宍粟・播磨の城跡の「長水城(3) 宇野氏の最期」
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長水城(3) 宇野氏の最期
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2014年04月14日 23:42

長水城主宇野氏の最期

 

 羽柴秀吉軍により長水城が落城し、城主宇野祐清(すけきよ)と父政頼は美作方面に逃げたと 『播州宍粟守令交代記』 『播磨鑑』はじめ軍記物等に書き残されている。

 その理由は宇野祐清の弟が新免氏の養子になっていることから、その血縁を頼って美作にある竹山城(美作市下町)に向かったというのである。

 

 

 ▲宇野氏一族の落城後の逃走ルート(推定)

 

 

 しかし、美作の竹山城主とされる新免弾正左衛門は天正5年(1577)12月にすでに人質を秀吉に差し出している。『新免文書』。これにより新免氏は信長より吉野・佐用・八頭郡の所領が安堵されたという。長水城が落城した天正8年(1580)頃には、織田方につき、宇喜多氏とともに毛利氏と戦っていたとある。『美作古簡集』

 

 そのような状況の中、宇野氏は落城の先に美作の新免氏に救いを求めるはずもなく、行く宛はなかったというのが実情であったと推測される

 

  『長水軍記』では落城後の宇野一族は、宍粟市山崎町小茅野から鷹巣を経て千草に到着したが、ここにもすでに木戸(荒木)・神子田軍の追撃軍が充満しており、再び激戦の末、ついに力尽きて千草字大森で自刃したという。

  現在、大森の段に政頼・祐光・祐政・祐清の五輪塔と家臣の名を刻んだ板碑建てられ、一族最期の地とされている。これらの五輪塔は江戸中期以降のものであり、供養塔ではないかと考えられている。『山崎町史』

 

 

 

 ▲宇野一族の五輪塔 (千種町千草 大森神社 付近)

 

 

宇野氏の討伐・追撃に関わった主要人物

 

蜂須賀小六のこと

 

 蜂須賀正勝、通称小六。篠ノ丸城・長水城攻めの中心的人物といわれている。

『信長公記』には、「播州宍粟郡に楯籠 宇野民部六月五日夜中に退散 木戸(荒木)平太夫・蜂須賀小六追懸」とある。 

 また『蜂須賀家記』には「福聚公(正勝 小六)天正八年庚申四月従攻広瀬城 六月城兵遁走 公與世子瑞雲公(家政小六)追撃多斬獲」とあり、蜂須賀小六正勝と子の家政は、秀吉より恩賞として鞍馬、名刀を賜っている。

 天正9年(1581)秀吉よりに開城した龍野城主を命じられた。中国攻めに秀吉に従い従軍し、播磨・鳥取・四国の城攻めに活躍し、秀吉から阿波一国を拝するが、息子家政に譲っている。

 

 

荒木(木下)平太夫のこと

 

 荒木(木下)は荒木村重の小姓として仕え、摂津の三田城(車瀬城)に入り、荒木村重から荒木姓をもらい荒木平太夫重堅(しげかた)と名乗った。主君荒木村重が信長に謀反を起こすと、荒木平太夫は秀吉に仕え、播磨攻めに加わり、播磨長水城主宇野祐清を討ち取る功をあげ、因幡国若桜(八東・智頭2郡)2万石を与えられた。『信長公記』他。

 

 

神子田半左衛門正治のこと

 

 神子田正治(みこだまさはる)、通称は半左衛門。秀吉に仕え、中国攻めに活躍し宇野氏討伐の功績により播磨宍粟郡山崎町を与えられたという『宍粟郡誌』。

 しかし、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いで、戦場離脱したため、秀吉に所領没収され、高野山に追放され、以後消息不明になったという。

 

 

参考:「兵庫県史」、「山崎町史」、「落ち穂ひろい ふーむ氏」他

 

 

 

関連

・長水城(その1) http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=11203…1291270855
・  〃  (その2)  http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=11253…bbs_id=122

・因幡国 若桜鬼ヶ城 http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=17555…1360336445

 

・宍粟(しそう)・播磨の城跡 をご覧ください。http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=122

・タケネットの名城をゆく 名城別アドレス  http://www.geocities.jp/takenet5177/meijou.html

 

 

 

 

 


書き込み数は2件です。
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ]
Re[2]: 長水城(3) 宇野氏の最期
【返信元】 Re: 長水城(3) 宇野氏の最期
2014年04月15日 10:31
なるほど母方の里ですか。そんな身近な繋がりがあったのですね。

長水城の落城悲話は、周辺の村落に伝わっています。蔦沢谷や鷹巣に小さな五輪さん(五輪塔)が数多く見られます。その数が落城の悲劇を物語ります。私もその分布図や悲話をまとめたいなと、頭の片隅で思っています。

長水城の北山麓(大谷集落)の須賀神社には10数個の五輪が並んでいるし、最近民家の庭に祀られている五輪さんを見ました。その五輪の多くは地域の人に大事に弔われています。

▼須賀神社(大谷)から見た長水山頂と神社本殿の右の五輪塔
Re: 長水城(3) 宇野氏の最期
【返信元】 長水城(3) 宇野氏の最期
2014年04月15日 10:05
拝読しました。

わたしの母が蔦沢の生まれで
こどものころ
長水城が落ちたとき逃げ遅れたお姫さんが殺され(自害され?)
その場所の大根はその後、赤大根になったと聞かせてくれました。

母の落ち武者譚と小学校の長水城への遠足話は
わたしが戦国好きになった一つの要因ともなっています。

そのような話が山崎あたりには
あちこちに伝わっているのでしょうね。
それらを集めるのも面白そうです。