タケネットの名城をゆく の「出雲 松江城をゆく」
「出雲 松江城をゆく」の書込一覧です。
新着返信
返信がありません
QRコード
出雲 松江城をゆく
【閲覧数】36
2019年03月27日 09:59

出雲  松江城  をゆく 

島根県松江市殿町

 

 


▲松江城本丸天守

 

 

                      ▲天守より

 


   松江城の堀川めぐりの遊覧船はよく眼にする。この遊覧船はいったい数つあるのかと思うほどである。今は多くの観光客でフル回転のようだ。
 それもそのはず、この松江城は平成27年7月8日に国宝に指定されたことにより人気に拍車をかけているからだ。

 

 

  
 この松江城の国宝指定の経緯は、昭和10年(1935)に国宝に指定されながら、昭和25年(1950)の文化財保護法施行で不明瞭な歴史的事実があるとして重要文化財と格下げの扱いとされてしまった。それが4年前、「慶長16年」と記載のある祈禱札の発見により天守の築城年月が確定された。それが大きな決め手となり、永年の市民の願いが叶い松江城が国宝に指定されたという。

 


※松江神社で見つかる

 


松江城のこと

 松江城は宍道湖畔の亀田山(標高28.4m)にあり、中世の時代には末次城があった。出雲の尼子氏が月山富田城に居城し、永年の宿敵毛利氏との熾烈な戦いにより敗れ、この城も毛利に落とされた。そうして、この地域は毛利元就の支配となり三代続いたあと、天正19年(1591)豊臣秀吉が毛利輝元に命じ吉川広家に与え、広家は月山富田城を居城とした。

 関ヶ原合戦後の慶長5年(1600)吉川広家に代わって、堀尾吉晴が月山富田城に入り出雲・隠岐両国24万石を得て、三代にわたり支配した。この間に月山富田城から松江に城を移築している。慶長12年(1607)から5年の歳月を費やし、慶長16年(1611)に完成をみた。

 

 


▲松江城古城絵図 江戸時代中期~末期 国立国会図書館蔵

 


▲松江城絵図(兵庫県歴史資料館蔵)

 

 

   堀尾氏は三代続き忠晴に嫡子が無く改易され、京極忠高に替わるが嫡子無く一代で終わる。寛永15年(1638)松平直正が18万6千石で入封し以後十代続き明治を迎えている。

 

 


▲古写真  南東方面  中央が二の丸御殿広場  明治初期 

      

▲本丸一ノ門


▲千鳥橋(御廊下橋) 

 

             

 

▲塩見縄手通り 中・下級武士の屋敷跡

  

 

▲手前が小泉八雲の旧居

 


雑 感

 古風な松江城には、満々と水をたたえた外堀が途切れず城を取り巻く。塩見縄手には白壁・板塀の武家屋敷が立並ぶ。城と堀と武家屋敷が一体となって時代劇のセットさながら残されているのはなんともすばらしい。明治の破城令ですべての櫓は失ったものの、天守は残った。そして太平洋戦争での空襲を免れたことも幸いであったといえる。

 

 城の周辺にも見所がたくさんある。歩きつかれたたら和菓子にお茶で一服、小腹がすいたらそばもある。次回行く機会があれば、泊りがけで宍道湖の夕日百選の地に立ってみたいと思っている。

 


 
▲レイクラインバス(観光周遊バス) 

        

▲城下町の町屋

 

 


▲夕日の名所 袖師ヶ浦(そでしがうら)と嫁ヶ島   岸公園より

 


〔関連〕
●月山富田城 http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=16873…bbs_id=122
●宍粟・播磨の城跡 http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=122


返信書き込みはありません。