宍粟の地名(由来)の「地名の由来「青木・上石井」(佐用町)」
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地名の由来「青木・上石井」(佐用町)
【閲覧数】1,607 【マップカテゴリ】佐用町(現佐用町)
2010年12月06日 11:28
地名の由来(宍粟ゆかりの地及び周辺の地)
佐用町(現佐用町)

■青木(あおき)
 美作国吉野郡に属し、同郡下石井村の北、佐用川上流域の谷間に位置。両側の山地は標高400m台。西は同郡西町村(現岡山県大原町)。
 地名は、通行人の目印になる大きな木(大木)に由来するという。中世石井荘を支配した小守氏館跡と伝える構えの段があり、また、小守次郎太夫の墓も当地にある。

 明治9年岡山県に所属、明治14年上石井村と合併する。

■上石井(かみいしい)
 美作国吉野郡に属し、同郡青木村の北、佐用川の上流域の標高500m台の山間の谷間に立地する。西は同郡西町村(現岡山県大原町)。
 地名の由来は、播磨国風土記に記載の伊師は、旧石井村をさし、川の底(しり)が床(いし)のようであるから伊師というと説明し、その上流にあたるところを上石井という。

 山間地で日照不足による冷害に悩まされることが多かったが、弘化2年(1845)、安政4年(1857)悪天候による凶作のため救済嘆願書が出されている。明治初年頃に東町分を分離したが、同5年再び合併。同14年青木村を合併、東町分は再び分離して西町村に合併。
 
 氏神は八幡神社。寺院は真言宗相応寺。明治9年岡山県に所属。明治14年青木村と合併。明治22年石井村の大字となり、昭和30年からは佐用町の大字となる。
明治30年頃から畜産・養蚕・製炭業に従事する者が多く、コンニャク玉栽培も盛んになる。明治32年下石井の一部児童を平福小学校へ委託。を営み、農家の収入源となり、昭和25年頃まで続いた。

◇今回の発見
青木村・上石井村は、古くは、美作国大原町に通じる標高400m~500mの山間の谷間で、江戸期には冷害に悩まされていた地域。今は日名倉山域を中心とした自然環境を生かした施設「ゆう・あい・いしい」が建設されて、都会からの人々も立ち寄る憩いの場所となっている。


「E-宍粟」支援隊そーたんs

▼青木・上石井のマップ▼上石井(青木を含む)の小字図

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