宍粟・播磨の城跡の「鳥子城(山崎町塩山)・その2・」
「鳥子城(山崎町塩山)・その2・」の書込一覧です。
新着返信
返信がありません
QRコード
鳥子城(山崎町塩山)・その2・
【閲覧数】1,771
2010年12月15日 10:10
鳥子城(その2)

幻の城はどこか(その2)

 平成10年5月30日中石氏より電話があり、お城についての情報をいただいたので早速お家にお尋ねし、現地へ行ってみる事にし、中石さんが子供の頃親の言い伝えで聞いていて青年時代に城跡の石垣が少し残っている場所を知っているとの話でしたので確認にいきました。

 険しい雑木の中を木の根や枝を頼りに這い上がりました。登校路より上がると楽に上がれるが人の嫌う場所ですから急な箇所から入りました。中腹の広い木立の中で目当ての松の木(大きく三本並んでいて石垣の上に立っている)との事で木の株や墓石がそのまわりに木葉に埋まっているのが目に入り、思わず般若心経を唱えながら目的の松を探しました。

 遂に探し当てました。案内をしてもらった中石さんが青年時代(約50年余り)の記憶の通り三本の松が生えていてその根元に石垣らしき右横が約二米余り残っていて、そのまわりに石垣が崩れたのか沢山の石が散らばっていました。本当にこのまわりにお城の建物か何かがあったのかなと感じました。

 又、片城と呼ぶのについては或人は何か大水の為に片方だけ残ったのだと年寄りより聞いているとの詰もありますが、私が思うのに秀吉に攻められ長水城も落城し片城(トリコ城)も焼け落ち同時に寺大福寺も消失したとの言い伝えですから城は一部を残して焼けたかではないかとも思います。大水説にはどうも納得しがたいのです。志文(しぶみ)川はだいぶ下の方ですので。土方小学校より南に今出(いまで)の曲がり迄の間に馬場があったと言い伝えもあります。

 平成11年8月28日に町教育委員会の文化財係職員に来ていただき田内氏と一緒に現地を視てまわりましたが確かなる物証がないのでここが城跡だとの確認は出来ませんでした。物証になる掘跡、土塀跡は盃とか焼き物類の残がいなど、又、山城特有の山に沿った横溝が数段に残っているかなど中々難問が多くあり調査は後日秋葉山などを中心に小学校裏山一帯におよぶ必要を感じた次第です。

 当時校長先生で在任中の森本先生とよくこの事について牛屋の側から眺めながら波賀城に事よせて是非塩山の城跡を確認し土方地区の活性源にしたいものだと話したものです。この城について色々と文書類を調べておりましたら平成10年に神戸新聞総合出版センターより「ひょうごの城紀行(上下)」が出版されておりましたので購入して調べてみました。

 宍粟郡内に山崎城(鹿沢城)、長水城、波賀城、塩山城など27ヶ城あり塩山城は山崎町塩山、城主は宇野右衛門、祐光、構跡と載っております。その祐光も天正8年の戦に諸所に転戦し戦利あらず長水城の落城と同じく塩山も落城したのでしょう。

 一族は岡山県の親族を頼って落ちて行く途中、千種町の大森にて自害したとのことで祐光の戒名寂静院泉祐大居士です。秋葉山中腹に日照山神宮寺があって本尊(蔵王権現)をお祀りしておったそうで鳥子城主宇野祐光の祈願寺であったとも伝えられております。今はその建物など何も無くなっております。

 塩山城について続いて調査を行いたいのですが現状の体ですので誰か調べていただきたいと思います。

平成14年6月  谷井 伴夫著

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 著者の谷井伴夫氏(85)は、地域活性のために農業や地域産業の取り組みに精力的に尽力されてきました。郷土研究にも熱心で、様々な郷土の記録を残されています。ただ、文面にあるように幻の鳥子城の調査を誰か続けてほしいと願われています。
 幻の青い鳥(鳥子城)は是非見つけたいですね。とにかく郷土史を訪ねるアクションは楽しいものです。

※幻の鳥子城(その1)
http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=11280…1292207828

※地名の由来「塩山・大沢」
http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=7502&…bbs_id=102

「E-宍粟」支援隊そーたんs

▼塩山周辺マップ

返信書き込みはありません。