宍粟・播磨の城跡の「篠ノ丸城(その6)篠の丸は山の名」
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篠ノ丸城(その6)篠の丸は山の名
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2011年07月19日 11:06

篠ノ丸城(その6) 篠ノ丸は山の名

 

「篠ノ丸」(山の名称)の位置

   「登山ガイド宍粟50名山」(2009.5)がこれから宍粟名山の登山を始めようとする初心者から、中級・上級のそれぞれの要望にそった登山の楽しみを与えてくれる判りやすいガイドだと思っています。

しかし、山の位置について大きな誤りを指摘します。歴史ある山(地名)のことなので、取り上げてみました。

 

それは「篠ノ丸」(ささのまる)のことです。50名山には、位置は山崎町青木の菅野小学校の裏山に書かれています。しかし山崎の町に突き出した通称「笹山」または「上ノ山」と呼ばれた山の頂に中世の頃「篠ノ丸城」が築城され、それ以後、その山は「篠の丸」と呼ばれています。

 

   歴史書を出すまでもないのですが、播州宍粟郡誌(江戸時代の片岡醇徳の著)には、「篠ノ丸は山の名、山崎町及び蔦沢村に亘って存せり。城址は俗に上ノ山と称する絶頂に在り。(中略)当郡誌に「山の名を篠の丸といふを疑い、山名はもと笹山なるべく、城を唱ふるに篠ノ丸といひ、後に山の名となれるものと考えたるは首肯すべし。」 とあります。さらに兵庫県宍粟郡誌(大正12年発行)には「上の山は一名を篠ノ丸といふ。山崎町の西北にありて中央に城址あり。これ別名の因りて起こる所ならん。」とあります。

 江戸期の町屋敷地図には、篠ノ丸城がある場所は、上ノ山の上方に「篠ノ丸」と記載され、周辺の加生村・門前村字限図にも「字上ノ山」との記載があります。この山頂には横須と門前・加生の境界線があり、城址のあった山頂部は、横須村の字限図に「篠の丸」とまぎれもなく残っています。

 

▼ 文化14年の山崎町家配置図

 

▼ 山崎町の絵図 (江戸期 本多記念館蔵)

 

 

▼横須村の字限図 山頂は字篠ノ丸 

 

▼加生の字限図 字上ノ山     ▼門前の字限図 字上ノ山

       

 

宍粟50名山の篠ノ丸の所在とされる地元青木や上牧谷では「戸倉山(とくらやま)」と呼んでいます。篠ノ丸の位置は両者の住民にとっても寝耳に水です。

 

以上により、この篠ノ丸(山)は篠ノ丸城趾のある山をさすのであって、青木の戸倉山を指すものではないことを指摘させていただきます。

 

 

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「E-宍粟」支援隊そーたんs


書き込み数は5件です。
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ]
Re[2]: 篠の丸城(その6)篠の丸は山の名
【返信元】 Re: 篠の丸城(その6)篠の丸は山の名
2011年07月20日 13:17
 命名の根拠を、何をもとに判断されたかわからなかったので、それを示していただいてよかったです。

 篠の丸については、江戸時代の片山醇徳の播州宍粟郡誌、それに大正期の宍粟郡誌を引用しましたが、ただ大正期の宍粟郡誌の付属地図が根拠と言うのは、根拠が希薄と思われ、文章内容を元とし判断願いたいと思っています。

 この篠の丸は、篠の丸城が築城されて以来の山名であることは、播州宍粟郡誌の説明のとおりです。地元では一本松として幾久しく親しんでいる山なのです。真に地元が愛する歴史のある名山とするには、命名の件を再検討されるべきことと思います。そのまま黙認すると既成事実として、歴史が歪曲され、いわれるように~歴史が崩れる~ことを危惧するのは私だけではないでしょうから。

※山名の資料として、発行年月日はわかりませんが、山崎町教育委員会発行の「やまの呼び名」が見つかりましたのでUPします。この地図には篠の丸・清正公・戸倉山が明記されています。 

写真
1、宍粟市山崎町の鳥瞰
2、郡誌の添付の地図(篠ノ丸の位置が誤って記載されている)
3、山の呼び名


「E-宍粟」支援隊そーたんs

▼1、山崎町の鳥瞰  ▼2、郡誌地図 ▼3、山の呼び名  
Re: 篠の丸城(その6)篠の丸は山の名
【返信元】 篠ノ丸城(その6)篠の丸は山の名
2011年07月19日 21:56
気になっていた「篠の丸」山名に付いて書き込みさせていただきます。
私が地元山として登っていた山ですが、手っきり戸倉山として認識しておりました。地元上牧谷の人にも尋ねましたが戸倉山とお答えいただきました。
国土地理院での点名は「上牧谷」です。
したがってブログ・HPも私は「戸倉山」で乗せていました。
http://blog.goo.ne.jp/smailpoint/s/%B8%CD%C1%D2%BB%B3
篠の丸との表示は、心ぐるしく悩んではいました。

この事となったのは、添付画像のように
歴史文書の内容からです。
現実は、篠の丸 と聞けば当然最上さんの一番高い所となっています事から迷いが出るのは必須と思っていました。
また、どう考えても城下町からかけ離れたところに城が築かれる事も考えられません。
策定委員では名がない山に名づけるには、根拠も必要となり、
この添付歴史文書に従わねばならず、公表する事となったのです。
私がいつまでも気になる事は、タケネットさんの指摘の通りです。
住民(私も含め)にとっては歴史が崩れそうですが
公表となりました上は、心苦しくも青木、上牧谷に挟まれた山全体を
篠の丸とし、城跡は最上さんと今は、思うようにしております。m(__)m
Re: 篠の丸城(その6)篠の丸は山の名
【返信元】 篠ノ丸城(その6)篠の丸は山の名
2011年07月19日 13:36
50名山の山名策定に当たっては、色々と理由や根拠あるのでしょうが、できれば地元で親しみ通用している名前を採用していただけると戸惑うこともなくありがたいです。

是非次回改定の折などご検討いただきたいと思います。
「篠の丸」については50名山としてどちらの山を採用するかの問題もありますが…
Re[2]: 篠の丸城(その5)篠の丸は山の名
【返信元】 Re: 篠の丸城(その5)篠の丸は山の名
2011年07月19日 12:14
運動会の騎馬戦、紅白に分かれてにらみ合い、
この山小運動唱歌をみんなで歌いながら最後に
「ワー」と喚声を上げながら戦いました。
勇ましい、素晴らしい歌です。
50年以上たっても未だ歌うことがあります。
Re: 篠の丸城(その5)篠の丸は山の名
【返信元】 篠ノ丸城(その6)篠の丸は山の名
2011年07月19日 11:29
山小運動唱歌の1番に、篠の丸が出てきます。

高くそびえる篠の丸 
昔を語る城の跡
清く流がるる 揖保の川
早瀬のひびき 絶え間なし

ついでながら、篠の丸を唄った「篠の丸の四季」を紹介します。「むかし懐かしい山崎の民謡を唄い語り継ぐ」より

篠の丸の四季

昭和7年作 
作詞 野口雨情

一、春のあけぼの篠の丸
桜の花もたなびける
霞の中にほころびて
松や桧の枝陰に囀交(さえずり)交す鶯(うぐいす)や
人の心も長閑(のどか)なり

ニ、夏は青葉の篠の丸
風もすヾしく山々を
啼いて空ゆくほととぎす
誰にたよりを聞かすやら
いまを盛りの花つゝじ

三、秋の紅葉は篠の丸
織るやあかねの唐錦
色とりどりにうつくしく
屋根の木陰の間より
誰が見るやら恥ずかしや 

四、冬は雪冴え篠の丸
積もり積もりていつしかに
見渡す限り銀世界
まつ身に長し寒き夜や
解けてくる日はいつじゃやら  


※山崎小学校(宍粟の学舎)
「山小運動唱歌」http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=5551&…;bbs_id=90