宍粟・播磨の城跡の「篠ノ丸城(その3)小字大王寺とは 」
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篠ノ丸城(その3)小字大王寺とは 
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2011年07月12日 10:58

篠ノ丸城(その3) 大王寺とは

 

今回は、前回(その2)に引き続いて、宍粟城郭研究会代表の藤原氏の宇野氏の研究による篠ノ丸城と関連の支城についての見解を紹介します。

天正8年(1580)の山崎地区

  この時期の様子は、「信長公記」と「長宗我部文書」とも同じような記述であるが、これは記述の根元となる根拠が同じであることを示している。

これを眺めると山崎地区の様子を知ることができる。しかし、地元の伝承は「長水城合戦記」を原点にしていうる為、疑問が多いといわざるを得ない。

まず「親・伯父の両構」の平城2ケ所の比定地を「五十波構」「清野構」とするが、これは「近世山崎城」と「篠の丸麓の字東大王寺」と考えるべきである。

なぜなら、城として地形的に見て、一番の適所は「近世山崎城」のある場所であり山崎町史にも「天文年間(1532~55)に尼子氏の砦」があったと記述されている。おそらく前当主政頼の隠居城であったと考えられる。

  もう一か所「字東大王寺」は現在の※山崎八幡神社がある場所で「篠ノ丸城の根小屋」として「下野守」の居館と考えている。

 

 ▼ 篠の丸の麓の字東大王寺 (門前村の字限図)

 ※山崎八幡神社の由緒では、創立年代は不明、元柏野(加生)篠ノ丸山麓にあったが、大同2年(807)社を同村字今宮に移転し、応仁元年(1467)に門前村字東垣内に移されたという。

 

  この平城2ケ所で敗れて、250人が討死した、文書に言うところの・・・後の山(篠の丸山城)に逃げ入り、彼民部太輔、山城(長水城)に逃げ登候、とある。(参照 下記秀吉書状)

また「篠の丸城」は「搦手口」である横須地区にも屋敷跡が残されている。

 

▼横須村の字限図

山頂に字篠ノ丸、麓に字上屋敷・屋敷の地名が見える 

▼ 横須からの篠の丸を望む

 

    「長水山城」も赤松氏との度々の抗争により、戦国時代に随分改造されており、特に本丸の石垣は、その手法から見ると天正年間(1573~92)以降の改修と見られる。

元来、城は一族の支配拠点であり、地域支配の最も適した所に築かれていたものであり、経済的な背景を十分に考慮しなければならない。

しかし、近世の戦記物から見ると「要害性」を優先し、見方を間違える事となる。現在の城跡は幾度も改修された最後の姿を今に残しているものであり、次の項でそれらについて解説していく。

「五十波構」については中世の方形居館の一つであろうが、城郭としては規模的に小さく「荘園の政所」であったものであろうし、「清野構」も大体同じであろう。

 

宇野の勢力

 

  宇野氏は、前期の赤松家体制では播磨西8郡の守護代をつとめる家柄であり、守護所の所在から「広瀬」呼ばれていた。再興した赤松体制では、郡代(宍粟郡)で「広瀬衆」として一族で行動している。宇野氏は総領家を中心して一族としてまとまり、上野家、下総家、弾正家などが文献から確認される。

 

天正年間(1573~92)までは、宍粟郡内の国人領主をその支配化にして行動をともにしているが赤松政則の死去に伴い、播磨国が東西に分かれて戦いを繰り広げた際は、浦上氏を盟主とした「西方」に属して行動することが多かった。

 

戦国時代後期には、出雲の尼子氏とも連携して守護赤松家とも戦っている。

しかし、最終期の天正8年(1580)には、国人領主(安積氏・田路氏・中村氏など)は離れ一族だけで織田信長に対抗せざることになり没落した。

その勢力は、最終期において一族まとめて500人迄と考えられ、羽柴秀吉の軍勢に対抗するのはとても無理である。

無謀と思える抗戦も「名門一族としての誇り」と地域勢力の過信がそうさせたものであろうか?結果的には近世まで家を存続させる事ができずに没落することになった。

 

      秀吉書状

 

 

 

⇒ 篠の丸城(その4)につづく

http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=13329…1310532511 

 

※ 篠の丸城(その2)

http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=13297…1310355367

※ 篠の丸城(その1)

http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=10881…1288792015

※ しそうの城跡一覧

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