宍粟の地名(由来)の「地名の由来「土井・宝蔵寺」(南光町)」
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地名の由来「土井・宝蔵寺」(南光町)
【閲覧数】960 【マップカテゴリ】南光町(現佐用町)
2010年09月22日 16:53
地名の由来(宍粟ゆかりの地及び周辺の地)

南光町(現佐用町)

■土井(どい)

 千種川支流志文川右岸。地名の由来は、中世の豪族や武士が屋敷の周囲に築いた土塁を土井というが、佐用郡では小集落を土居というため、いずれかによると思われる。北方の山麓に古墳時代後期の群集墳6基。古代・中世の美作道が通り、中世には街道を見下ろす北側山頂に長田山(おさだやま)城が築かれていたという。廃寺の伝承と経塚もある。

 美作街道筋の村。明和年間(1764~72)に3回、寛政8年(1796)・天保7年(1836)・弘化4年(1847)と江戸期にたびたびの水害があり、天明7年(1787)・天保4年(1833)・同8年(1837)の飢饉では、クズの根(※)を掘って食したという。明治22年中安村の大字となる。

 明治35年頃から畜産・養蚕を副業として、米麦に匹敵する所得を得る。婦女子はわら芯切りで家計を補って昭和25年前後まで続いた。明治23・25・32年、大正5・7年と大洪水に見舞われる。大正12年電気架設。昭和10年姫津東線が中央部平地を開通。昭和38年・40年に大豪雪。同51年には近年稀な大洪水になり、水田の7割近くに土砂が流入する大被害を受けた。

■宝蔵寺(ほうぞうじ)

 千種川支流志文川下流左岸の山麓。地名は地内にあった宝蔵寺(廃寺)によると考えられる。寺跡と思われる地が確認できる。南北朝時代、赤松氏ゆかりの宝蔵寺があったと伝える。

 明和元年(1764)・寛政8年(1897)・天保7年(1836)大洪水で田畑は大被害を受け、同8年(1837)飢饉で農民が苦しんだ。明治22年中安村の大字となる。

 明治30年前後から畜産・養蚕を副業として生計を維持し、女子はわら芯切りで家計を助け、昭和25年まで続いた。大正12年電気架設。昭和38年・40年に大豪雪、同38年51年大洪水に見舞われる。昭和30年から南光町の大字となる。

◇今回の発見
・天保の大飢饉時にはクズの根を食すという記録が残る。天保4年(1833)は低温・多雨で全国的大飢饉となり、東北一帯は収穫皆無。信濃・越後・四国が3分の1、近畿・中国・九州が半作ないし3分の1で、このような状態が数年続いたという。
・宝蔵寺という中世の寺と思われる名称が地名として残っているのは興味深い。

※クズ(葛)の根:クズは、マメ科のつる性の多年草。根を用いて食品の葛粉や漢方薬が作られる。秋の七草の一つ。

「E-宍粟」支援隊そーたんs

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