宍粟・播磨の城跡の「播磨 空木城跡(姫路市林田町)」
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播磨 空木城跡(姫路市林田町)
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2015年07月23日 00:08

  

     うとろぎじょう

播磨 空木城跡   姫路市林田町上伊勢

 

 

 

 

 

 ▲山麓からの望遠

 

 

▲神座の窟(かみざのいわや)から見た城山

 

 

空木城のこと

 

 空木城は林田町上伊勢の東方の標高270mの山頂に位置し、南東につづく尾根筋は神座の窟を経て伊勢山(353m)に繋がっている。

 山頂部には幅15~20m、長さ約60mの間に二段の曲輪跡と石積みがあり、東端に堀切等が残されている。

 この城は置塩城の支城として西方面の街道筋にあたる大堤(おおづつみ)峠の抑えの城であったと考えられる。城主は、赤松義雅の臣喜多野新左衛門忠助代々居すとあり『播磨鑑』、また嘉吉元年(1441)赤松氏の家臣小野七郎右衛門が存城し、天正のころ赤松総領家赤松則房の家臣原田大炊助が居城していたと伝える。空木城は置塩城の西方の守りの城として機能していたが、羽柴秀吉の播磨侵攻に従った赤松最後の当主赤松則房は秀吉の命により置塩城の城割り(廃城)とされたことで空木城も支城としての役目を終えたようである。

 近年空木城及び神座の窟周辺は伊勢・岩屋ふれあいの森として整備されている。

 

 

 ※ 『播磨鑑』に記載のある赤松義雅は嘉吉元年(1441)嘉吉の乱(室町第6代将軍足利義教暗殺)の首謀者赤松満祐の弟で幕府軍に攻められ自害している。赤松義雅の孫(赤松政則)が赤松家の復興を遂げている。 城主は代々赤松義雅の家臣とあるが、そうであるなら赤松政則が築城した置塩城より早く築城されていたことになる。

  置塩城主赤松義村のとき宿老浦上村宗が背信し、主家と対立したときに、義村は浦上に同調した松山城主衣笠村氏を襲撃している。このとき置塩の赤松軍は空木城北麓の大堤峠を越えて林田松山城に向かったと考えられる。

 

 

  

 ▲周辺の城 位置図   

 

 

アクセス

 

 

 ▲案内板より

 

 県道413号(護持下伊勢線)を北上し案内板にある伊勢神社(多賀八幡神社)を少しばかり北に進んだところに、うっかりすると見過ごしてしまいそうな車一台が通れる細い道がある。入っていくと広い山麓の平地に至る。

 

 

  

 ▲北に向かって右の細い道に入る         ▲広い裾野の向こうに岩山(神座の窟)が見える

 

 

  広い裾野に入るやいなや右方に突き出した岩山が目に入る。登り口から見上げると天空の神座の窟がすごいインパクトをもつ。城山はというと、近くの高台から目を凝らすと杉林の上方になんとか確認できる。

ここから案内板が示す右空木山跡に向かう。

 

 

▲中央の杉林の上に頭をだしているのが城山    ▲案内板 右空木城跡・左神座の

 

少しばかり歩くと、杉林の山道に入っていく。案内板に健脚コースと標準コースがあったが、とりあえず標準コースを歩き、帰りは健脚コースを歩いた。

 

    

 

▲ここから登る                 ▲現在木の階段が整備されていた。

▲案内板

 

  杉林をぬけ、日当たりのよい斜面を登っていくと木のベンチがある。このあたりから下界が見え始める。

 

    

 

 

  さらに登って行くと、木々が少なくなり、木の階段が山頂にのびる。

 いよいよ山頂部に近づくと急な階段となり、それを登りきると、最初の曲輪跡に至る。

ここまで40分ほどの道のりで、思ったより早く登れた。

 

 

  

 ▲城跡への急な階段         ▲最初の曲輪跡

 

 

最初の曲輪跡の向こうが主郭のある山頂で、大きな岩の横に説明板がある。

 

 

 

▲主郭

 

  

▲主郭に残る石積み。                    ▲主郭の虎口

 

 

▲主郭から南の眺望 上伊勢・下伊勢が見える。

 

 

▲空木城跡の説明板

 

   

▲主郭の東下にある堀切              ▲東の案内板 右の北斜面にも堀切跡が残る。

 

 

 尾根筋を少しばかり進むと、なだらかな広い平地がある。自然地形のようにも見えるが、削平され何らかの城の機能があったのではないかと思う。

 

▲尾根筋のなだらかな地形 削平地か

 

 

 ▲神座の窟、伊勢山につづく尾根筋

 

 

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 神座の窟

 

   

▲神座の窟 左端の岩の裂け目から入ることができる。               ▲急斜面を登り切ると窟の入口

 

 

 

▲神座の窟から                ▲神座の窟の岩山 足がすくむ崖ふちからのショット

                  

 

                            クリックして、左下の「別画面を開く」をさらにクリックすると拡大できます

パノラマ1 南から南西  南北に延びる谷間の上伊勢・下伊勢が見える。山波の中に播磨灘の家島が見える

 

パノラマ2 南西から西北

 

 

▲神座の窟の尾根筋の南端から 緑台(姫路市)が見える

 

 

雑 感

 

 空木城の” うとろぎ ”の読みは難しい。城山に来て感じたのだが、おそらく城の尾根筋にある神座の窟の形状を城の名としたのではないかと思う。空木は中が空洞の木をあらわすが、城山城(新宮町)の読みと同じで、木の読みのキは城を表すものではないかと。(百済語でキは城を表す)

 この城の城主は天空の神座の窟を守り神として崇め、一族の繁栄と武運を祈っていたのだろう。

 また伊勢山の西南の山麓に鎮座する伊勢神社(多賀八幡神社)は赤松ゆかりの神社であったようだ。

 

 空木城跡探索で大堤峠がどのように見えるか知りたかったが、繁茂した木々のため街道が見えなかったのは残念だった。しかし南方の景色はすばらしく、さらに尾根つづきの絶壁の神座上部からの眺望は視界を妨げるものがなく見ていて飽きないものだった。

 播磨名所巡覧図会(江戸時代)には空木城跡のことを赤松遠見の城趾と表現している。この城山から見える赤松の城が説明板に幾つか書かれていたが、私には城山城(龍野市)周辺の城山ぐらいしかわからなかった。

  次回来るときは、伊勢山山頂に登り、東方面の景色を見てみたいと思っている。

 

 

 ▲伊勢神社(多賀八幡神社)

 

 

 ※周辺の城

・ 置塩城跡(姫路市夢前町) http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=14873…1322798146

・ 佐見山城跡(姫路市林田町) http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=21028…bbs_id=122

・ 松山城跡(姫路市林田町) http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=21087…bbs_id=122

 

・ 宍粟・播磨の城跡 http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=122

 


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