宍粟・播磨の城跡の「赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~」
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赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
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2011年12月20日 14:30

⑩ 赤松氏ゆかりの城を訪ねて

 

香山城跡  たつの市新宮町香山

 

▼ 香山城跡の全景                     ▼ 香山城跡の入り口の大歳神社

  

 

 香山城(こうやまじょう)は、宍粟市山崎町の南隣り、たつの市の北部新宮町香山にあり、大歳(おおとし)神社の周辺にあります。

 香山の地名は、播磨国風土記(奈良時代)に記され、古くから開拓された地で「かこやま」とも呼ばれていました。城跡近くに奈良・平安時代の香山廃寺跡があります。このあたりに霊水が湧き出て、湯屋ができ薬師湯として賑わっていたといわれます。

 

 ▼香山廃寺の説明板                  ▼ 播磨国風土記の香山里条 碑

  

 

香山城のこと 

 

▼東からの鳥瞰  香山城域            ▼南からの鳥瞰 通行の難所

  

 

 姫路から宍粟市山崎方面に来るには、林田(国道29号線)方面からと、この新宮町香山を通る方法の2つのルートしかない重要な交通の要所でした。また、その揖保川沿いの街道筋は山が狭まり、軍事上の要衝でもありました。 

 

 ▼地形図                          ▼ 香山城遺構図

  

 

 この山城跡は、大歳神社の背後にあり、北郭・南郭があります。はじめて訪れたときは、石垣群に圧倒されました。この周辺では類がないのです。しかし、この城跡は、地元の人たち以外に余り知られていません。

 

 誰が、いつこの城郭を築城したのか。文献が少なくはっきりしていません。後世に書かれた「播磨鏡」や軍記物の「長水軍記」「信長公記」などに出てくるくらいです。

 

 香山氏の最期は、長水城・篠の丸城の宇野氏と運命をともにし、秀吉軍の黒田官兵衛を迎え撃つが、敢無く落城し、落武者は長水城をめざしたという。江戸期になり、香山氏末裔がこの落武者の弔いのために建てた墓が、たつの市新宮町牧に残っています。  (参考:「播磨新宮町史 文化財編」)

 

香山城跡へのアクセス

 

 香山の大歳神社に向かいます。神社は香島小学校の西北の山裾にあります。大歳神社の鳥居をくぐると、香山城の説明板があります。

 

 

▼大歳神社                         ▼香山城説明板

 

 

 まるで城の大手門と見間違えるかのような防備をイメージした山門があります。頭がすれすれの石垣の狭い通路をくぐり、石段を登ります。

 

 ▼山門                                                    ▼山門から拝殿までの急な石段

 

▼大歳神社 

 

 

境内の石垣下に湯溝が流れていて、左右に「香山城北郭」「香山城南郭」への案内板があります。防獣フェンスを開けて、湯溝に沿って右に進むと、すぐに左の林の中に石垣群が見え始めます。

 

▼右手にある北郭の案内板                 ▼神社境内下の湯溝

 

 

大手であったと考えられる中心の道を北に進みます。右に左に棚状に広がる石垣の数は半端ではありません。

 

 ▼大手道に残る石垣群

  

 

 大きな真四角の掘穴があります。これは、ため池がわりに作られた新しいものだといいうことです。さらに進むと古墳があります。ドーム状に大きな石が積まれています。

 

▼近年のため池(古城とは関係ありません)     ▼古墳(横穴式石室古墳 6世紀末頃)

  

 

   左に進むと、石垣に囲まれた主郭である本丸があります。下には掘代わりの池(今はぬかるみになっています。)があります。この池には本丸の左横の谷川の水が流れ込むように工夫をしていたようです。

 

▼本丸                           ▼本丸の石垣

  

 

▼本丸下の石垣                      ▼本丸下の池  

   

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

南郭について

 

  神社の左の南郭は、北郭に比べると区割りだけで、石垣も上部の一部に見られるだけで、まだ築城中の未整備であったものかそれとも別の用途で使われていたのかはっきりわかりません。北郭と南郭も共通点は古墳を守り神のように取り巻いていることです。

  

雑感

 

  香山城は、香山氏という赤松臣下の城郭としては大規模なものです。山城の多くは、平素は山裾の居館で過ごし、いざ戦いとなると山城に立て篭もりますが、この香山城跡の背後にある標高370mの尾根筋には、なんら人が手を加えたものがなく、家臣共々の屋敷曲輪を束ねた総石垣群の城郭は、中世の山城のスタイルとは違った造りになっています。南東向きの香山城は足元に広がる三角状の田園の先に掘り代りの揖保川があり、北面と南面は川に迫った山麓が関となっており、敵の侵入路が限定された自然地形にあって、石垣の城郭は、一族の結束を示す独特のものだったのでしょうか。

 

 今は杉や雑木が絡みつく薄暗い林の中に、苔むした石垣群がたたずんでいますが、一つ一つの曲輪に館が建っていたであろう当時の様は、まるで山一帯の壮大なものだったに違いありません。

 

※大歳神社の山門内部の杉板には、古くからの落書きが残されいます。中には江戸期から水運で活躍した揖保川の高瀬舟がいくつか書かれています。

 

 ▼大歳神社山門内 高瀬舟の落書きの一部

  

※しそうの城跡一覧

http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=122

 

 

 

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書き込み数は12件です。
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ]
Re: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
【返信元】 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
2014年02月16日 18:52
播磨の城郭から官兵衛の合戦の足跡をだどる特別展(2/15~6/29)
=たつの・埋蔵文化財センターー~
Re[5]: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
【返信元】 Re[4]: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
2014年01月13日 10:29
>播磨屋さん
 
1000m級の山々から集めた水量豊富な川で、高低差があるため水流も早く、過去多くの氾濫があったと思います。たつの市の日飼から南部は、平安時代以降西へ数百m移動していることが確認されています。下流域のたつの市あたりまでくると、平野が開けてくるので治水工事の出来ない昔は、なすがまま大きく川の流れがかわったのでしょう。
 
 播磨屋さんのお話で、ずいぶん前の話ですが、当時の宇原の自治会長が宇原の田んぼの底には砂利が多く、昔は川だったことを言われていたのを思い出しました。宇原と香山の地形は三角形の点対称のようになっていて、よく似ています。どちらも扇状地ではなく揖保川の流れが作り上げた堆積地(平野)でしょうね。

 香山城は地域的にその規模が大きくて、その財力の背景には中世後期に揖保川の物流や漁業権などを一手にしていたのではないかと推測しています。
 

▼揖保川の流れの変化 「揖保川 川のたび」より
Re[6]: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
【返信元】 Re[5]: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
2014年01月13日 00:58
>やすこさん

三日月藩の殿様が行き来されていたことや、金銭の貸し借りがあったとは興味深い話です。
建物は潰されて残念ですが、家業の古文書や証文でも残っているのでしょうか?

香山は、江戸期になって高瀬舟の舟運での恩恵を被っていたのでしょうね。
舟運もここから山崎の出石までの工事に膨大な投資があったようなので、はやくから香山は物流の基地としての基盤ができていたように思います。

中世には、油の原料の荏胡麻(えごま)が播磨や佐用で多く生産されていたといわれているので、その売買権利を得た油屋が財をなしたのでしょうか。
Re[5]: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
【返信元】 Re[4]: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
2014年01月11日 10:58
参考になるかどうか分かりませんが、私の叔母が香山の河崎という家へ嫁に行っていました。そこは中世から油屋をしていたと言っていました。江戸時代には乃井野のお殿様にお銭を貸していたそうで、殿様が来られたときにお通りになる上段の間がありました。今まで置いておけば歴史的建造物になるような家でしたが従弟が少し前に潰して跡地を売ってしまっていました。そういうことから考えると、あのあたりも高瀬舟の基地もあり,繁栄していたのではないでしょうか。
Re[4]: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
【返信元】 Re[3]: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
2014年01月09日 22:00
揖保川の流路の変遷をネットで調べてみましたら
和銅年間(700年ごろ)の流路は
宇原の南あたりから山に沿って蛇行し
香山の南で山にあたって東流
現在の揖保川の流れになっていたようです。

香山城が水運の拠点だったというのは
当たらずとも遠からずかも知れません。
たつのの歴史資料館あたりで話を聞きたいですね。
Re[3]: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
【返信元】 Re[2]: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
2014年01月09日 13:23
> 播磨屋

気になるのは、香山氏と水運業です。新しい発見でもあればですが、参加するかどうか迷っています。
Re[3]: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
【返信元】 Re[2]: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
2014年01月09日 13:16
 > げたさん

 官兵衛がらみもあってか、城跡のアクセスも1年前と比べれば2倍以上増え、最近では一日150件から200件あり、それが城郭紹介の励みにはなっています。
 この城郭コミュを見て、行ってみたいなと思ってもらえればいいし、行けなくても山城跡の記事や写真を見て、戦国の世に思いをはせてもらえればと思っています。

とにかく播磨は山城跡の宝庫なので、その紹介に役立っているとすればばうれしいですね。
Re[2]: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
【返信元】 Re: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
2014年01月09日 11:29
早々と、官兵衛効果が出てきたようですね。
26日は篠山のイベントで参加できません。
残念です。

高瀬舟による水運の拠点という話は
魅力的なのですが、ちょっと??なところもあります。

発掘調査とかされたのでしょうか?
まだでしたら、ぜひ、調査を進めて
真偽を明らかにして欲しいですね。
Re[2]: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
【返信元】 Re: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
2014年01月09日 09:39
世の中不思議な物です。

いままで関心がなかった人々もドラマが始まると動き始める。

貴方方が黙々と築いた物に敬意も払わず、何か矛盾を感じますね。

しかし、これが現実で全体を盛り上げる原動力にはなります。
Re: 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
【返信元】 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
2014年01月09日 09:02
香山城の秘密に迫る シンポ住民の初企画 2014.1.9神戸新聞より

香山城と官兵衛のかかわり
高瀬舟が発着する物流拠点に築かれた城の特性なども探る
Re[2]: 赤松ゆかりの城 ~香山城~
【返信元】 Re: 赤松ゆかりの城 ~香山城~
2011年12月21日 22:02
近くであまり歩く必要がないので、是非見てください。よろしければご案内します。あれから安くできる説明板の材質や形を考えています。
Re: 赤松ゆかりの城 ~香山城~
【返信元】 赤松氏ゆかりの城 ~ 香山城 ~
2011年12月21日 13:40
近くですのに知りませんでした。ここなら行けそうです。いってみたいです。それにしても案内板などは一応設置してあるのですね。