宍粟・播磨の城跡の「官兵衛にわく中津城(大分県中津市)」
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官兵衛にわく中津城(大分県中津市)
【閲覧数】2,776
2013年09月26日 13:35
 
 ぶぜん   なかつじょう
豊前 中津城   (1)
大分県中津市二ノ丁
 
 
中津城内には黒田官兵衛孝高(よしたか)ののぼり旗がたなびいていた。
 
    
 
   
 ▲おっくん(奥平)とクロカン(黒田官兵衛)に遭遇!
 
 

 黒田官兵衛孝高の足跡を追って、今春豊前国(大分県)中津市までマイカーで行ってきました。

 

 今から4百数十年前、官兵衛は秀吉の命で豊前国に向かって家臣ともども、播磨国から山陽道を下り、馬関(関門)海峡を渡りおよそ600kmの道のりを下っている。時代を経て、中津城主小笠原長邕(ながさと)が早世し無嫡子により改易されたが、長邕の弟小笠原長興(ながおき)が許されて同じ道をたどり播磨国宍粟郡安志に移っている。

 

 播磨国で秀吉の参謀として活躍した官兵衛は、播磨の武将を数多く召抱え中津の地に入った。城主は黒田・細川と代わり、小笠原長次が播磨国龍野(現たつの市)から移ってきた。また小笠原の改易後安志藩を立藩するなど、豊前国と播磨国は歴史的なつながりをもっていることを思いながら、中津城を訪れた。

 

  現在の天守は昭和の時代に櫓跡に造られた模擬天守だが、石垣には黒田時代のものが残り、また城下に姫路町があり播磨とのつながりが見えた。

 

   黒田如水縄と書かれた絵図(下図)や残された石垣等により官兵衛の中津在住十数年の間に城や城下の原形ができていたようだ。


 
 ▼中津城図黒田如水縄(張) 
(江戸中期ー後期 国立国会図書館蔵)
 
 
 
◆レポートのつづきは、豊前 中津城 (タケネット名城をゆく) 
をご覧下さい。
 
◆その他のシリーズの紹介
 

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肥前 島原城をゆく     http://blogs.yahoo.co.jp/takenet7/35457931.html
 
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Re[3]: 官兵衛にわく中津城(大分県中津市)
【返信元】 Re[2]: 官兵衛にわく中津城(大分県中津市)
2013年09月29日 06:16
おはようございます。

わたしの友人の一人に宇都宮城井氏の末裔という
人物がいまして、いまでも最後のことを悔しそうに話します。
歴史というものは、何百年経っても色あせないのですね。

そう思うと、あの頭脳明晰な官兵衛がどうして
あのような無残なことをしてのけたのか
官兵衛ほどの人物ならもっとしようもあっただろうし
後世に残る汚名のほども分かっていただろうと…思います。

荒木村重との対応で、あれほどの信義を見せたこと
その後の黒田家に続いた不運を思えば
本当に残念な事件であり、惜しまれますね。

さて、今日は但馬の山城攻めに出かけます。
ひさしぶりの初訪問となる山城群です。
Re[2]: 官兵衛にわく中津城(大分県中津市)
【返信元】 Re: 官兵衛にわく中津城(大分県中津市)
2013年09月28日 12:20
こんにちは。
 たしかに宇都宮城井氏の最後は哀れでした。嫡子の子や一族が生き延びたといいますが、どう伝わっているのでしょうか、私も気になります。
 この事件で、播磨室山城の浦上政宗の息子清宗と黒田職隆の娘との婚礼を襲った龍野城主赤松政秀のことが浮かびました。この時花嫁の兄官兵衛は18歳前後、妹が殺されたこの惨劇は生涯忘れなかったと思います。これをヒントに宇都宮城井氏の排除に利用したのではないかと邪推しました。
 宇都宮城井一族は一掃され、花嫁鎮房の娘は山国川原で磔にされたようです。
 黒田親子の卑怯な行動は数少ない汚点の一つで、黒田家は代々宇都宮城井氏の怨念による災いを気にしていたところが見受けられます。

 山﨑は遅れながらも歴史ガイドツアーの体制が整えつつあります。
Re: 官兵衛にわく中津城(大分県中津市)
【返信元】 官兵衛にわく中津城(大分県中津市)
2013年09月28日 10:47
おはようございます。
地元の熱さ! 大河ドラマの威力はスゴイですね。
それだけに、中世を通じて豊前南部に威勢を振るい
織豊大名として入部した官兵衛に抗戦した宇都宮城井氏の
哀れな最期はどのように語り継がれているのでしょうか?
余計なことですが、チョッと気になります。

ともあれ、
山崎の方もそろそろ火がついてきたのでは?