宍粟・播磨の城跡の「三石城 (その1) 備前市」
「三石城 (その1) 備前市」の書込一覧です。
新着返信
返信がありません
QRコード
三石城 (その1) 備前市
【閲覧数】6,353
2012年01月17日 16:54

       みついしじょう

備前 三石城(その1)   岡山県備前市三石

 

 

南からの鳥瞰 東西に山陽道がはしる     ▼北からの鳥瞰 (上部白い部分は石切り場)

  

 

  備前三石城(みついしじょう)は、室町時代の赤松の家臣浦上氏代々が居城した城で、播磨と備前の国境(岡山県と兵庫県の県境)の備前市三石にある城山(291m)山頂に築かれた山城です。その浦上氏の居城を訪ねてみました。 

三石城のこと

 

   

  三石城は、『太平記』によると南北朝時代に国人地頭であった伊藤大和二郎が築城したといいます。

室町時代になり赤松氏が備前の守護職となり、重臣の浦上氏が守護代としてこの三石城に入り、以後代々の居城としました。浦上宗景(むねかげ)の代には備前東部から播磨西部にかけて領土を拡大し、主家赤松をしのぐ勢いをもちはじめ、赤松義村(よしむら・置塩城主)と争うようになり、遂には討ち果たし、戦国大名になりました。村宗の死後は、政宗、宗景兄弟及び国秀による内紛が起き、嫡男政宗は室山城(御津町室津)に居城を移し、宗景は※備前国天神山(岡山県和気郡和気町)に居城を構えて備前・美作南部を領する戦国大名に成長し、三石城を支城にします。兄政宗の死後は、播磨国南西部まで領土を拡げました。

 その後、宗景の天神山城はその家臣であった宇喜多直家に落とされ、この三石城は廃城になったようです。 

三石城跡へのアクセス

 

  上郡町南西の山陽道をはしる国道2号線で、船坂(ふなさか)峠を越えると大きくえぐられた砕石場と高い煙突を持つレンガ工場が目に入ります。ここが備前市三石です。三石城跡へはJR三石駅前の深谷(みたに)滝方面に進みます。城の南山麓から直接登ることもできます(約50分)が、ここでは展望がよく、より時間短縮ができる北周りを紹介します。

 

JR三石駅の北方の谷筋にある「深谷(みたに)の滝」への案内板に従って進みます。

 

▼三石駅前 

  

 

 途中、深谷の滝が右に見えます。さらに道を進むと、城趾登山口の表示と案内板があります。

 

  

 

 ここを左折し、林道をくねくねと登っていきます。車での最終地点には5~6台の車の駐車できるスペースが用意されています。ここから城跡へはアップダウンの変化のある尾根筋約1km(約40分)の道のりです。

 

 

 

左手南方には山波が見えます。すでに、城山の北山の上部に来ていることがわかります。

 

 

 

しだ群の道を越え、尾根筋に入ると、左右東西にすばらしい展望が開け、第一・第二の展望所があります。

 

  

 

 

 

▼尾根筋からの展望は抜群

 

▼第二展望所からは小豆島・屋島が ‥‥     ▼瀬戸内の望遠

 

 

 

  さらに、鉄柱のある岩場を下っていくと、いよいよ城域に近づきます。いくつかの堀切があり最初は鶯丸跡があり、そこを下ると大きな堀切があります。鶯丸(うぐいすまる)という単独の曲輪は北の見張りの役だったのでしょう。

 

 

 

▼大きな堀切

 

  堀切を登りきると、その広い本丸と二の丸があります。そして南に細長い三の丸へと続きます。本丸の周辺には石垣が残り、一段高くなったところに居館跡があったという。

二の丸からは北・東部の山々が望め、眼下には、山陽道の道筋がよく見えます。

 

▼本丸                            ▼二の丸から本丸を見る

 

 

▼東の山麓には山陽道とJR山陽本線が見える     ▼南方面

 

 

  本丸の西下の大手門は埋門形式の石垣群で、中世の城跡遺跡のすばらしさを今に残しています。

ここより南筋には池跡があり、二の丸の下あたりに細長くのびた馬場跡があります。

 

▼大手門跡                          ▼大手門 西から写す

 

 

▼広い二の丸                         ▼細長い馬場跡

 

 

  三の丸の先には、見張り台が2箇所設けられ、山陽道からの外敵の侵入の監視をしていました。また城周辺には池や井戸が多く、籠城の備えがしっかりとなされています。 

雑考

  北の尾根筋はとても展望がよく、備前と播磨の国境であることがよく確認できます。かつて三石城で赤松主家の攻撃を受けそれを防いでいます。井戸の多さや見張りの徹底、しっかりとした大手門は三石城の堅牢さを表しているようです。

 そして浦上氏は主家赤松義村を倒し大名となりましたが、このあと、家臣であった宇喜多直家の争いに敗れ、没落しました。中世は下克上の時代、家臣が主君を倒し、またその家臣に倒される。浦上家の因果応報的な運命を感じました。

 次には、町筋から直接の登城と城下の居館跡の探訪ができればと思います。

 

深谷(みたに)の滝  備前市十景

 

  三石城跡への途中にあった「深谷の滝」を紹介します。この滝は、石塔山に源を発した渓谷にある幅3m、高さ13mの滝で、水量こそ冬場で少なかったが、滑らかな巨岩と、岩を穿った大きな緑色の滝壷は今まで見たことがなく、地名に石が使われている地域ならではの独特のものです。必見です。

                  

  

 

      

 ▼滝口から滝壺を見下ろす                ▼大きな滝壺

   

 

 

関連

・三石城(その2)と船坂峠 http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=21382…1455372205

・天神山城(岡山県和気町)~

http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=15343…1328596295

※しそうの城跡一覧

http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=122

 

 「E-宍粟」支援隊そーたんs

 

 

 

 

 

 

 

 


返信書き込みはありません。