宍粟・播磨の城跡の「柏原城(山崎町金谷) その2」
「柏原城(山崎町金谷) その2」の書込一覧です。
柏原城(山崎町金谷) その2
【閲覧数】2,291
2011年02月15日 11:57

柏原城のこと

柏原城跡から東方面を望む(国見山展望台の向こうに山並みが見える)

 

北方面を望む(中央に長水山が見える)

 

柏原城について、中世城郭研究家の藤原孝三氏の最新調査報告を紹介します。

この調査報告によって前回の疑問点であった、柏原城をなぜ国見山の背後に配したのか、その理由が解けるとともに、大手道が新宮町奥小屋地区ということが導き出されます。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

柏 原 山 城

 

 

 
 
柏原山城は、宍粟市と揖保郡の境界山系の標高453mのピークに位置しており東に国見山(標高465)を※指呼の間(650m)に望み、北方向は前に連なる山並みに視界を制されている。遠くに長水山城を見る事が出来るが距離的には(5,650m)には遠過ぎて軍事的に疑問があり、国見山を含む東方面の監視が目的である。

従って 山城の役目は、揖保郡からの「境目の城」である。
現状は、伐採した木の残材木が放置されて、地形の読み取りに難がある。
大手虎口(おおてこぐち)は南方向で、新宮町西栗栖からの奥小屋地区からと考えられる。最も重要な守備部署は、南南東の尾根筋であり、この尾根の防備として横堀で厳重な「出郭」がある。
その次に重要なのは、北方面の尾根筋である。この方面は三重の堀切があり、比高も20mを有して厳重をはかる。
それに対して、西方両の尾根筋には二重の堀切があるが、浅く規模は小さい。

※指呼の間(しこのかん):指さして呼べば答えるほどの近い距離。

 

城の構造

 

【本 郭】

 

この城の最高所で、南北20m・東西43mの長方形であるが、加工度が低い。
北の中央部に微高地があるが自然地形もあり、未完成の感がある。Ⅱ郭との堀切も、浅くはばも狭い。

 

【Ⅱ 郭】

 

この郭は、南北20m・東西40mの細長い台形で、長辺部が高くて重要な部署である。周囲に帯郭を配して守備の厳重を期する。
帯郭は、南方面が重要視されている。
「出郭」との間に土橋があるが、本来は橋造りと考えられる.
南隅が坂になっているが、本来は切岸である。

 

【出 郭】

この郭は、南北16rn・東西14mのほぼ正方形で、実に良く造られている。一部に土塁も認められ、周囲を横堀(巾5m)が巡る。

 

【その他】

 

南の尾根筋に、かなりの広さの平地がある。地元の伝承では「居住地」との事であるが理解に苦しむものである。
ただ考えられない事でもあるが、村里から遠く離れているので、駐屯していた人々がゆっくり住んでいたのかと考えられる。少し調査が必要である事は事実である。


 

平成23年2月1日 文責  藤原孝三


 

追伸 : 今回は、1月下旬の寒い時期で積雪のある足場の悪い中の調査で大変であったかと思います。いつかは、奥小屋からの道を探れることができればと思っています。

 

 

※柏原城 その1 http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=11306…1292473735

※しそうの城跡一覧

http://shiso-sns.jp/community/?bbs_id=122

 

「E-宍粟」支援隊そーたんs


書き込み数は1件です。
[ 日付順 ] [ 投稿者順 ]
Re: 柏原城(山崎町金谷) その2
【返信元】 柏原城(山崎町金谷) その2
2011年02月15日 23:43
この城は国境の城で、ここから国見山や山崎盆地を
見張っていたんですね。(一か所、国見山が岡見山と
なっています)

その(1)で、なぜここにあるのだろう ? の疑問が
解けましたね。

これでぐっすり寝られますね。