宍粟・播磨の城跡の「黒田官兵衛ゆかりの地 妻鹿・国府山城跡(姫路市)」
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黒田官兵衛ゆかりの地 妻鹿・国府山城跡(姫路市)
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2012年11月16日 17:12

 

             め が      こ う や ま じ ょ う

播磨 妻鹿・国府山城    姫路市飾磨区妻鹿(しかまくめが)

 

 市川流域にある中世の城山を探る中で、市川の河口近くに妻鹿・国府山城跡があることを知る。下調べで、この城は黒田官兵衛ゆかりの中世の山城であることもわかり、ますます意欲をかきたてられた。

  10月上旬のおだやかな晴天。姫路城の4kmほどの南にある甲山(標高98m)別名功山に向かった。

この山は標高100m足らずで山城としては低く、登頂は楽勝と考えていた。

 

 

 ▼妻鹿の鳥瞰

                         

▼姫路周辺の諸城位置図

 

 

 妻鹿・国府山城のこと

 

 築城者は「太平記」、「赤松家播備作城記(あかまつけばんびさくしろのき)」に妻鹿孫三郎長宗の名があげられているが、城との関係は詳しくはわかっていない。伝承では妻鹿氏は赤松円心とともに元弘の乱(1331-1333)で手柄を立て、飾東郡(しきとうぐん)の功山に城を築いたと伝えられている。
 後に、天正の時代になり、姫路城代の黒田職隆(もとたか)は嫡男の官兵衛孝高に家督を譲り隠居城としてこの国府山城に移った。黒田官兵衛は三木城攻略の後に、中国征伐の拠点を三木城と考えていた羽柴秀吉に対し陸路(山陽道)と海路の要にある姫路城を秀吉に譲り、自身は父のいる国府山城に移った。職隆が天正13年(1585)に没し廃城となった。職隆の廟が妻鹿町内にあり、筑前さんと親しまれ大切に祀られている。

 

 

黒田家家臣 母里友信(もり  とものぶ)のこと  ※黒田家では母里をぼりと読んだという。

 

 

 

   播磨国妻鹿の国人曽我一信の二男に母里友信、通称太兵衛がいた。曽我氏は小寺氏の配下で黒田職隆の付家老をつとめていた。その関係で母里は、黒田氏の家臣となり黒田官兵衛孝高、長政親子2代に仕え、黒田二十四騎とも、黒田八虎(はっこ)とも呼ばれてその武勇が称えられている。母里は母方の姓で、加古郡稲美町母里が本貫地とされているが、尼子氏の庶流で出雲国母里(安来市伯太町)が出自という説もある。槍術の武将として知られ、「黒田節」に謡われる名槍「日本丸」を福島正則から酒を飲み干した約束で譲りうけた逸話が残る。

 

妻鹿の地名について

 

 古くは目賀と書き、目賀津ともいった。地名の由来は、住古応神天皇あるいは仁徳天皇が近くで狩りをした際、雌雄2頭の鹿が現れ、雄鹿は対岸の男鹿(たんが)(家島諸島)に渡り、雌鹿は当地の山中に入ったと伝承することによる(飾磨郡誌)。目賀村は中世の室町期に見え、この地付近は塩の産地として著名であった。現在の妻鹿の地名が使われるようになったのは江戸期からである。

 

 

妻鹿・国府山城跡へのアクセス

 

▼登城ルート 

 

 

 まず、一路飾磨区妻鹿の山陽電鉄妻鹿駅をめざす。妻鹿駅の周辺には、提灯が飾られ妻鹿の祭り(灘のけんか祭り)の準備がなされていた。

 

  ▼向うに見えるのが甲山                  ▼祭りが近づく 七つの御神灯(妻鹿駅手前)

   

 

  妻鹿駅前に、かなり傷んでいるが詳しい案内板があり、参考にする。官兵衛の父黒田職隆の廟も載っている。

 

▼歴史と伝統のまち・妻鹿とある           ▼正面に甲山           

 

 

 

   駅前を通り北に進み、甲山南麓の荒神社にやってきた。境内には、妻鹿城址と刻まれた大きな石碑が建てられている。誌文を読むと、妻鹿城の代々の城主とこの城址記念碑を立てた経緯が書かれている。 近くには官兵衛ゆかりの※目薬の木が植えられている。

 ※司馬遼太郎の「播磨灘物語」では、官兵衛の祖父である重隆は広峯神社の御師(おし)(=布教者)の神符に付けたメグスリの木からつくった目薬で一財産をなしたという。

 

▼荒神社                                ▼妻鹿城址碑                                                               

  

 

  ▼目薬の木

 

 

  荒神社の石段の登り口に功山城(国府山城)の鳥瞰図と説明板がある。

 

▼功山城(国府山城)の鳥瞰図                  ▼功山城の説明板

 

  

石階段を登り詰めた右手に、国府山城跡への登り口がある。

 

▼荒神社の右が登山道                      ▼国府山城跡への案内板

 

 

 細い道を少し行くと、薄暗い森に入る。左の案内板に従って登ると、左右の道があり、ここは左に進むが、この辺一帯は草木が伸び放題で、それを払いのけながらしばらく歩くと、鉄塔に近づく。ここでフェンス伝いに右に方向を変え、ここからは頂上まで坂道を登る。

 

 ▼やや薄暗い生い茂った木立を進む              ▼案内標識があり左に登る

 

 

▼笹の間を進むと鉄塔が             ▼鉄塔のフェンスを右に進む

  

    

 

登山道に自然石が並びそれを越えたところあたりから左右に曲輪跡が確認できる。

 

▼登山途中                              ▼自然石が露出

 

  

  頂上に達した。約15分から20分要した。頂上の曲輪はかなり広いことは広いのだが、笹がはびこり小木が生い茂っているため全体の大きさや凹凸、曲輪の際などが判断しづらい。案内の鳥瞰図に描かれている曲輪群を確かめることはほとんどできなかった。

 しかし、本丸からの北〜西方の展望はすばらしく、市川を隔てた姫路の街並みと周辺の山並みが一望できる。足元に風景が描かれた看板が倒れたままになっている。その看板を立て直して、実風景と照らし合わすと、山々の名称と所在を知ることができた。

 

 ▼曲輪跡                              ▼頂上周辺

  

 

 ▼大パノラマ図  風景図を写真に撮り、傷みを修正した。                                                            

 

 ※写真をクリックし、左下の「別画面を開く」を再度クリックすると拡大できます。

   

▼眼下に市川と街並       ▼修理中の姫路城と置塩城  ▼広峯神社         ▼庄山城

   

 

 本丸からさらに奥の曲輪跡へ進む。右手に曲輪を確認しながら進むと、石群があり、そこを右に降りて入った。指示方向どおりに曲輪の南斜面を回り込むように下るが、途中、薮笹・すすきが人より高く伸び、道が見えなく、これ以上進むと自分の居場所がわからなくなるので、撤退を余儀なくされた。

 

▼さらに奥、東に進む                    ▼曲輪跡の表示

 

 

自然石のモニュメント群                ▼岩場の下あたりで、引き返す

 

 

下山したあと、町中にある黒田職隆の廟を訪れた。立派な廟である。

 

▼黒田職隆廟所説明                    ▼黒田職隆廟  

 

 

 ▼五輪塔                                   ▼廟内部(御堂建築の表示)           

  

 

 

雑 感

 

 登山口の説明板に「功山城は、市川左岸甲山(こうざん)にあり、別称を妻鹿城、国府山城、甲山城、袴垂(はかまたれ)城とも言われている」とある。一方、石碑には大きく妻鹿城址と刻まれている。案内板は国府山城と書かれている。2つの山名の異なる字、城の呼び名の多さが気になる。統一できないものかともどかしく感じた。平成10年にライオンズクラブの支援で城跡は、説明板や案内立札が建てられ整備されたが、現在は人気(ひとけ)はなく放置されたままで、残念なことだ。

 

 この探訪の数日後、NHK大河ドラマに黒田官兵衛が決定したこと知った。それを聞いて胸躍るものがあった。長年の関係者の地道な誘致活動の賜物でしょう。宍粟市も官兵衛ゆかりの地としてアピールすべき時が来たと感じている。

 

※追伸:2013.3.31

  再度、登城すると、前回笹群で通れなかった道がきれいに刈られ、整備されていました。 

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

  この妻鹿地区は、灘のけんか祭りの灘七村の一つで、妻鹿から勇ましい太鼓屋台が繰り出される。甲山の南に御旅山があり、その南方の白浜に松原神社がある。

 

▼御旅山ハイキングコース案内図                            ▼妻鹿の太鼓屋台

 

 

 

関連

 

※「羽柴秀吉と網干」揖保川にまつわる話

http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=8630&…bbs_id=102

※御着城主小寺政職のこと

http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=13201…1309746024

 

・官兵衛ゆかりの地 篠ノ丸城跡ご案内!!

http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=20449…bbs_id=122

・宍粟・播磨の城跡

http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=122

 

 

 

 


書き込み数は4件です。
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ]
2013年10月29日 09:35
妻鹿国府山城跡の甲山の山頂にいすが設置された記事をUPします。
2013.10.29 神戸新聞

いすの設置は姫路・妻鹿の連合自治会
「山頂から官兵衛が見た景色をみてほしい」と自治会長

※山頂は展望をよくするために木々がすっきり伐採され、新しい説明板も設置されている。
2013年07月15日 09:59
母里太兵衛の関連記事の紹介  2013.7.15神戸新聞

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姫路・妻鹿に記念碑完成   
Re[2]: 黒田官兵衛ゆかりの地 妻鹿国府山城跡(姫路市)
【返信元】 Re: 黒田官兵衛ゆかりの地 妻鹿国府山城跡(姫路市)
2012年11月17日 21:55
私もそう思います。
大河によって、地域住民が地域の歴史に興味をもち、見直す大きなきっかけとなればと思います。

 元々歴史教育は、郷土の息づく歴史あっての播磨史・兵庫史であり日本史であると思うので、そこを踏まえて子供たちに郷土の歴史をわかりやすく伝えていけるかどうかにかかっているように思いますね。
Re: 黒田官兵衛ゆかりの地 妻鹿国府山城跡(姫路市)
【返信元】 黒田官兵衛ゆかりの地 妻鹿・国府山城跡(姫路市)
2012年11月17日 08:11
歴史的には見るべきところがありながら
顧みられることもなくなる
戦国ブームといわれるものの空虚さを感じます。
再来年の大河によって整備されるといいですね。