宍粟の地名(由来)の「地名の由来「小山・安川」(南光町)」
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地名の由来「小山・安川」(南光町)
【閲覧数】1,284 【マップカテゴリ】南光町(現佐用町)
2010年09月16日 10:46
地名の由来(宍粟ゆかりの地及び周辺の地)

南光町(現佐用町)

■小山(こやま)

 米田の東、千種川と志文川の間の丘陵地に立地する。地名の由来は、北の山の尾根先端あたりの小さい谷間を開拓したことによる。南に米田城跡があり、現在は城山会館が建っている。

 正保(1644~48)以後に米田村から分立して成立。年貢米などは久崎村川岸へ道程1里13町、駄賃1匁で運び、赤穂へ津出しした。古代~中世のトオリガタワと呼ばれる美作道は土井村から当村東部の標高161mの山の向かいの谷間を通って下徳久へ抜けていたとされ、当時の道標が残る。千種・志文の両河川と離れた高い土地に集落があるので、洪水の被害は比較的少ないが、飢饉の年は耕地が少なく、近村同様に苦しんだ。明治22年中安村の大字となる。

 明治30年前後から畜産・養蚕を副業とした。大正末期から昭和初期が全盛で、昭和25年前後まで続いた。大正12年電気架設。昭和10年姫津東線開通、千種川を隔てて、播磨徳久駅が設置され、交通が便利になった。


■安川(やすかわ)

 小山村の南、志文川左岸の緩傾斜地と、後背の標高400m級の山地の麓に立地する。地名は、川に面した土地で、沼地や川州を開拓して田畑にした所の意か。急峻な山麓の堆積土層の畑地は桑園として利用され、近代においては安川の養蚕は盛大であった。

 氏神は米田村八幡神社で、寺院はない。志文川水面より比較的高所にあるので、水害による被害は僅少であったが、宝暦5年(1755)の干害では作付不能田が多く、同年8月暴風雨で倒壊家屋があった。文久3年(1863)は凶作で百姓騒動が起こった(佐用町史)。明治22年中安村の大字となる。

 明治30年前後から畜産・養蚕を副業とし、婦女子は冬期の副業にわら芯切りをして生計を補い、昭和25年前後まで副業が続いた。大正12年電気架設。昭和30年からは南光町の大字となる。

◇ 今回の発見
南北に長い南光町の峠道や山道といえば、主に東西をむすぶ道で、数は30以上もあったようです。1950年以降は車が普及し、新道ができ、古道の多くは消失し、忘れ去られようとしている。

「E-宍粟」支援隊そーたんs

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