宍粟・播磨の城跡の「播磨 佐見山城(姫路市林田町)」
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播磨 佐見山城(姫路市林田町)
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2015年04月21日 18:50

  さ み やま じょう   

佐見山城(八幡山城)  姫路市林田町八幡(やはた)

 

 

 ▲中央が城山 西の国道29号線から望む

 ▲南から頂上をズーム 

 

 

  姫路市林田町をはしる国道29号線の六九谷(むくだに)に林田八幡(やはた)神社の看板が目に付く。そこから東方向を見ると均整の取れた三角形の大小の山が見える。その大きい方が佐見山城(八幡山城)だ。山城に興味を持ち始めてこのかた、どこに行っても無意識に山を見る習性がついた。この山も気になっていた一つであった。

   八幡自治会の城山整備の動きにあわせて、地元Yさんと一緒に登る機会を得た。昨年夏以降木々が伐採され登山道が整備されるなど自治会の町おこしの意気込みを感じている。

 

 

佐見山城のこと 

 

 城跡は、林田川東岸の「城山」と呼ばれる標高189.5mの山頂にある。江戸時代は奥佐見(おくさみ)村に含まれ、西麓には林田八幡神社が鎮座している。城山は均整のとれた円錐形をしており、背後の北側には葛城山(不動山)がある。山頂部には約10mの円形状の削平地が見られ、その西方向と南方向に三段程度の小さな削平地といくつかの石積みが残っている。自然地形を利用した小規模な砦状の城跡である。

 立地場所は、西麓の因幡街道※を見通すことができ、南麓の道は林田伊勢を経て赤松氏の本城置塩城(姫路市夢前町)に通じており、交通の要地であったと考えられる。

 

 「赤松家播備作城記」に「佐見山城 揖東郡(いっとうぐん)林田庄 天正8年(1580)羽柴秀吉宍粟宇野攻めの時之付城也」と記されている。英賀城(飾磨区)を包囲した秀吉は手兵の一部を宍粟郡の宇野氏攻めに差し向けている。「長水軍記」には、秀吉軍と宇野軍が、宍粟郡と揖東郡の境目である安富町狭戸(せばと)で激戦があったと伝えており、この北方すぐにある松山城とこの佐見山城は宇野攻めの足がかりとなったようである。

 

  山頂からの展望はすばらしく、眼下には林田の田園が広がり、因幡街道(国道29号線)沿いの町並みが一望できる。その先の山並みの隙間に播磨灘が顔をのぞかせている。

 

 

▼宍粟郡・揖東郡・揖西郡の郡境(白線) ※図:慶長播磨国絵図(部分)より 書き込み有

 

▼林田町周辺の城跡 

 

 

 

因幡街道のこと

 

 因幡街道はほぼ国道29号線に沿っており姫路から林田川の中流域に沿ったあと、本流の揖保川に移り、揖保川沿いに北上し戸倉峠を越えると因幡の鳥取市若桜町に至る古くからの道であった。鳥取(因幡)側では若桜街道、また播州街道と呼ばれている。

  江戸時代には山陽道が整備され、その脇道も整備されていった。鳥取藩の参勤交代では、高い峠をきらってか戸倉峠(891m)を越える播州街道は使わずに、用瀬智頭(鳥取市)の宿を使い志戸坂峠(標高581m)を越え大原(美作市)・平福(佐用町)の宿そして千本(たつの市新宮町)から揖保川の觜崎を渡って飾西、姫路に至る整備された因幡街道を利用している。

 

 

 写真で見る林田町八幡周辺

 

▼昭和22年(1947)の航空写真 (国土交通省)

 

 ▼現在 by google

 

                                     

※集落周辺の道路(国道・県道)・橋の敷設、左下の林田小学校周辺の建物の増加、圃場整備による田の地形の変化が一目瞭然

 

 

 

佐見・八幡の地名のゆらい

  

 古くは奥佐見・口佐見・八幡にわたる一帯は「佐見」と呼ばれていた。この地域は、微高地で水利が悪く雑草の多い荒地であったため、動詞「さびる」(寂・荒)の転訛からきたことによる。「角川日本地名大辞典」 

 一方、「さみ」は古語辞典で「ものの主要部分、なかみ」ということから、水害もなく山田には廃寺跡や八幡古墳があり、古くから主要地であり先進地であったからとする説もある「姫路の町名」。

 

 私見では、確かに古墳、古刹は水害など自然災害の少ないよい場所を選んでいることを感じているが、主要であるという抽象的な言葉ではなく、やはり荒地からきた素朴な印象からのものであったと思う。

 

 地内には則国、成俊などの中世の名田名が地名として残っている。平安時代以降荒地を開拓し個人名をつけ私有化したそんな名残の地があるのは、荒地や山地を畑地や水田にするにはそれ相当の苦労があったがゆえにその成果が保障されたものだろう。微高地で作物生育に必要な水は佐見川は細く、土地下を流れる林田川の取水は無理で、ため池が多いのはそのためである。

 

 八幡自治会の古文書に周辺村々の水利(池水)の共同利用の取り決めを無視した村人の乱暴沙汰があったことから、公儀の仲介により水利利用の当事者間(庄屋・組頭・年寄)で約定が取り交わされ守られてきた経緯がある。また、葛城山(不動山)に下村の村人が不法に柴草狩りに入り、奥佐見の村人がそれを見つけ山荷を取り押さえようとして、逆に暴力を振るわれた事件があり、これに対抗し奥佐見の村人は山の見張り番を立てたという「姫路市史」。水利や入会地を巡って隣村との争いは珍しくはないが、佐見特有の地が村人の切実な生きる糧である田畑・山地を守ろうとする意識を高めてきたのではないかと感じとった。。

 

 

アクセス

 

  林田八幡(やはた)神社前に駐車して登ることができる。

 

 

 

 

    

 ▲林田八幡神社入り口にある鳥居 この先を右に進む

 

▲右に向かって山の麓の道を進む

 

 神社の鳥居を右にまがり、城山の麓(東南部)を回り込むように進むとすぐに案内板がある。そこから登れば20分もあればたどり着く。

 

 

 ▲案内板のあるところが登山口

 

  

 ▲登りやすいように急なところには木の階段が用意されている。

 

▲頂上手前から

 

 

 ▲削平地の周辺に石積みの一部が所々に残っている。

 

 頂上の丸い削平地と一段下がったあたりからの景色は抜群である。ほんの1年前までは木々で覆われていたが、昨年の夏以降に綺麗に伐採されて見通しがすっかりよくなった。

 

 

 

 ▲山頂から

 

▲林田の広い平野とその中心部を流れる林田川が一望できる

 

▲南西方向 ひと山向こうはたつの市  寝釈迦が見える 

 

 

 東麓の奥池近くに残されている五輪塔

 

   この五輪さんは開墾記念碑の前方の雑木に中に放置されていたが、昭和55年奥池拡張工事の折に、山神さんの隣に移転されている。

※秀吉軍との戦いの戦死者のものか、それとも赤松一族・家臣の内部抗争のときのものだろうか

 

 

雑 感

 

古文書との出会い 

 

 偶然にも八幡自治会の方とめぐり合い、自治会所有の古文書や明治の西奥佐見村絵図を見せてもらうことができた。絵図に記された字城山と古文書(年貢割付状)・約定書の記録を目にしたことが八幡の地に関心を持つきっかけとなった。

 その八幡という地名を調べてみると江戸期には奥佐見村に属し、それが明治になって東奥佐見村と西奥佐見村に分かれ、大正6年に奥佐見、八幡、口佐見が林田町の大字となったとある「角川日本地名大辞典」。 

 しかし、古文書の中の「一札の事 嘉応3年(1867)」に天明元年(1781)藤池の取水の取り決めに八幡村年寄・百姓惣代名が記されていた。地名辞典には八幡の地名の欄に八幡村のことは記されていない。思うに八幡村は元々林田八幡神社の門前村として存在していたものの、年貢の取立ては奥佐見村に含まれていたため、村名は表に出なかったのだろうか。ともあれ古文書から江戸中後期の八幡周辺の村人の歴史の一端を垣間見ることができたのは興味深いことだった。

 

 

一札の事 嘉応3年(1867)   八幡自治会蔵

 

 

林田のまちなか歩き

 

 林田町は、戦国末期武将たちが足跡を残し、江戸時代には建部氏一万石の陣屋町・宿場町として栄えた町で、近年大庄屋旧三木家住宅が修理保存され、まちなか歩きの拠点として、観光ボランティアガイドが活躍している。城下町の面影を残すのどかな町をのんびり歩くここちよさを知ったのはつい最近のことだった。

 

 

 

関連 

・播磨 松山城(姫路市林田町)http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=21087…bbs_id=122

・播磨 空木城(姫路市)http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=21142…bbs_id=122

・聖山城址と秀吉軍の行軍ルート http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=20665…bbs_id=122

 

・宍粟・播磨の城跡 http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=122

・タケネット 「名城をゆく」  http://www.geocities.jp/takenet5177/meijou.html   

                                                                                                           をご覧ください。


書き込み数は3件です。
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ]
Re[3]: 播磨 佐見山城(姫路市林田町)
【返信元】 Re[2]: 播磨 佐見山城(姫路市林田町)
2015年04月29日 11:02
秀吉の陣城、おもしろそうですね。
ぜひ、ガイドをお願いいたします。
Re[2]: 播磨 佐見山城(姫路市林田町)
【返信元】 Re: 播磨 佐見山城(姫路市林田町)
2015年04月27日 10:30
 林田町の一連の地域活性の中心が大庄屋旧三木家で、NPO法人を立ち上げて林田町観光Vガイドが庄屋の管理運営とまちなかあるきで地域を紹介しています。

 この動きに連動して各自治会は市から補助を受け、地域内の観光資源を整備し、アピールする動きが高まっています。城跡に関しては松山が少し早く整備しています。やはり軍師官兵衛の影響が大きいものと思います。 佐見山城→松山城→空木城 連絡ください。一緒に行きましょう。
Re: 播磨 佐見山城(姫路市林田町)
【返信元】 播磨 佐見山城(姫路市林田町)
2015年04月27日 07:35
狭戸、なつかしい地名です。
知らない山城ばかりです。
そんな小さな山城も手入れされているのは
やはり、山城ブームなのでしょうか?