宍粟の地名(由来)の「もう一つの宍粟② 宍粟農場」
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もう一つの宍粟② 宍粟農場
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2011年03月01日 10:40

もう一つの宍粟② 宍粟農場

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<新篠津村百年史から>

▼村の人々の服装と住まい(明治後期)

 

 

 ◆ 開拓の一番乗りが宍粟農場

  宍粟の地から北海の地に渡り石狩原野に新天地を求め、その開拓に果敢に挑んだ宍粟人の記録が、「新篠津村百年史」(H8.9)に新篠津の素地をつくった大規模農場として「宍粟農場」がその筆頭にあげられていたのです。

 

 

 ▼明治時代の宍粟部落

 △朱線は、宍粟郡(新宮町も含む)出身者と確認できた人 

◆ 過酷な開墾 ~熊笹に覆われた樹林地

  彼らの開墾した地域は、東端の石狩川沿岸から着手したが、あらゆる所が樹林地で、木々は巨木で熊笹が繁茂しているため開墾は困難を極めた。開墾が終わっても、根がそのまま散らばっており、馬を用いて耕すことができず、そのため多くの人夫を要したとあります。

  貸下げ地は、おおむね湿地と泥炭質地で、排水溝の設置が必要で、ことに泥炭地のごときは、肥えた土を入れなければ農耕に適さない。労力と時間を要する過酷な開墾であったと。

 

  明治27年(11月現在)

1、移住戸数  27戸 人員 86人

2、懇成総坪数 5万4千坪

   内播種坪数 2万4千619坪

3、1戸墾成最多 4千5百坪

   同最小 3百坪

4、重要農作物

  姉子豆 播種2町歩 収穫30石

  小豆 同2町3反歩 同15石6斗

  栗 同1町歩 同30石

     その他僅少につき之を略す

 

   

  ▼当時の宍粟農場の概要の記録           ▼開墾指導の景(明治末)

  

   

  ◆ 氾濫を繰り返す石狩川

  さらに新篠津村百年史を読むにつけ、本土の温暖地からの訪問者には、北海道の冬はあまりにも厳しい。さらに蛇行を繰り返す石狩川が数年毎に氾濫を起す。春の雪解けと長雨、秋の台風時期の氾濫により大規模な冠水をもたらすことがある。樹林・湿地・泥炭地に鍬を入れ少しずつ開墾・整地し、種をまき、やっと収穫にこぎつけと思った矢先の水害はいかばかりか。夢破れ、多くは離村。それを横目に、地を這って生き抜いた人々の記録が残っています。

 

▼明治31年の水害のようす(砂川市街)

 

 

 

※もう一つの宍粟③北海道開拓の背景につづく http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=11986…1299040468

 

※宍粟の地名一覧 http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=102

 

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