宍粟・播磨の城跡の「聖山城 山崎町須賀沢(出石)」
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聖山城 山崎町須賀沢(出石)
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2010年10月26日 16:43

      ひじりやまじょう

播磨 聖山城跡

 

 

 ▼城址(聖山山頂)

 

 

▼城址の位置

 

 

  聖山(ひじりやま)城は、中世の播磨の守護職の赤松一族の支配のころ、本丸長水城の周辺の防備のための約10の出城や構のうちの一つ。現在は城のあった山頂のすぐ下に愛宕神社、麓に觱篥(ひちりき)神社が祀られている。長い年月のため山頂の平地は昔の城址をとどめず、その城の形は見えてこない。

しかし、この城にかつて城主が住み、揖保川の東岸の街道や安富につながる要衝の防備や関所的な役割をはたしていたのである。麓には古町という地名(小字)が今に残る。

 

▼須賀沢字限図 

 

  播磨の中世の多くの城は、天正5年(1577)以後の羽柴秀吉の中国攻めのとき落城した。秀吉の長水攻めは、揖保川南部の城が次々と落とされたあとに長水城の出城であったこの城が落とされ、秀吉軍がここに陣を敷き、篠の丸城と長水城と対峙したという。中世の山城としては難攻不落の構えを呈していた長水城ではあったが、勝負は本格的な戦いの前にすでに決していた。秀吉軍の怒涛の勢いに、城主とその家臣団に動揺と離反があった。

 

▼愛宕神社から見た篠の丸城と長水城

 

 

かゝり火に うの首見ゆる 広瀬かな 紹巴トモ云     「播磨鏡」より

 

※この句は、紹巴が聖山から詠んだ句で、そのときの長水城主の宇野氏を鵜の首と表現し、長水落城寸前を詠んでいる。広瀬は、眼下にひろがる広瀬郷で今も地名が残る。また長水城の別名は広瀬城ともいった。

 

次に「日本城郭体系」と「播州宍粟 名所旧蹟」からの聖山城跡を紹介します。

 

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聖山城 (山崎町須賀沢)     「日本城郭体系」より

 

 

聖山(ひじりやま)城は揖保川に向けて突き出た堅木山の尾根先端部に築かれていた。比高は70mぐらいで、それほど高くはないが、平野に面する三方は急崖となっており、揖保川をはさんで篠の丸城と対峙し、北西に長水城を一望できる。「赤松播備作城記」には、「篠の丸城の出城」であったときされており、その規模・性格などから砦のようなものであったと思われる。揖保川東岸の河東を往来するには、この堅木山の山麓を通らざるをえず、その点では交通上・軍事上の要衝に位置していた。

聖山城の別称が堅木城・觱篥山城というのは城の存在する山が「堅木山」が、「ひちりき山」とかよばれているためである。

「宍粟郡誌」によれば、天正8年(1580)の長水城攻めの際、羽柴秀吉は、まずこの砦を落とし、ここを本陣として使用したといわれている。

城跡である山頂は、全体的に平坦であり、段差から二つの区画があったと思われるが、土砂が流れ、旧状をあまりよく残していない。平坦部の規模は長さ50m、幅18mで、先端の1区画は背部の区画よりも0.5mぐらい高く、その先端(西北辺)には土塁の痕跡がみられる。土塁痕跡の前面には約1mの段差をもって幅3mぐらいの帯郭が存在している。この帯郭は平坦区画全体を取り巻いていたものと思われる。背部区画の南東辺には高さ0.5mの土塁が存在している。土塁も平坦区画外周を取り巻いていた可能性もある。平坦部より約10m下がった地点に現在、愛宕神社が存在しているが、この神社の築かれた平坦地も砦の1区画であった可能性がある。

砦背部は屋根がやや低くなってから次の峰へと続いている。この部分には通常、堀切がみられるものであるが、聖山城では確認できなかった。

 

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河東の聖山城址 「播州宍粟 名所旧蹟」 宇田義男著より

 

所在 昔は石作里 今は須賀村字古町又ハ須賀沢

聖山城は、人皇百三代後土御門天皇御代に摂津国有馬郡下村庄乙羽城より明応2年(1493)葵丒2月12日に下村民部少輔則貞は此石作里へ来りて、長水城主宇野家の家臣と成り。此聖山に始めて城を築き城主となれり。

此山の麓に古町と云ふ町を生せり。

城主 下村民部少輔則貞 同下村新二郎貞康

 同  下村丹波守則長 此人治郎右衛門とも云ふ。

下村丹波守則長は生まれつき利口發明にして文武両道の達人なり。数千人に勝れし侍なる故に長水宇野家の軍師なり。

此城は天正8年(1580)4月に落城す。

然る所此城址より四方の広き所を眺め見れ景色のよきところなり山崎町を一目に見て風景きわめてよし。又遥かに長水城の址(あと)をみれば大いに風光よし。此山の景色よろしき事は宍粟郡第一と称すなり。

尚また此山の麓の字古町に陣屋ありて此祖先は伊豆国下田に生まれ小針忠太左衛門正歳は小針家の元祖也。延宝7年(1679)末歳御代官服部六部左衛門殿須賀村東出石に陣屋相立支配所出来。

陣屋 小針忠太左衛門正歳

同  小針忠太左衛門正輝

    山崎町 小針亀也

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聖城跡へのアクセス 

 

山麓に觱篥神社があり、その手前の「ひじり山広場」(出石自治会)の駐車場が利用できます。

ここから城跡まで約15分。

 

 

「官兵衛 飛躍の地 宍粟」と書かれた横断幕が聖山城跡の尾根筋に設置されました。

 

 

▲中国自動車の山崎インターから北東        

 

 

関連

※聖山城址と秀吉の行軍ルート

http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=20665…1409909301

※觱篥神社のいわれ

http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=1294&…;bbs_id=56

 

 

「E-宍粟」支援隊そーたんs


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Re: 聖山城 山崎町須賀沢(出石)
【返信元】 聖山城 山崎町須賀沢(出石)
2013年11月10日 09:55
このように行政中心に整備が進んできますと結果論にて様々な意見が出てきます。議会においても費

用対効果としての物議が出たようです。何か物寂しい気がします。結果論にてものを言うのは世の常

ですが、その前に責任ある行動をして言って貰いたいものです。
Re: 聖山城 山崎町須賀沢(出石)
【返信元】 聖山城 山崎町須賀沢(出石)
2013年11月09日 11:46
聖山城跡周辺が整備されました。


▼聖山城跡の全景 ▼愛宕神社と展望 ▼幟と説明板