宍粟・播磨の城跡の「篠ノ丸城(その5)城主黒田官兵衛」
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篠ノ丸城(その5)城主黒田官兵衛
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2011年07月15日 14:07

宍粟郡・篠ノ丸城は黒田官兵衛のゆかりの地

~秀吉の天下統一を強力に推し進めた軍師黒田官兵衛~

 

 

 

宍粟郡・篠の丸城は、黒田官兵衛ゆかりの地

 

史実では、軍師黒田官兵衛は、篠ノ丸城・長水城が落城してのち、秀吉より完(宍)粟郡の地が与えられました。山崎町史には、天正12年7月18日に黒田官兵衛は「為扶助播州完粟郡一職遣之 可全領知之状如件」という一書をもらって宍粟郡を支配することになった・・・とあります。

 

▼羽柴秀吉知行充行状  黒田家文書より

読み下し文

扶助として、播州宍粟郡一職(いっしき)これを遣わし候。全く領知すべきの状件(くだん)の如し。

 天正壱弐年 七月十八日  黒田官兵衛尉(くろだかんべえのじょう)殿  秀吉(花押)


※一職:他の支配を交えずに自分が思うがままに支配すること。

※領知:領有して支配すること。知行

 

それは官兵衛がはじめて、大名に取り立てられ、最初の知行地が宍粟郡であり、篠の丸城主となったゆかりの地なのです。

 

▼ 昭和10年代の篠の丸と最上山(さいじょうさん)

 

▼最上山から南東を望む 昭和10年代

 

 

 

 

◇小説播磨灘物語

 

 黒田官兵衛について書いた小説では、司馬遼太郎の「播磨灘物語」がよく知られています。そして、「街道をゆく」でも、~播州揖保川・室津のみち~で、宍粟郡山崎町と官兵衛の居城としての山崎城(篠の丸城)が取り上げられています。街道をゆくの中から、その関連の記述を抜粋してみました。

 

播州については「播磨灘物語」(昭和48~50年)を書いているころ、あちこちと歩いた。もっともこの小説は、主として東播の三木や西播の姫路付近が舞台だったので、歩くについても、ついそのあたりにかぎられた。たとえば因幡(いなば)とのさかいにつづく宍粟郡の山崎までは行っていない。

そのころ、山崎には行っていないことが絶えず気になっていた。

  山崎は、三木や姫路のように播州平野の真っ只中にある集落ではない。因幡や但馬の山なみが播州の宍粟郡まで南下し、山崎で尽きる。山崎という地名は、京都府の山崎もそうだが、おそらく山なみの先端という地勢から出たものに相違ない。

「播州灘物語」という小説は、西播磨の土豪だった黒田官兵衛が主人公になっている。・・・

かれは自分の累代の居城である姫路城まで秀吉にくれてしまい、かれ自身は住まいがないまま、家族と家臣をひきい、姫路の北方十里の山里である山崎に移った。・・・

  私は官兵衛が一時期居城とした山崎の土地に行ってみねばと思いつつ、ついに行かなかった。・・・画伯と私の共通の古い友人をさそって旅を楽しいものにしようと思い、歌人の安田章生氏に願い出てみることにした。

 

 司馬遼太郎は、播磨灘物語を書き終えたあと、昭和51年(1976)に「街道をゆく」の播州揖保川・室津みちの取材のため、宍粟市山崎町に訪れ、そこから南下し、龍野を経由し室津への旅をしています。その内容は、「街道をゆく9」に収録されています。同行したのは歌人・国文学博士の安田章生(あやお)氏。(「揖保川下流吉福を在所とし、幼少を龍野・山崎で暮らしたきっすいの西播州の人」と文中に紹介されています)

 

 

◇官兵衛のあしどり

 

  官兵衛の宍粟の知行は、町史によると天正12年から天正15年の豊前国中津に移るまでの3年間となります。姫路で生まれ、軍師としての秀吉に仕えた黒田官兵衛の播磨でのあしどりをこれからたどって見たいと思っています。

 

 

[参考] 「BanCul 2003秋号、同2009秋号」、「播磨灘物語」、「街道をゆく9」、「山崎町史」

 

 

※篠ノ丸城(その1)

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※篠ノ丸城(その2)

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※篠ノ丸城(その3)

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※篠ノ丸城(その4)

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・篠ノ丸は山の名 http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=13405…bbs_id=122
・篠ノ丸整備進む http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=19526…bbs_id=122
・篠ノ丸城址 大手口周辺の探索 http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=20687…1410618153

 

 

※しそうの城跡一覧

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Re[2]: 篠の丸城(その5)城主黒田官兵衛
【返信元】 Re: 篠の丸城(その5)城主黒田官兵衛
2011年07月16日 08:40
司馬遼太郎の取材に同行した安田章生氏と安田青風氏との関係が気になって調べてみると、章生の父が青風であることを、この記事を書いたあと知りました。で、その注解をどうしようかなと思っていたところでした。
 青風氏を囲んで、やすこさんのお母さんをはじめ当時の歌壇を高めた文化人の集まりのお話を読ませてもらったことを思い出しました。

 ついでながら、この安田氏が、司馬遼太郎を卒業後初めての山崎小学校を案内する場面で、当時には水を湛えていた堀がなくなっていることに気づきとまどう場面が印象的です。
Re: 篠の丸城(その5)城主黒田官兵衛
【返信元】 篠ノ丸城(その5)城主黒田官兵衛
2011年07月16日 07:34
安田章生氏のことをここに記すのは変かな、とも思うのですが、
お父上 安田青風氏(1895~1979)が太子町出身、大正14年~昭和12年まで山崎高女教諭、戦後、関西屈指の短歌誌『白珠』発刊・主宰、山崎高女で「草の実短歌会」創設、昭和7年「山崎歌話会」創立・会長。山崎の短歌史の重要人物です。なので幼少時代を山崎で暮らしていらっしゃいます。長じては大阪の女子大の教授をされ、国文学の権威です。適当なところへ移して下さい。