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近江 彦根城をゆく
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2019年03月23日 21:38

近江 彦根城 をゆく

滋賀県彦根市金亀

 

 

 

 

 彦根城は二度目になる。最初は立ち寄っただけの駆け足の見学であったが、今回は彦根城の探訪を目的とした小グループの旅行である。家を出る前は天気はよかったのだが、彦根に近づくにつれて雲行きがあやしくなり、彦根に足を踏み入れると小雨が降り始め、少しがっかりしたのだが・・。


彦根城のこと 

 琵琶湖の東岸に位置する小丘の彦根山、別名金亀山(こんきさん)に築かれた平山城である。
 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いでの功績により井伊直政が近江15万石、上野国で3万石の18万石を受領し、石田三成の旧城の佐和山城に入った。

 直政の没後、嫡男の直継(直勝)が佐和山城の西に位置する彦根山に現在の彦根城を築いた。築城は弟直孝に引き継がれ、彦根山の山裾に内堀・中堀・外堀を配し、武家屋敷と町屋を堀で区切るなど総構の縄張りであった。
 彦根城は西国諸大名の押さえの最重要拠点として位置づけられ、築城は天下普請で近隣の諸大名が城建築の助力を命じられた。この普請には佐和山城をはじめ、安土城、小谷城、大津城等の琵琶湖周辺の廃城の石垣や建築物が再利用された。
 井伊家は江戸期を通じ彦根藩主を務めあげ、明治維新を迎えている。城は明治の廃城をまぬがれ天守をはじめ西の丸三重櫓・太鼓門・天秤櫓・二の丸佐和口多聞櫓などが残された。天守は国宝として、藩主の庭園「玄宮楽々園」は国の名勝に指定されている。

 

 

 

 

 

登城ルート

 

 城南のいろは松の先の表門から入城した。帰りは天守の北側の搦手を下り黒門をぬけ、広い藩主の御殿・庭園(楽々園・玄宮園)を楽しんだ。

 

 

 

 

※句碑
あふみ(近江)の海 磯うつ浪の いく度か
御世にこころを くだきぬるかな

井伊直弼は、この句を詠んだ2カ月後に江戸城桜田門外において凶刃に倒れたとある。

 

  

 ▲佐和口多聞櫓と天守                                 ▲廊下橋                       

 

 

 ▲天秤櫓 

 

 

▲廊下橋からみた佐和山城

 ▲太鼓門櫓前からの天守                                     ▲太鼓門櫓

 ▲着見台から 西~北 左に琵琶湖が見える 

 

 ▲着見台より  東~南方面

 

 

 

 ▲天守閣からの風景

 

▲搦手道から 圧倒される本丸と西の丸の高石垣

▲庭園からみた天守

 

▲古写真明治9年  左着見櫓、右天守(現存) (彦根市立図書館蔵)

 

 

 上の新旧の写真を見比べると、古写真に写っている左の着見櫓は今はなく、庭園の背後は木々で覆われていた。

 

雑 感
 
 この彦根探訪の収穫は、地元観光ガイドさんの丁寧な説明を受けることができたことと、青空の彦根城の雄姿と城東の石田三成の旧城佐和山城を望むことができたことだった。ひとつだけ残念なことといえば、藩主の御殿・庭園が改修工事中であったこと。

 次回近江方面に出かける機会があれば、佐和山城、湖北の浅井氏小谷城、湖南の六角氏観音寺城、さらに足を延ばして福井の朝倉氏一乗谷城など戦国末期の信長・秀吉との抗争に敗れ去った武将たちの城跡も見てみたいと思っている。

 

 

・宍粟・播磨の城跡 http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=122


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