宍粟の地名(由来)の「地名の由来「須安・宇根」(上月町)」
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地名の由来「須安・宇根」(上月町)
【閲覧数】1,143 【マップカテゴリ】上月町(現佐用町)
2010年10月19日 11:52
地名の由来(宍粟ゆかりの地及び周辺の地)

上月町(現佐用町)

■須安(すやす)
 佐用川支流大日山(おおびやま)川流域。力万(りきまん)村の西に位置する。南境を大日山川が東流し、同川沿いに美作道が通る。同川が流入する谷川沿いに和田・下谷・尾崎の三集落があり、西の宇根村への道が通じている。
 地名の由来は、開拓前は砂浜(ス)や沼地(ヤ)、州(ス)が広がる川沿いの湿地帯であったことによるか。美作街道は杉坂を越えていたが、織田信長の時に万能峠を越す近道ができたという。古代製鉄遺跡が発見され、蹈鞴(たたら)の炉壁や鉄滓が見られる。

 元禄年間(1688~1704)までに宇根村を分村。氏神の明見宮は明治40年上月八幡宮に合祀。地蔵堂の伝承では、庵主が本尊を背負って山脇村に行き、慈山寺を建立したといい、字赤明寺に赤松という医師が来て寺屋敷と考証したという。明治初年宇根村と合併の話が出たが不成立。明治22年西庄村の大字となり、昭和30年からは上月町の大字となる。

 明治30年頃から畜産・養蚕を副業としてきたが、年々隆盛となり、昭和25年前後まで続いた。また、農家の婦女子の冬季の副業として、わら芯切りも盛んであった。大正12年電灯架設。昭和11年姫新線が南部を横断。


■宇根(うね)
 大日山川支流須安川流域。須安の西に位置し、標高200m~300mの山上の谷窟にある庄・別当・姿・米・片倉・坊の6集落よりなる。西は美作国英田郡蓮花寺(れんげじ)村(現岡山県作東町)。
 地名の由来は、北西風・北東風の強く吹く所の意によるか。伝説には往古大石命(天使)が開拓したところといい、耕地が少なく高所から低所へ開いた形跡がある。古くは須安村と記され、元禄年間(1688~1704)までに須安村から分村して成立。
氏神は清地(せいち)神社で、天正6年広峰神社から勧請、明治21年社殿改築、同40年村内8社を合祀。当村の各家は山脇村慈山寺の檀家であったが、のち明治25年美作国蓮花寺に移る。天正6年(1578)毛利軍の上月城攻略の時、吉川元春(きっかわもとはる)が字姿の山上に本営を置いたと伝える。

 明治5年開明小学校設9年廃止。同22年西庄村の大字となり、昭和30年からは上月町の大字となる。明治20年副業として養蚕を始め、大正11年の養蚕戸数28 (村の6割) 。また冬季木炭の生産に従事する者もあり、大正11年2,000俵、竹材100束・木材1,000材を出荷。
 大正9年より里道は村道となり、白石より米・庄を経て蓮花寺に至る道路、白石より別当・坊を経て梅田に至る道路。才が鼻より片倉・姿を経て大垣内に至る道路。本郷境より姿・別当・石が坪を経て蓮花寺に至る道路があった。昭和に入ると畜産・養蚕ともに隆盛を極め、昭和25年前後まで続いた。

◇今回の発見
宇根は岡山県(作東町)と県境にあり、作東町とは古くから寺との結びつきがあり、岡山の言葉や文化の影響もあったと思われる。

「E-宍粟」支援隊そーたんs

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