和名抄」※には、三方郷、高家郷、比地郷、柏野郷、安志郷、石保郷、伊和郷、土万郷の8郷が見える。
 三方郷は御方、三条、御形とも記す。

この郡名・里名を裏付けるものとして、平城京跡、奈良明日香村飛鳥池遺跡、藤原京跡などから木簡※が発見されている。
(写真2)

お気づきでしょうが、これらの里は、以後地名の由来に登場します。
  

言葉の注解

○孝徳天皇:中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、中臣鎌足(なかとみのかまたり)による大化の改新(645年)で天皇になった。

○木簡:墨で書かれた木の札で、役所が出す文書や都に送られる税の品物につける荷札に用いられた。平城京跡の木簡には、[播磨国宍粟郡三方里大豆五斗]と書かれている。
※木簡のデータベース  奈良文化財研究所
http://www.nabunken.go.jp/Open/mokkan/mokkan2.html

○和名抄:正式には、和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)という。平安時代中期 (931年 - 938年)に作られた辞書である。今日の国語辞典の他、漢和辞典や百科事典の要素を多分に含んでいるのが特徴。

参考文献:宍粟のあゆみ、日本地名大辞典、一宮の歴史

※宍粟市・周辺地名アドレス一覧
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7つの里の地図 木簡 町村制施行後の地図 

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Re: 地名の由来「古代 宍禾郡の7つの里」
【返信元】 地名の由来「古代 宍禾郡の7つの里」
2009年11月18日 22:47
7つの里は、興味深いですね。
(昭和の大合併前の)村よりもダイナミックで、現在でも、
地形的にも理解しやすい括りです。
こんな感じで今の宍粟市を再編するとおもしろいかも。

今ブームの奈良から現在の宍粟が見えてくるようで面白い。
これからの展開が楽しみです。

三方町にある歴史資料館の展示も興味深いですね。
Re: 地名の由来「古代 宍禾郡の7つの里」
【返信元】 地名の由来「古代 宍禾郡の7つの里」
2009年11月18日 18:47
まったく同感です。宍粟は5町そろって宍粟だったわけで、安富の選択は残念です。この地名由来を発信するために、資料を見ていて感じていました。その話をさきほどしたばかりです。