宍粟の地名(由来)の「岡山県総社市にもう一つの宍粟(その3)」
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岡山県総社市にもう一つの宍粟(その3)
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2011年06月30日 11:48

岡山県総社市にもう一つの宍粟(その3)

   総社市の「鬼ノ城(きのじょう)」とたつの市新宮町の「城山城(きのやまじょう)」は同じ朝鮮系古代山城です。ではこの山城は誰が何のために建てたのでしょうか。

 

〇日本書紀に古代山城の築城の記録

 

 

 ▲倭国防衛のために築かれた古代山城

 

  7世紀に入って、東アジアは、戦乱の時代となりました。朝鮮半島では(660年)に、唐・新羅(しらぎ)連合軍の攻撃によって百済(くだら)は攻め滅ぼされ、それを機に、朝鮮半島に進出していた倭国は、白村江(はくすきのえ)の戦い(663年)で、唐・新羅連合軍に大敗しました。

   倭国は、敵国の侵攻を恐れ、その備えのために、西日本の要所に多くの朝鮮式山城を築城しました。そのことは「日本書紀」に記されています。一方、記録にはありませんが、朝鮮式山城と同種遺跡の古代山城(神蘢〈こうご〉石系山城)が16城あり、鬼ノ城・城山城もその中の一つです。

 

〇吉備・播磨の2国を管轄した吉備大宰石川王

 

   今日、これらの古代山城の残るのが、いずれも7世紀後半に大宰(おおみこともち)、総領によって管轄された地域です。大宰・総領は主として西日本(筑紫・吉備・周防・伊予)に派遣され、一国単位の国宰(くにのみこともち)(国司)に対し、複数の国をまたいで軍事的な役割を持った官職のようで、筑後の大宰府以外は大宝令制定に伴って廃止されました。

  播磨国風土記の※揖保郡広山里条は、石川王という人物にまつわる地名説話を伝えており、ここでの石川王の官職は「総領」ですが、彼は「日本書紀」にみえる「吉備大宰石川王」(天武天皇8年<679>三月己丑条)と同一人物と考えられています。吉備大宰が吉備のみならず播磨を管轄している事実は、備中の「鬼ノ城」と播磨の「城山城」に共通点を見出せるのです。

※風土記の揖保郡広山里の条に、吉備太宰石川王が、もとは握村と呼ばれていた地名を広山里と改名したということが記されています。広山の里はたつの市誉田(ほんだ)町広山を中心とした地域とされています。

 

〇交通の要所 古代官道とみなされる美作道と山陽道

 

 

 

  城山城(たつの市新宮町)の東から北へ播磨と美作さらに山陰地方を結ぶ美作道が通り、この道路には宍粟郡で産出される鉄の輸送路として機能していた官道の可能性があるという。さらに城山城の南尾根を進むと、その山麓には山陽道が東西に走っています。二つの歴史的重要な交通路に立地しています。

   城山城の東のふもとの揖保川流域は6世紀に越部屯倉(こしべのみやけ)が設置され、大和政権の重要拠点となっていました。その設置に渡来系移住民の力があったことは、ドーム状天井をもつ馬立古墳群が物語ります。※屯倉(みやけ):大化前代における朝廷の直轄領および直轄の農業経営地。

 

まとめ

 

  吉備の宍粟・播磨の宍粟は、その古代の地はともに鉄を生み出す文化を有し、吉備の政権の勢力が播磨の加古川まで延びていたこと。両国が広域に統治され、それぞれに朝鮮系の山城が建てられていたことがわかりました。宍粟郡は播磨国風土記には宍禾郡(しさわのこおり)と記され、もとは揖保郡に属し、大化の改新後に揖保郡から独立して一郡になったとも記されています。

 

   このような背景を踏まえたうえで、大胆な仮説を立ててみました。

 

   吉備の国が大きな勢力をもち全盛期には播磨の国の加古川まで勢力を延ばし、播磨西部の平野部に及んでいたことが古事記の説話で示されるとともに、播磨の豪族の中には、吉備との同族伝承が語り継がれています。

 播磨国宍粟の豪族が吉備の国の一豪族と姻戚関係をもちその宍粟一族の村として残されたものか。もしくは、大和政権が国を支配するようになり、吉備大宰石川王が吉備と播磨を治め、吉備の国の開発や利権を求めて、播磨宍粟の山部(やまべ:朝廷直轄の森林資源や鉄を管理する職)の率いる集団もしくは、川入部として漁業を得意とする集団がこの地に呼び寄せられ、そのあと定住した可能性が考えられないだろうか。 

 

参考:「風土記からみる古代の播磨」「兵庫の中の朝鮮」「日本の歴史 大王から天皇へ」「新宮町歴史資料」他

 

 

 

※岡山県総社市にもうひとつの宍粟(その1)

http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=13091…bbs_id=102

※岡山県総社市にもうひとつの宍粟(その2)

http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=13131…1309239442 

 

▼マップ:城山城(たつの市新宮町)

 

「E-宍粟」支援隊そーたんs

 

 

 

 

 


書き込み数は6件です。
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ]
Re[2]: 岡山県総社市にもう一つの宍粟(3)
【返信元】 Re: 岡山県総社市にもう一つの宍粟(3)
2011年07月21日 20:54
コーゾー君さんへ

お恥ずかしいです。
 5月22日に総社市に行きました。鬼の城や備中高松城、官兵衛の策と伝える水攻めの遺跡、足守藩の町屋敷などに時間をたっぷり使いました。

 次回の宍粟探索は、鹿沢城主池田家の資料(岡山池田家文庫蔵)も見てみたいので、1日では無理でしょうね。(^―^)  
BY タケネット


写真は、備中高松城の水攻めの図(高松城址公園資料館・公園内説明版より)
Re: 岡山県総社市にもう一つの宍粟(3)
【返信元】 岡山県総社市にもう一つの宍粟(その3)
2011年07月21日 13:31
タケネットさん、

相当の力作で感銘いたしました。
いずれの宍粟も鉄を持ち、吉備の国が加古川まで
勢力を張っていた。 宍粟同志で豪族の繋がりが
あったのではないか。

面白いですね。

第四弾のリポートを楽しみです。
かって、鬼ヶ城や宍粟、高松城の付近をうろつきました。
Re[3]: 岡山県総社市にもう一つの宍粟(3)
【返信元】 Re[2]: 岡山県総社市にもう一つの宍粟(3)
2011年06月30日 22:30
シーガルさんへ

 「古代史の掘り起こし」というたいそうなことではないのですが、「宍粟の地名」をめぐって、たまたま古代史の深くて広い一端を垣間見ることができてよかったと思っています。
残されたわずかな文献資料や遺跡物をどう読み取るか、その解釈の違いが多いのは古墳時代ですね。4世紀は何の手がかりもない空白の世紀だともいわれています。新しく古墳が発見されると、大勢の見物客がやってくる理由が少しわかった気がします。  タケネット
Re[2]: 岡山県総社市にもう一つの宍粟(3)
【返信元】 Re: 岡山県総社市にもう一つの宍粟(3)
2011年06月30日 22:27
やすこさんへ

 鬼ノ城には既に行かれていたのですね。さすがに行動半径が広いですね。そのバイタリティには脱帽です。
宍粟の地名の探索で「鬼ノ城」と「城山城」が吉備と播磨を結び付けるキーワードになりました。(後は現場ですね。)

by タケネット
Re[2]: 岡山県総社市にもう一つの宍粟(3)
【返信元】 Re: 岡山県総社市にもう一つの宍粟(3)
2011年06月30日 16:41
古代史の掘り起こしはすごくおもしろそうですね。
史料が少ない分、想像力が膨らみ、あれこれと仮説が浮かびます。

また、仮説を基に、現地踏査で某かの発見があれば、嬉しいですね。
研究しがいのある分野だと思います。
Re: 岡山県総社市にもう一つの宍粟(3)
【返信元】 岡山県総社市にもう一つの宍粟(その3)
2011年06月30日 16:31
近代史の宍粟にも結構ロマンを感じたけれど、古代史の宍粟は壮大な話で凄いですね。鬼ノ城行ったことがあります。大きくて驚きました。次を楽しみにしています。岡山の宍粟も粟は穀物としても良いくらいに田んぼがある感じですね。