宍粟・播磨の城跡の「草置城(一宮町百千家満・草木)」
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草置城(一宮町百千家満・草木)
【閲覧数】3,331 【マップカテゴリ】一宮町
2010年10月20日 14:20
草置城(くさぎじょう)のこと

 今から約500年前の中世の古城跡です。宍粟市一宮町繁盛(はんせ)地区の百千家満(おちやま)と草木(くさぎ)に位置し、標高600mの山頂にあります。現在、復元された城が建てられています。
この城は、但馬(朝来市)の竹田城の出城ともいわれ、一宮町福知の高取城と連携した動きがあったのかもしれません。長水城(現山崎町)の羽柴秀吉軍との攻防戦に関係した戦いがあったと考えられますが詳しいことはわかっていません。

■草置城跡

 草置城は、繁盛地区百千家満から東へ登りつめた草木の集落へ降る峠の北側にある山頂(600m)に築かれていました。
 この城は但馬の国朝来郡田路谷からこの地に移った田路隠岐守胤純が戦国時代の天文7年(1538)はじめて城を築き城主となりました。登り峠から北へ屋根伝いに150mほどの所に木戸口があったと思われます。30m先の山頂には広大な平坦があります。ここに主郭として櫓家などがあり建物が建てられ、南側と北東側には別郭と見られる平坦地の地下には深い堀切りもあり、城北周囲から上岸田方面御形神社も眼下に、全てを播磨国境に近い交通文化の要衝でもありました。  (H18・3繁盛連合自治会)



■草置城址 播州宍粟名所旧蹟 (昭和13年発行 宇田義男著)
  
所在 昔は御形里、今は繁盛村、草木と百千家満とに有り

 抑も草置城は人皇50代桓武天皇の皇子式部郷葛原親王高見王高望千葉家の元忠頼公末裔下総国千葉城主千葉介常胤の末孫に但馬国朝来郡田路谷高倉山城主田路大和守胤直の嫡男草置城主田路隠岐守胤純此地に移り天文7年(1538)3月に始めて城を築き城主となり 城主田路隠岐守胤純長水広瀬の家臣なり永禄元年(1558)4月12日死す
男子4人あり
嫡男は高取山へ行 田路若狭守胤親なり
二男三男四男ともに三方町山へ行き
二男は田路信濃守貞政なり
三男は田路五左衛門貞村なり
四男は田路傳兵衛光朝なり

草木村には馬場とマトウバとあり

※参考:地名の由来「草木」http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=7816&…bbs_id=102

関連
田路氏の城跡をめぐる http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=21974…1489028000


▼峠から北を望む▼案内板(草木は下部)▼復元された草置城 

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