宍粟の地名(由来)の「地名の由来「播磨の国」」
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地名の由来「播磨の国」
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2011年07月21日 14:27

播磨国の地名由来

 

   播磨国風土記には、10の郡(こおり)を記述しているが、巻首の部分と明石郡そして赤穂郡が欠けている。巻首には播磨国の総記や播磨の地名由来が記されていたと考えられますが、残念ながら欠損しているため、その地名由来はその他の文献で推測するしかありません。

 

  播磨は、最初の文献では針間と書かれています。

 

古事記には

 

  播磨は、文献で初めて出てきたのは、最古の歴史書の古事記で、考霊天皇の状に「於針間氷河之前」「針間為道口」とあります。その内容は、神話時代の考霊天皇のころ、天皇の皇子二人が針間氷河(加古川)の岬で神を祀り、針間を山陽道の入口として吉備(岡山県)を平定したという。

 

旧事本紀(くじほんぎ)には

 

「旧事本紀※」によると、播磨国はもと針間国・針間鴨国・明石国3か国に分かれており、それぞれ国造(くにのみやつこ)が置かれていたという。その国造の墳墓が、姫路市御国野の壇徳山、加西市玉丘町の玉丘、神戸市西区の五色塚と考えられています。

播磨国風土記の編さん以前は、針間と播磨の表記が混在していたようですが、風土記の作成指示の一つ、「地名は好字で報告せよ」により、「播磨」に統一されていきました。 

 

※旧事本紀 : 平安時代から江戸時代にかけて日本最古の歴史書とされていたが、実際は本書の成立は9世紀初頭に書かれたと推定されている。内容が偽書ではないかと江戸時代判断されるようになった。しかし、一部の内容は、その他の文献にない独自の所伝があり、資料的価値があるとされている。

 

 

 

◇「播磨考」には七つの説

 

「播磨考」橋本政次著(1956)には、7つの説が挙げられています。

 

1、  萩(榛)

2、  針による

3、  雨の晴れ間

4、  張弓のような浜

5、  潮の張るによる

6、  浜の延音

7、  開墾による

 

1は、神功皇后(じんぐうこうごう)が九州で熊襲を征伐しその帰りに、たつの市揖保町萩原(はいばら)の里に立ち寄ると、萩(榛の木・はんのき)が一夜のうちに高さ3mも育ち、皇后が萩原の間に井戸を掘らすと、水が溢れ出したので、それを萩間(はりま)の井と名付けられた。それが「針間の井」と書かれ、国の名となった。

 3は、「神宮皇后が、ある日の晴れ間に御船を出し」た話から、晴れ間が播磨となった。

 4は、市川河口東の浜が弓張りになっていた地形から「張り浜」が播磨になった。

 7は、はりまのはりは、墾(は)りに通じ、「懇り浜」が播磨になった。

 

   角川日本地名辞典には、「古事記」「日本書紀」には針間国と見え、幡間国とも書いた.「幡」「播」ともに「ハ」であることから、国名は「ハマ」に由来するものとみる説がある。 と記している。

 

このように、これだという決定打がありません。播磨風土記の欠損の冒頭の部分の播磨地名伝承を探り、出てくる様々な説。しかし、その答え合わせができないもどかしさがあります。

 

  播磨(ハリマ)という発音で3音、漢字でたった2字の短い地名なのに、古の歴史に誘う呪文のような響きをもっているから不思議です。

 

参考:「播磨考」「播磨国風土記を歩く」「角川日本地名辞典」他

 

 

※  播磨国風土記の謎 消えた2つの郡

http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=13213…1309856365

※   しそうの地名の由来一覧

http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=102

 

 

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書き込み数は4件です。
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ]
Re: 地名の由来「播磨の国」
【返信元】 地名の由来「播磨の国」
2011年08月04日 11:16
播磨の地名由来を探る 追記

 磨の本字は(ひき)臼とあります. 実際6世~7世紀に臼がどこまで使われていたのか疑問がありますが、古代縄文・弥生時代よりすり鉢状の臼で木の実や豆を潰すようなものはあったかとは思います。ご指摘のように食文化として、日本で穀物を粉にして食す粉食が普及するのはかなり後世であったようです。
 文献には、日本書紀に高句麗から伝えられた水車で動く臼を作ったと記述があるようです。また奈良時代に小麦粉から作ったソーメン(素麺・索麺)を調理した食もあったようですが、一般化していなかったでしょう。
 ただ、奈良時代の風土記編さんに当たって、好(よ)き字を使うということで、「はり」「ま」と発音する漢字を適当に選んだとは考えられず、豊かな山水の国の特徴を播と、磨の原義を知った上の命名ではないかと思います。磨をみがく意ととると、播との意味がつながらなく、2つの漢字の共通項は穀物ではないかと思えるのです。
Re[3]: 地名の由来「播磨の国」
【返信元】 Re[2]: 地名の由来「播磨の国」
2011年07月27日 10:58
 ご指摘ありがとうございます。
辞書を見ての発見ですが、磨の本字は、パソコンで表示できないので、下記に辞書をUPします。
本字は石と音符麻(バ)(麻は変わった形。こなごなにくだく意)とから成り、ひきうす、転じて、けずりみがく意を表す。・・・とあります。
磨くの意は、細かくくだく(ひき)臼からきたようですね。説明が十分でありませんでした。説明を加えておきます。

▼角川新字源より
Re[2]: 地名の由来「播磨の国」
【返信元】 Re: 地名の由来「播磨の国」
2011年07月27日 09:58
なるほどなるほど! でも、播は分るけど、磨は、日本は粉食より粒食のほうが主流だったようなので、ちょっと気になるんだけど(素敵なイラストですが)。磨は広辞苑で こすりみがくこと、とぐこと、とあるから、米をきれいにすることでも良いのでは? でもそれは今は搗精と言っているけど・・・いらん茶々を入れました。
Re: 地名の由来「播磨の国」
【返信元】 地名の由来「播磨の国」
2011年07月26日 12:20
播磨の地名由来を探る

これだけ多くの説をみると、ちょっと私なりに、探ってみたい気持ちになりました。「必修口語辞典(学研)」と「角川新字源」を書棚から引っぱり出だして、まず「はる」「ま」をまず調べてみました。

すると
■ 墾る(はる)は、他ラ四(奈良時代語)開墾する。新たに土地を切り開いて、田畑や道・池などを作る。とあるではありませんか。

そして、
■ 間は、物と物のすきま、あいだ。連続の時間のあいだ、うち。そして家の中で、障子や屏風などに囲まれた区画、部屋を表す。

 播磨の国と呼ばれる以前は三国があり、その針間が使われているのは、明石国以外の2国で、地理的にはおよそ加古川以西・以北にあり、その地域の特徴から名付けられたとまず考えてみました。
 瀬戸内に面した豊かな浜、加古川から西には、市川・夢前川・揖保川・千種川が流れ、特に西播磨の揖保川・千種川は、中国山地の急峻な山に源流を発し、たくさんの谷筋に支流をもち、度々の氾濫で堆積した土は肥沃で、特に中・下流域では、温暖な気候が作物を豊かに実らせる好適地であったと思われます。播磨灘あたりは、豊かな森林がもたらす栄養を含んだ水が流れ込み、漁業は大いに潤ったと思います。
 その、開墾余地のある川沿いの小さくても広く点在する区画を、「懇り間」(はりま)と呼ぶようになったのでは。それが針間と変化し、播磨に統一されていったのではないかと考えました。

 風土記編さんの時に好字として、針間から播磨にしたのは、開墾地に種を播(ま)くことから、播(は・ばん)。そして、※ひき臼を意味する磨をあてた。はりまを、五穀豊穣の地であれと願い、種まきから収穫の穀物を口にするまでの動作を播・磨の2字で表したのではないかと。

※磨の本字(写真3)は、ひき臼。粉々に砕くことから、転じてけずりみがく意を表す。
※ひき臼は、収穫した穀物(米・麦・大豆・そば等)を製粉にして食するための農家の必需品。昭和20年頃まで利用された。

「E-宍粟」支援隊そーたんs

▼播磨国地図   ▼播と磨の動作(図  ▼磨の本字