宍粟の地名(由来)の「岡山県総社市にもう一つの宍粟(2)」
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岡山県総社市にもう一つの宍粟(2)
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2011年06月28日 14:37

発見! 岡山県総社市にもう一つの宍粟の地名 (その2)

 

  岡山県総社市宍粟と兵庫県宍粟市の宍粟は、播磨国風土記や正倉院文書に出てくる古い地名で、偶然ではなく、なんらかの繋がりがあったに違いないと考え、机上ですが、そのつながりを探ってみました。

 

〇奈良時代の吉備の国の宍粟

 

  吉備の国の宍粟は、高梁(たかはし)川中流域にあります。上流には鉄穴(かんな)流し跡地が広く分布しており、鉄を生み出す技術が朝鮮からもたらされたと考えられています。この高梁川は岡山でも有数の鮎漁の川で、宍粟市の揖保川のそれとまったく同じです。宍粟は高梁川の中流で大きく蛇行した河の左岸(北)にある集落です。かつてこの川流域で多くの川人部が生業を営んでいたのであろうし、村の背後の山々では猪・鹿の狩猟もさかんであったと思われます。高梁川の蛇行がもたらした肥沃な地には古くから稲作が行われてきたと考えられ、その温暖な地とその生活環境は宍粟の南部にとても似通ったところがあります。

   賀夜郡白羽郷宍粟里の「賀夜」は、朝鮮半島南部に分立していた諸国の総称の「※伽羅(から)」「伽耶(かや)」に通じ地名にも渡来人の土着の証が残されています。

※任那(みまな)は伽羅(伽耶)諸国中の金官国の別名。「日本書紀」では諸国を総称して任那と呼んでいる。

 

▼5世紀の東アジア

 

 

〇総社市の北東に古代山城「鬼ノ城(きのじょう)」

 

総社市の北東には、古代の朝鮮式山城といわれている鬼ノ城があります。吉備高原の南端に位置し、標高400mの鬼城山に築かれています。城壁の長さは鉢巻状に2.8kmに及び、その巨大さに圧倒されます。ここに住んでいたといわれる百済の王子と称する「温羅(うら)」という鬼がいて、鬼ノ城を舞台に悪行をした伝説があり、それをモチーフとして桃太郎の鬼退治の話ができたといわれています。

 

 

 

 

この城の眼下には造山(つくりやま)古墳群(墳丘の長さで全国4位)をはじめ多くの古墳が見られ、倭政権に対峙する大豪族または吉備政権があった可能性があります。

 

※  鬼ノ城のこと

鬼ノ城は昭和46年偶然の山火事によって山の全貌が見え、その調査が民間研究に始まり、本格的な学術調査が始まったのは昭和53年のこと。そして、昭和61年3月に鬼ノ城山が国指定史跡となりました。総社市は平成13年度より史跡整備に着手しています。

 

〇揖保郡新宮町(現たつの市新宮町)に古代山城「城山城」

 

   その同じ朝鮮式古代山城が宍粟市の南に隣接しているたつの市新宮町の「城山(きのやま)458m」にあることがわかりました。城山城は※嘉吉の乱の舞台となった中世の山城で有名ですが、この山城には朝鮮式と考えられる古代山城の門の礎石や石塁などの古代の遺構が残っています。※嘉吉の乱(かきつのらん):室町時代の嘉吉元年(1441年)に播磨守護赤松満祐(みつすけ)が室町幕府6代将軍足利義教(よしのり)を暗殺した事件。暗殺の後、播磨に下り、城山城で幕府方追討軍に敗れ自害しました。

 

▼嘴崎(はしさき)の屏風岩より  山の稜線は釈迦の寝姿に見えることから寝釈迦と呼ばれている

 

▼城山城案内図                                 

                                     

 

 ▼城山城の礎石・石塁

  

 

  さらに、この山のふもとには、渡来人の関わったと考えられるドーム型の横穴式古墳「姥塚(うばづか)古墳」があります。古墳と古代山城の関係がどうなのかが注目されます。

 

▼姥塚古墳 

 

 

・新宮町※馬立(うまたて)の山麓に22基の馬立古墳群がある。姥塚古墳はその代表

 

   では、誰が何のために、城山城をこの場所に築城したのかを見てみると、それがどうも岡山県総社市の「鬼ノ城」との結びつきが見えてくるのです。

 

参考 「風土記からみる古代の播磨」「兵庫の中の朝鮮」他


※岡山県総社市にもう一つの宍粟の地名(その3)につづく

http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=13154…bbs_id=102

 

 

 

 

マップ:岡山の鬼ノ城

 

 

「E-宍粟」支援隊そーたんs


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